徒然草をひもといて 5章㉘188段最終

 188段、いよいよ最終回、約4ページに及ぶ訓戒は、いちおう社会的な立身出世談議と云えないこともないが、むしろ、真に人間たる高い意識の上での生き方の指南として、耳を傾ける意義は、数百年を経た今でも十分ある、と考えられる内容である。
 まず”一事を必ずなさんと思わば、他の事の破るるをもいたむべからず”とした上で、さらに”人の嘲りをも恥ずべからず”と書きしるす。そして”万事に代えずしては、一の大事なるべからず”と、きっぱり言い切って、ひとつのエピソードを出している。
 それは、あるときのこと、人が大勢集まったときに、誰かが、「和歌の『ますほの薄(すすき)』は、『まさほの薄』などと詠むこともあるとか。摂津の国に住む上人が、この伝承の秘事について伝え知っているらしい」と語ったところ、その場で、当時著名な歌人だった登蓮法師が、それを聴き、たまたま雨が降っていたのに「蓑傘ありますか?貸してください、かの薄の伝承秘事を習いに、渡辺の上人のところにお尋ねしに参ります」と云ったので、それを聞いた人たちが「あまりにあわただしい、せめて雨が止んでからになさいまし」と言ったところ、上人は「呆れたつまらんことをもおっしゃるもんですな。人の命は雨の晴れ間を待つものでしょうか。私も死に,聖人も亡くなられては、尋ねることができるでしょうか」と言って走り出ていかれて習得された、という言い伝えがあるといい、これこそ、実にゆゆしい有難いことと思うのである、と述べる。
 "敏きときは即ち功あり”つまり敏速に行う時は成功する、と論語にも記されている。
 登蓮法師が、薄の語について知りたいと思ったごとく、一大事の機縁は大切に思わなくてはならない。と教え諭すのである。
 人生において、あらゆる局面で、機というものは、決しておろそかにしてはならない、という事は、人として心得るべき大切な真実であることは今も確かだと思う。

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