徒然草をひもといて 5章㉗188段ある者子を法師になして・・・

 ある親が、子どもを法師にしたのはいいが、”学問して因果律のことも知り、説経などをして世を渡るたつきとせよ”と教えさとした。
 子はその教えの通り説経師になろうと、まず馬の稽古をした、というのも、車も馬も持たない身で、導師として呼ばれ馬を迎えによこされたとき、下手な乗り方をして落馬したらみっともない、また、仏事のあと、酒などすすめられても、無下に能のないのも施主は興ざめであろうと、近ごろ流行している早歌というものを習った。
 こうして、この二つの技と芸がようやくできるようになったので、さらにうまくなろうと頑張っているうちに、肝腎の説経を習うひまがなくなり”年寄りにけり”というのがこの話のおちである。兼好法師は、こういう事は”この法師のみにあらず、世間の人なべてこのことあり”と書き添えている。
 また、若いときは諸事について、立身し、大きな事業も成功させ、能力をつけ、学問もしようと、遠い将来にあるべきことなどを心にかけていても、世の中をのんびり構えて油断し、まずさしあたり目の前のことに気をとられて月日を送り、とどのつまりどれもこれも成執できないまま、年老いてしまう例も多い、と。
 そして、結局なにかの芸の達人にもならず、兼ねて思っていたように立身もできず、悔やんでも取り返しのきく年でもないので、坂を走り下る輪のように衰えてゆく。と述べる
 だから一生の内に、主としてあらまほしいと思う事柄の中で、どれを優先させるべきかを良く思い比べ、第一のことを思い定め、その他のことは断念し、ただ一事に精励するべきである。そして一日の間、一時の間でも、多くの用ができる中で、少しでも有益なことに精を出し、そのほかのことは捨て、大事なことを速やかに行うべきである。どれもこれも捨てるまい、と心に抱えていたら一つの事すら成就するはずなし、と断言する。
 現代でも十分通用する貴重な教訓であろうが、女性の場合、家庭を持つことも、子育てすることも、また、かけがえのない仕事であることを、家族はもちろん、社会全般が、いまいちど十分認識するべきかもしれないとも思う。   


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