徒然草をひもといて 5章⑳172段  若き時は・・・。

 ”若き時は、血気内に余り、心物に動きて、情欲多し。身を危ぶめて、砕けやすきこと、球を走らしむに似たり”。
 流れるようなリズムに乗った文を、朗誦して「わかりました。おっしゃる通りであります」というのはたやすいが、
 ①美麗を好みて宝を費やし、➁それを捨てて苔の袂にやつれ(僧衣に身をやつして見たり)③勇める心盛りにして、物と争い、心に恥じ羨み、好む所日々さだまらず、と並べ立てるのみではおさまらず、さらにいえば、”色に耽り、情けにめで、行動を潔くするのはいいとして、百年にぶ身を誤り、命を落とす例さえも願わしく思い、寿命を全うして久しく保とうとも考えず、ただ自分の好むほうに心惹かれ、後世迄の語り草となる。かように身を誤まることは、若さゆえの浅墓な行動である。いのちの大切さをわきまえず、行動において、ともすれば血気にはやり浅慮断行におよぶ若者を戒め、与えられた天命ともいうべき人生を、全うするよう心掛けるべきである、と説き聞かせる。そして、筆を返し
 それにひきかえ老いてくると、精神も衰え、淡白で、ぼんやりしてくるから、ものごとに感じて行動するということもない。心がおのづと静かなので無益なこともしない。体を大事にして愁いもなく、人に迷惑はかけまいと思っている。
 それゆえ、結局老いて智慧がある、ということは、若者が、老人より容貌がまさっている、というのと同じことである。と。
 最後の締めは真実ではあろうが、あたり前すぎて、それはそうでしょうけどね。と何となく拍子抜けしてしまう。
 だから、老いた身にすれば、汚らしくならず、できるだけ小ざっぱり身を整え、迷惑かけないよう、筋トレかかさず、あとはちんまり座って静かにしていましょう、ということらしい。、                                                                                                                                                                                              


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