波動関数の"確率流"を計算してみる


確率流と電流

磁性の量子論(第3版)第一章の章末問題の一問目に次のように書いてある。

波動関数$${\psi}$$に関連する電流密度$${\mathbf{j}}$$は、$${\mathbf{j} = e \mathrm{Re}\left(\psi^{*} \dfrac{\hbar}{\imath m} \nabla \psi \right)}$$で与えられる。

$${e,m,\hbar}$$は単位電荷、質量、プランク定数。で、水素原子の波動関数に対して、電流密度から磁気モーメントを計算しろというのが問題。

 

どうってことのない問題だが、$${\mathbf{j}}$$は確率流に電荷を掛けた量で、これを電流密度と解釈するなら、$${e \psi^{*}\psi}$$を電荷密度と解釈しないといけない。

現在の大抵の量子力学の教科書では、$${\psi^{}\psi}$$は確率密度と説明してるはずで、素直に受け取れば、形式的に電磁気学を適用していい量ではないだろう。$${e \psi^{}\psi}$$を電荷密度と解釈するのは、シュレディンガーが最初に提案した説明。

 

この解釈の萌芽は、"Quantisierung als Eigenwertproblem (Dritte Mitteilung)"という論文に見られるが、ここには、まだ何の式も書いてなくて、電荷密度も電流密度も出てこない。論文の英訳には

We shall be obliged to attempt to take over the idea of Uhlenbeck and Goudsmit into wave mechanics. I believe that the latter is a very fertile soil for this idea, since in it the electron is not considered as a point charge, but as continuously flowing through space, and so the unpleasing conception of a “ rotating point-charge ” is avoided. In the present paper, however, the taking over of the idea is not yet attempted.

と書いてある。

続く論文"Quantisierung als Eigenwertproblem (Vierte Mitteilung)"で、"確率密度に対する連続の式"が示されて、これを電荷保存則と解釈している。英訳だと第七節にある。

これを受けて、ボルンはOn the quantum mechanics of collision processesという論文で、確率解釈を与えたとされる。よく読むと、少なくとも、この論文では$${\psi^{*}\psi}$$は確率密度ですとは一言も書いてなかったりする。

当時の人の気持ちになって、そもそも何が問題だと考えられたのか、よく分からない。量子力学で定常状態が"特別"な状態であることは、線スペクトルの測定や量子統計力学の計算を見ても確かだが、一方で、(時間依存のある)シュレディンガー方程式は線形なので、定常状態の線形結合も解になるわけで、定常状態だけが特別である理由は説明を要すると思える。

ボルンは、(私が論文を読んで理解した限りでは)量子跳躍の中間過程は、定常状態の重ね合わせ状態にあると述べ、それを非決定的な状態だと解釈したのだと思う。しかし、波束の収縮という概念はなく、定常状態が特別な理由は不明のまま。一旦、重ね合わせ状態になった粒子が定常状態に至る理由も述べられてないと思う。

今の標準的的説明だと、エネルギーを測定するから、エネルギー作用素の固有状態に収縮するんで、測定しなければ、シュレディンガー方程式が教える通り、重ね合わせ状態のまま存在し続ける。エネルギー以外の測定を行えば、非定常状態にも収縮するということになる。

これで納得するかはともかく、シュレディンガーの解釈は、この問題に対して、(少なくとも表面的には)何の答えも与えない。

 

シュレディンガーの解釈は、表向きは棄却されたけど、こっちの方が便利な時には密かに採用され続けてると思う。それで問題ないことも多く、例えば、$${e \psi^{*}\psi}$$を電荷密度と思って、電気双極子モーメントを計算しても問題ない。

同様に、What is spin?という論文では、ディラック方程式を基礎に、(四元)確率流に電荷を掛けたものを(四元)電流密度と解釈して、Gordon分解した項の一つから、スピン磁気モーメントが出ると書いている。

この議論の非相対論版は、ランダウ・リフシッツの教科書"量子力学(第三巻)"§114(第三版では§115)の"The current density in a magnetic field"にある。ここでは、$${e|\psi|^2}$$を電荷密度と呼んでいる。

電流密度を使わなければ、スピン磁気モーメントを導入する標準的な方法は、一様静磁場の中に置いた粒子のシュレディンガー方程式やディラック方程式を書いて、磁場との相互作用を計算するというものだと思う。

これは、ディラックの教科書The principles of quantum mechanicsで採用されているし、冒頭に挙げた"磁性の量子論(第3版)"も、本文では、この方法で軌道磁気モーメントやスピン磁気モーメントを説明している。古典電磁気学では、磁気モーメントは電流に対する近似として出るが、この説明では電流が出てこない。

ゼーマン効果やシュテルン・ゲルラッハの実験を説明するためには、これで十分かもしれないが、この説明は、一様でない磁場に対しても古典電磁気学の磁気モーメントと同じ振る舞いをするのかという疑問を引き起こす。

化学なんかでも同様で、Electron Charge Density: A Clue from Quantum Chemistry for Quantum Foundations冒頭には、

Within quantum chemistry, the electron clouds that surround nuclei in atoms and molecules are sometimes treated as clouds of probability and sometimes as clouds of charge.

と書いてある。

 

シュレディンガーの解釈を採った場合、電荷密度や電流密度に形式的に電磁気学を適用してOKかどうかは、計算上の違いを生じる可能性がある。

正解は分からないけど、ここでは、もっと簡単な話として、電流密度と解釈する場合、どういう電流分布になってるのかと気になった。"電子雲"の可視化はよく見るが、"確率流"が、どうなってるかは計算されてるのを見掛けない。

以下では、"波動関数"という名前は、確率解釈を採用する時に使い、古典電磁気学を適用してOKな電流・電荷密度と解釈する場合は、シュレディンガー場とかディラック場とか呼ぶことにする。別に計算手順が変わるわけではない。

電流密度と言っても、点電荷が回ってるわけではなく、定常状態に付随するのは定常電流だから、形式的に電磁気学を適用したとしても、電磁波を放出してエネルギーを失うという心配はしなくていい。

シュレディンガー場の2p軌道に付随する電流密度

とりあえず、水素原子のシュレディンガー場で見ていくことにする。冒頭の式から、シュレディンガー場が実数値であるなら、電流密度は0になることはすぐに分かる。従って、s軌道では電流がない。角運動量が0で、軌道磁気モーメントも0だから妥当なところ。

次に、p軌道を考える。p軌道の場合は、縮退してるので、基底の取り方に任意性がある。ここでは、よくやる通り、$${z}$$方向の角運動量$${L_{z}}$$の固有状態を採る。

球座標

$${x = r \sin \theta \sin \phi}$$

$${y= r \sin \theta \cos \phi }$$

$${z = r \cos \theta}$$

に対して、$${L_{z}}$$の固有値$${+1}$$に対する固有状態は

$${\Psi_{2p+} = \dfrac{r}{8\sqrt{\pi a_0^5}} e^{-e/2 a_{0}} \sin \theta e^{\imath \phi} }$$

但し、$${a_{0}}$$はボーア半径。

虚部を持つのは$${e^{\imath \phi}}$$の項だけで

$${ \dfrac{\partial}{\partial x} = \sin \theta \cos \phi \dfrac{\partial}{\partial r} + \dfrac{1}{r}\cos \theta \cos \phi \dfrac{\partial}{\partial \theta}- \dfrac{\sin \phi}{r \sin \theta} \dfrac{\partial}{\partial \phi} }$$

$${ \dfrac{\partial}{\partial y} = \sin \theta \sin \phi \dfrac{\partial}{\partial r} + \dfrac{1}{r}\cos \theta \sin \phi \dfrac{\partial}{\partial \theta} + \dfrac{\cos \phi}{r \sin \theta} \dfrac{\partial}{\partial \phi} }$$

$${\dfrac{\partial}{\partial z} = \cos \theta \dfrac{\partial}{\partial r} - \dfrac{1}{r} \sin \theta \dfrac{\partial}{\partial \theta} }$$

なので、

$${ \mathrm{Im} \left( \Psi_{2p+}^{*} \dfrac{\partial}{\partial z} \Psi_{2p+}\right) = 0 }$$

はすぐに分かる。

$${ \mathrm{Im} \left( \Psi_{2p+}^{*} \dfrac{\partial}{\partial x} \Psi_{2p+}\right) = -\dfrac{r \sin \theta \sin \phi}{64 \pi a_{0}^5} e^{-r/a_{0}} = -\dfrac{y}{64 \pi a_{0}^{5}} e^{-r/a_{0}} }$$

$${ \mathrm{Im} \left( \Psi_{2p+}^{*} \dfrac{\partial}{\partial y} \Psi_{2p+}\right) = \dfrac{r \sin \theta \cos \phi}{64 \pi a_{0}^5} e^{-r/a_{0}} = \dfrac{x}{64 \pi a_{0}^5} e^{-r/a_{0}} }$$

シュレディンガー場の次元は$${\mathrm{m}^{-3/2}}$$で、それが2つと空間微分一回が入るから、これらの量は、$${\mathrm{m}^{-4}}$$の次元を持つ。$${\dfrac{\hbar}{m}}$$を掛けると確率流で$${\mathrm{m}^{-2} \cdot \mathrm{s}^{-1}}$$の次元を持つ。更に電荷$${e}$$を掛けると、電流密度の単位$${\mathrm{A/m^{2}}}$$になる。

式を見れば分かる通り、原子核からの距離$${r}$$が一定の時は、電流の大きさは一定で向きは円の接線方向を向く。軌道磁気モーメントは、$${L_{z}}$$に比例し、z軸方向に向くので、古典電磁気学との矛盾はない。電流の大きさは、$${z=0}$$平面では$${r=a_{0}}$$で最大となる。

古典電磁気学での磁気モーメントの定義

$${ \dfrac{1}{2} \displaystyle \int \mathbf{r} \times \mathbf{j_{e}} d\mathbf{r} }$$

に従って、磁気モーメントを計算すると、正しく、軌道磁気モーメントが得られる。

 

$${L_{z}}$$が$${-1}$$の固有状態は単に

$${ \Psi_{2p-} = \Psi_{2p+}^{*} }$$

なので、電流の向きが丁度逆になる。

ディラック場の$${1S_{1/2}}$$軌道

スピンを持つ場合は、スピン磁気モーメントがある。スピン自体は非相対論的量子力学にもあるが、大抵の人にとって、ディラック方程式が一番馴染みがあるだろうから、ディラック方程式で見るのがいいだろう。上に挙げた論文"What is spin?"の後半に書いてることを具体例で見ることになる。

 

スピノル場$${\psi}$$に対して、以下のGordon分解を考える。

$${ \overline{\psi} \gamma_{i} \psi = \dfrac{\imath}{2m} (\overline{\psi} \partial_{i} \psi - \psi \partial_{i} \overline{\psi}) + \displaystyle \sum_{n=0}^{3} \dfrac{1}{2m} \partial_{n} (\overline{\psi} Ϛ_{in} \psi) }$$

但し、$${ \overline{\psi} }$$はDirac adjointで、$${\gamma_{i}}$$はガンマ行列。

$${ Ϛ_{ij} = \dfrac{\sqrt{-1}}{2} (\gamma{i} \gamma_{j} - \gamma_{j} \gamma_{i}) }$$

Gordon分解の第二項を更に空間微分成分と時間微分成分に分けて、空間微分成分の方に電荷を掛けた量を、スピン関連電流密度と呼ぶことにする。時間微分の方の名前は困ってしまうが、今は定常状態しか考えないのでいいことにする。つまり、電荷を$${q}$$とすれば

$${ \dfrac{q}{2m} \displaystyle \sum_{n=1}^{3} \partial_{n} (\overline{\psi} Ϛ_{in} \psi) }$$

がスピン関連電流密度。これは、$${\overline{\psi} \vec{Ϛ} \psi = (\overline{\psi} Ϛ_{23} \psi ,\overline{\psi} Ϛ_{31} \psi , \overline{\psi} Ϛ_{12} \psi) }$$に対して、$${\mathrm{rot}}$$を取る形になっている。

これを計算していくのが目的。

 

ディラック場の具体的な形が必要になるが、Wikipediaに、中心クーロン力内でディラック方程式の規格化因子を除いた低エネルギーの解が書いてあるので、これを信じることにする。

相対論的量子力学で水素原子を扱う場合、ハミルトニアンと可換な演算子が沢山あって、その固有値に関連して、量子数が沢山出てくる。状態を指定するのによく使うのは、$${(n,\ell,j,m_{j})}$$で、主量子数、方位量子数、全角運動量量子数、全角運動量に対する磁気量子数。これらは物理的意味は理解しやすい。

スピン1/2粒子の場合、$${j=\ell+1/2}$$か$${j=\ell-1/2}$$で、前者の場合、$${k=-j-1/2=-(\ell+1)}$$、後者の場合、$${k=j+1/2=\ell}$$となる量子数$${k}$$がある(記号には$${\kappa}$$を使ってることが多い)。スピン軌道相互作用と関わるように読めるが、物理的意味は分かりにくい

量子数の範囲は

$${n=1,2,3,\cdots}$$

$${\ell=0,\cdots ,n-1}$$

$${j=1/2,\cdots , n-1/2}$$

$${m_{j}=-j,-j+1,\cdots,j-1,j}$$

 

基底エネルギーを持つ、スピン上向き状態の波動関数はWikipediaの式によると

$${\Psi_{1s,\uparrow} = N_{1s,\uparrow} \left( \begin{matrix} (1+\gamma)r^{\gamma-1} e^{-Cr} \\ 0 \\ \alpha r^{\gamma-1} e^{-Cr} \dfrac{\sqrt{-1} z}{r} \\ \alpha r^{\gamma-1} e^{-Cr} \dfrac{\sqrt{-1} x-y}{r} \end{matrix} \right) }$$

記号説明。$${N_{1s,\uparrow}}$$は規格化定数、$${\alpha}$$は微細構造定数、$${\gamma =\sqrt{k^2-\alpha^2}}$$($${k}$$は上に書いた量子数)、$${C = \dfrac{\sqrt{m^2 c^4 - E^2}}{c \hbar}}$$($${m,c}$$は質量と光速定数)で、$${E}$$はエネルギー固有値で、今の場合、$${(n,j)=(1,1/2)}$$の値を使用すればいい。

$${m}$$は厳密には電子の質量ではなく、相対質量を使うのが正しい。電子の質量エネルギーは500keV強で、これは水素原子の基底状態エネルギーである-13.6eVより桁違いに大きい。$${mc^2 \gg E}$$なら、$${C \approx \dfrac{mc}{\hbar}}$$で、これはコンプトン波長の逆数。電子のコンプトン波長はボーア半径の1/20弱。

 

で、$${\overline{\psi} \vec{Ϛ} \psi }$$を計算すると、以下の形になる。

$${ \overline{\Psi_{1s,\uparrow}} \vec{Ϛ} \Psi_{1s,\uparrow} = (-2A(r)xz \space , -2A(r) y z \space , B(r)+(x^2+y^2-z^2) A(r) ) }$$

$${A(r) = N_{1s,\uparrow}^2 \dfrac{\alpha^2 r^{2(\gamma-1)} e^{-2Cr}}{r^2} }$$

$${ B(r) = N_{1s,\uparrow}^2 (1+\gamma^2) r^{2(\gamma-1)} e^{-2Cr} }$$

更に、これの$${ \mathrm{rot} }$$を計算する。

$${ \mathrm{rot}(\overline{\Psi_{1s,\uparrow}} \vec{Ϛ} \Psi_{1s,\uparrow}) = \left( y\left( 4A(r) + rA'(r) + \dfrac{B(r)}{r}\right) , -x\left(4A(r) + rA'(r) + \dfrac{B(r)}{r} \right) , 0 \right)}$$

多少複雑な計算にはなったが、スピン関連電流密度も、シュレディンガー場の軌道関連電流密度と同じく、z成分は0。勿論、これは、スピンの固有状態がz軸正の向きと負の向きになるように取ってるからで、x軸の正負方向を固有状態に取れば、x成分が0になるはず。$${r}$$が一定の時には電流の大きさは一定で向きは円の接線方向を向く。

特に面白みはないが、妥当な結果ではあるだろう。

自己相互作用エネルギー

古典電磁気学で、静電場や静磁場のエネルギーは以下のように書ける。

$${ \mathcal{E}_{電} = \displaystyle \int \dfrac{1}{2} \mathbf{E} \cdot \mathbf{D} d\mathbf{r} = \displaystyle \int d \mathbf{r} \displaystyle \int \dfrac{1}{8 \pi \epsilon_{0}} \dfrac{\rho(\mathbf{r}) \rho(\mathbf{r}')}{|\mathbf{r}-\mathbf{r}'|} d\mathbf{r}' }$$

$${ \mathcal{E}_{磁} = \displaystyle \int \dfrac{1}{2} \mathbf{B} \cdot \mathbf{H} d\mathbf{r} = \displaystyle \int d \mathbf{r} \displaystyle \int \dfrac{\mu_{0}}{8 \pi} \dfrac{\mathbf{j}(\mathbf{r}) \cdot \mathbf{j}(\mathbf{r}')}{|\mathbf{r}-\mathbf{r}'|} d\mathbf{r}' }$$

前者はファインマン物理学第二巻八章に書いてある式(8.30)と式(8.27)

シュレディンガー場に対して、$${ \rho = e \psi^{*} \psi }$$が電荷密度なら、前者の式を適用することができ、自己相互作用エネルギーを含むと考えられる。

水素原子の場合は、ハミルトニアンに、運動エネルギーと原子核・電子間の相互作用エネルギーが含まれているが、電子の自己相互作用エネルギーと原子核の自己相互作用エネルギーは含まれていない。

これは古典力学の質点系の理論から引き継いだ性質だが、例えば、惑星軌道の計算で、地球や太陽を質点近似して、自己相互作用を無視しているのは、別に自己相互作用がないからではない。地球は質点でなく、地球の任意の部分は他の部分と相互作用しているが、それらは全部自己相互作用に含まれている。

地球を質点近似した時、地球の質量には、地上で生活している人間の質量なども含まれている。そして、人間は、地球と相互作用している。これも、地球を質点近似したなら自己相互作用の一部に含まれている。

もし、地球の質量分布が完全に不変なら、自己相互作用エネルギーは、地球の位置や姿勢によらず一定で、何の影響もなく無視しても軌道計算に影響しない。現実には、地球の質量分布は完全に一定でなく、地表の生物は勝手に移動するし、潮汐変形などもある。

とはいえ、軌道計算をする時には通常、質量分布の変化は無視している(現代の精密なモデルでは、完全には無視しないこともあるかもしれない)。どのくらいの影響があるのか真面目に誤差評価しようと思うと難しいが、とにかく、自己相互作用を無視しても、実用上十分な予測精度が達成できていたので、それで良しとしてきた。

 

惑星の軌道計算は巨視的な話なので、電子や原子核レベルの微視的な話では事情が同じとは限らない。質点や点電荷でナイーブに自己相互作用を入れようとしても自己相互作用エネルギーが発散するのは意外ではない。一方、デルタ関数的な電荷分布をしてないなら、計算に支障はない。

仮に、そのような形で自己相互作用エネルギーがあるとしたら、水素原子の1s軌道電子と2s軌道電子でも自己相互作用エネルギーの大きさは違うだろうから、その差は測定にかかるべきと思われる。

原子核の(電気力学的)自己相互作用エネルギーは、原子核内部の電荷分布や電流分布がよく分からないので、簡単に計算できそうにはない。多分、原子核の外で多少電子が動いたところで、原子核内部の電荷分布や電流分布が大きく変化するようなことはないだろうとは思われる。そうであれば、原子核の自己相互作用エネルギーは無視してもいい。

 

陽子や中性子はスピンがあり核磁気モーメントを持つことから、磁気的な自己相互作用エネルギーもあるが、分かりやすい電気的自己エネルギーを見積もってみる。原子核が球をなし、電荷分布が球内部で一様だとすれば、古典電磁気学的における(電気的)自己相互作用エネルギーは

$${ \dfrac{3}{20 \pi \epsilon_{0} R} e^2 }$$

で計算できる。$${R,\epsilon_{0},e}$$は原子核の半径と真空中の誘電率、素電荷。これはファインマン物理学第二巻八章の式(8.7)。

陽子の半径として0.88fmを使うと$${ 1.573 \times 10^{-13} \space \mathrm{J} \approx 982 \mathrm{keV}}$$となる。ほぼ1MeVで、電子の質量エネルギーの二倍ほど。化学的スケールに比べると大きなエネルギーではあるが、特にヤバイ値ではない。

核子内の電荷分布は、電気形状因子から決定され、それによると、$${\dfrac{a^3}{8 \pi} e^{-a r}}$$で近似できるとされている。$${a}$$は核子の半径の逆数。従って、あんまり一様でないのでかもしれない。その場合の電気的自己エネルギーの計算は、水素原子の軌道電子の自己エネルギーを計算するのと変わらないので、一旦保留。

 

1s軌道に対して、電気的自己エネルギーを計算してみる。

$${ \rho_{n}(\mathbf{r}) = \dfrac{1}{\pi a_{0}^3} e^{-2r / a_{0}} }$$

に対して、まず

$${ И(\mathbf{r}) = \displaystyle \int d \mathbf{r'} \dfrac{\rho_{n}(\mathbf{r'})}{ |\mathbf{r} - \mathbf{r}'| } }$$

を計算する。球対称性から$${ И(\mathbf{r}) = И(0,0, |\mathbf{r}|) }$$で

$${ \mathcal{E}_{電} = \dfrac{q^2}{8 \pi \epsilon_{0}} \displaystyle \int_{0}^{\infty} (4\pi r^2) \rho_{n}(0,0,r) И(0,0,r)dr }$$

と計算できるだろう。$${q}$$は単位電荷。

 

球座標$${ \mathbf{r}' = (b \sin \theta \cos \varphi , b \sin \theta \sin \varphi , b \cos \theta) }$$を使って

$${ И(0,0,r) = \dfrac{1}{\pi a_{0}^3} \displaystyle \int_{0}^{\pi} d\theta \int_{0}^{2\pi} d\varphi \int_{0}^{\infty} (b^2 \sin \theta) db \dfrac{e^{-2b/a_{0}}}{\sqrt{r^2 -2 rb \cos \theta +b^2}} }$$

$${\varphi}$$について積分して、変数変換$${x = \cos \theta , dx=-\sin \theta d \theta}$$をすると

$${ И(0,0,r) = \dfrac{2 \pi }{\pi a_{0}^3} \displaystyle \int_{-1}^{1} dx \int_{0}^{\infty} \dfrac{b^2 e^{-2 b/a_{0}}}{\sqrt{r^2 -2 rb x+b^2}} }$$

$${x}$$について積分すると

$${ И(0,0,r) = \dfrac{2 \pi }{\pi a_{0}^3} \displaystyle \int_{0}^{\infty} \dfrac{b^2 e^{-2 b/a_{0}}}{rb} (|r+b|-|r-b| ) db }$$

を得る。

 

$${f(b) = b e^{-2b / a_0} }$$とすると

$${ И(0,0,r) = \dfrac{2}{a_0^3 r} \displaystyle \int_{0}^{\infty} f(b)(|r+b| - |r-b|) db }$$

$${\displaystyle \int_{0} ^{\infty} f(b)|r-b| db = \displaystyle \int_{0}^{r} f(b)(r-b) db + \displaystyle \int_{r}^{\infty} f(b) (b-r) db = 2\displaystyle \int_{0}^{r} f(b)(r-b) db + \displaystyle \int_{0}^{\infty} f(b) (b-r) db }$$

なので

$${ И(0,0,r) = \dfrac{4}{a_0^3} \left( \displaystyle \int_{0}^{\infty} f(b) db + \dfrac{1}{r} \displaystyle \int_{0}^{r}(b-r)f(b) db \right) }$$

積分を計算すると

$${ И(0,0,r) = \dfrac{1}{r} - \dfrac{a_0+r}{a_0 r} e^{-2r/a_0} }$$

となる。

 

で、$${ \mathcal{E}_{電} }$$を計算すると

$${ \mathcal{E}_{電} = \dfrac{q^2}{8 \pi \epsilon_{0}} \cdot \dfrac{5}{8 a_{0}} }$$

具体的に数値を入れて計算してやると、1s軌道電子の電気自己エネルギーは$${1.36 \times 10^{-18} \mathrm{J} = 8.5 \mathrm{eV} }$$となる。基底状態エネルギーの-13.6eVと同水準の大きさ。

1s軌道電子の"電荷分布"と電気形状因子から決められた核子内の近似電荷分布は同じ形の式をしているので、ボーア半径$${a_{0}}$$を陽子半径0.88fmに置き換えると、陽子の電気自己エネルギーは511.351keVとなって、一様電荷分布と思って計算したの時の約半分(100/192倍)になる。

 

2s軌道電子に対しても同様に計算していく。1s軌道電子の自己エネルギーと2s軌道電子の自己エネルギーの差は、(それが物理的に意味のある計算なら)1s->2s遷移の時にエネルギー準位の差に対する補正項として出てもよさそうに思える。

2s軌道電子のシュレディンガー場に対して、電荷密度は

$${\rho_{n}(\mathbf{r}) = \dfrac{1}{32 \pi a_{0}^3} (2 - \dfrac{r}{a_{0}})^2 e^{-r / a_{0}} }$$

となる。さっきと同じ手順で

$${ И(0,0,r) = \dfrac{1}{8 a_{0}^3} \left( \displaystyle \int_{0}^{\infty} f(b) db + \dfrac{1}{r} \int_{0}^{r} f(b)(b-r) db \right) }$$

$${f(b) =b e^{-b/a_{0}} \left(4 - \dfrac{4b}{a_0} + \dfrac{b^2}{a_0^2} \right) }$$

これを計算すると

$${ \displaystyle \int_{0}^{\infty} f(b) db = 2 a_{0}^2 }$$

$${\dfrac{1}{r} \displaystyle \int_{0}^{r} b f(b) db = \dfrac{1}{r}\left( 8a_0^3 - e^{-r/a_0} \dfrac{r^4+4a_0^2 r^2 + 4 a_0^3 r + a_0^4}{a_0} \right) }$$

$${\displaystyle \int_{0}^{r} f(b)db = 2 a_0^2 + \dfrac{1}{a_0} e^{-r/a_0} (-r^3 + a_0 r^2 -2 a_0^2 r - 2 a_0^3) }$$

で、

$${ И(0,0,r) = \dfrac{1}{r} - \dfrac{e^{-r/a_0}}{8 a_0^3} (r^2 + 2 a_0 r + 2a_0^2 + \dfrac{a_0^3}{r}) }$$

となる。1s軌道の時と同じく$${1/r}$$に補正項が付く形。

最終的に2s軌道の場合は

$${ \mathcal{E}_{電} = \dfrac{q^2}{8 \pi \epsilon_{0}} ( \dfrac{1}{4 a_0} - \dfrac{29}{512 a_0} ) = \dfrac{q^2}{8 \pi \epsilon_{0}}\dfrac{99}{512 a_0} }$$

になる。

2s軌道電子の電気的自己エネルギーは、1s軌道の場合の0.3倍ほど。こんなエネルギーが観測されるとは聞かないので、(計算をミスってなければ)電荷密度という解釈は妥当でないということかもしれない(原子核の状態は不変という仮定が正しくないという可能性もないわけではないが)。

 

二体以上の場合は、波動関数$${\Psi(\mathbf{r}_{1} , \cdots , \mathbf{r}_{n})}$$に対して、電荷密度$${\rho_{e}(\mathbf{r})}$$は

$${ \rho_{e}(\mathbf{r}) = \displaystyle \sum_{i=1}^{n} \displaystyle \int q_i \delta(\mathbf{r} - \mathbf{r}_{i}) |\Psi(\mathbf{r}_{1} , \cdots , \mathbf{r}_{n})|^2 d\mathbf{r}_{1} \cdots d\mathbf{r}_{n} }$$

と定義される。全て電子の場合に、電子数密度を直接計算しようというのは、密度汎関数法で、物性科学と量子化学では数値計算で多用されている。

これの静電エネルギーを計算すると、自己相互作用エネルギーだけでなく、他体相互作用エネルギーも含まれているため、ハミルトニアンと重複したエネルギーが出る。多分、マクスウェル・シュレディンガー方程式とかマクスウェル・ディラック方程式を考える方がいいんだろう(通常、量子場に対する古典論と見なされるので、多体問題の形ではないが)

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