「第7章 世界一美しい郷土会館」アントニオ・タブッキの「レクイエム」で巡るリスボン
小説「レクイエム」の中で、私がもっとも心を惹かれた場所が「アレンテージョ会館」だった。原文では、Casa do Alentejo。いろんなポルトガルに関する本やガイドブックに「アレンテージョ会館」と表記されていることが多いのは、この小説の日本語訳がオリジナルなのだろうか。実際に行ってみると本当に美しすぎて、「会館」と言ってしまっていいものか、ちょっと思うところはある。が、「アレンテージョ会館」がもう馴染んでしまっていて、何故かしっくりくるのだ。
入り口は本当に目立たたない。なので、昼間は何度行っても必ず一度は通り過ぎてしまう。1999 年に初めてリスボンを訪れた時、たぶん私はこの場所を捜し歩いたのだと思う。そして、見落として通り過ぎてしまったのだろう。フィルムの中にも、この場所を撮ったものは一枚もなかった。
3 年後の2002 年、たどり着けたのはそれが夜だったからかもしれない。夜のアレンテージョ会館は、昼間より主張してくれるからだ。
そして、一歩建物の中に足を踏み入れると、瞬間移動でもしたかのように、私たちは異世界へといざなわれる。「レクイエム」の主人公が、アゼイタンの農場で気持ちよく昼寝をしていたら、気が付くと灼熱のリスボンに佇んでいた、という冒頭のシチュエーションを逆になぞるかのように。
初めて会館の中に足を踏み入れた夜は、食事のあとだったので中をなんとなく見て歩いただけだった。会館と同じ名前のレストラン「Casa do Alentejo」は満席で活気に満ちていた。何の部屋かわからないけれど、テレビのある部屋でおじさんたちが「ポルトガルvsチュニジア」の代表戦をだるそうに観ていたので、一緒にポルトガルの応援をしたりした。今一つ調子のでないフィーゴのプレーに、おじさんの一人が、こちらを向いて「やれやれ」といった顔をする。おじさんたちは、やっぱり話しかけてはこない。
3 度目からはもっぱらレストラン「Casa do Alentejo」でランチを楽しむことが多い。その荘厳な内装を見てしまうと、食事も高いのかなと思いきや、意外とリーズナブルなのだ。アレンテージョワインの安さは、さすが郷土会館である。量も味付けも品がある。どこにしようか迷ったときは、「じゃあ、アレンテージョ会館にしよう。」となる。
「レクイエム」では、主人公はビリヤードに興じる。実際にはビリヤード台は見当たらなかったけれど、そのシーンの世界観を体験できるいくつかの部屋を巡った。
それらの場所で私は、小説で感じた思いをファインダーに凝縮させる瞬間と、そしてその過程を、存分に楽しむことができたように思う。レクイエムに出会ってから繰り返されたリスボンへの旅の、いわば「ひとくぎり」のような時間だった。
物語に戻る。主人公がアレンテージョ会館に来た理由は、「イザベル」という名の女性と待ち合わせているからだ。前にも書いたように、「イザベル」は、タブッキの他の短編に登場する人物の一人だ。会館のボーイ長と、ポルトワインの飲みかわしながら、ビリヤードに興じていると、その「イザベル」が現れる。が、イザベラの物語は一切語られない。
この小説が出版された20年後に、タブッキはこの世を去った。彼の死によって、私たちの前から「タウデウシュ」や「イザベル」も本当に失われてしまったように思われたのだが、2017年、彼の遺稿とされる一つの長編が出版された。
「イザベルに ある曼荼羅」(Per Isabel: Un mandala)
物語の中には、いくつもの、失われることのない、扉があるのだ。