日記随想:徒然草とともに 2章 ㉓

 寒波襲来で、このところ例年にない寒さが続いている。東京も、夜半は3℃とか4℃などと、12月にしては、これまでにない厳しさで、東京では雪はまだないけれど、今朝は冠雪した富士が、ビルのあわいから、くっきりと頭を出しているのが見えた。
 第31段は、京の雪の朝(あした)の物語。“雪のおもしろう降りたりし朝”ではじまる追憶談。おもしろう降りたる、という表現は、北の方の豪雪に悩まされている人々なら憤慨しそうな表現とと思うが、なにごとも、おっとり構えるのがみやこびと、注によれば、当時は雪の朝には親しい人に和歌や手紙を送る習わしがあったとか、それを無視して、親しい、多分、女性に、なにか言いたいことがあって文を送ったが、雪については、なにも書かずにいたら、彼女から返事があり「この雪いかが見る、と一筆もお書きにならないような、ひがひがしい=偏屈なお方のおっしゃることなど、聞く耳もちません。ほんとに情けないお心ですこと!」と書いてよこしたのはおかしかった、けれどもこのひとは”今は亡き人なれば”、このようなちょっとしたことも”忘れがたし”と、しんみりと追憶するのである。
 季節に合わせ、生を楽しむ中世の都びとの心映えが、読む者の胸にも響いてくる1節である。


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