平和の破壊。

こんにちは、こんばんは、初めまして。
今回は後天性トランスジェンダーについてを書こうと思っていたのですが、もう少し、自分を知っていただきたいなと思いまして、幼少期、私を壊していった出来事も含め、これから紹介していきます。

基本的に私は幸せだった、楽しかった出来事や思い出をノートに書くことはありません。

正直、他人の幸せを知っても、
「良かったなぁ」
くらいで、
「なぜこの人はこんなにも幸せになれたのだろう」
なんて考えもしないし、その程度の感想しか残らない、下手をしたらなんとも思わずにノートを閉じてしまう人だって居ると思うんです。

それよりなら他人のつらかったことを知って
「他人の不幸は蜜の味」だとか「ざまぁ」とか
そういう感想でもいい、少しでも誰かの頭に残ればいいと思ってます。
少し意地悪すぎますね(笑)
これはまあ、極論です。

こんなことでつらいと思う人間がいるのか!と新発見してほしいですし、私のような体験をしたことがある、と共感してほしいですし、こんな酷いことがあったのか…と同情して欲しい、というのが本音です(笑)

今回は私の心の中に、嫌悪感、大人という存在への不信感が初めて生まれた時の話をしたいと思います。

かわいいものが好きで友達も多かった幼稚園時代。
このまま楽しく小学校も過ごすぞ!
と緊張しつつもワクワクしていた。

はじめは初めての経験ばかりで、驚きばかりだった。
しかし、それも数カ月。
私は徐々にクラスの雰囲気や授業に慣れていった。

そんなある日、確か、掃除の時間だったと思う。
給食を食べ終え、掃除をするために机を下げていた。私も机を運ぼうと周りと同じように机を持ち上げた。

その瞬間。

自分の性器の辺りをまさぐられるような感覚。
まるで誰かに触られているような。
体が固まった。
感じたことのない感覚に鳥肌が立った。
小学一年生だ。
そんなところ、自分でも触れたことがない。

運ぼうと持ち上げかけていた机を落としてしまった。大きな音が鳴り視線が集まるが、内心それどころではない。

ばっ、と後ろを振り向くと、
クラスでもおちゃらけた部類に入る男子が一人、ニヤニヤと気持ちの悪い視線を私に送っていた。

彼が、やったのだろう。

「なにするのさ、やめてよ。」
なおもいやらしい視線を送り続けてくる彼に、そう声をかける。正直、声をかけるのすら気持ち悪かった。身体が完全に彼を拒否していた。

それに対して彼は、
「え、なに、俺何もしてないよ。」
ずぅっとニヤニヤ、ニヤニヤ。

流石に無理だ。耐えられない。
大人に、先生に頼ろう。

そう考え、私は担任のもとへ向かった。

「先生、〇〇君に股間を触られました。」
その言葉を発するのさえ気持ち悪かった。恥ずかしかった。その行為が卑猥なものであると心の何処かで理解していたからかもしれない。

後から三人で話し合うことになった。

早速担任が口を開いた。
「〇〇君、何でこんなことをしたの?」
彼の目線まで体を縮ませ、諭すような言い方だったため、少し不思議に思ったが、きっと先生が彼を叱ってくれるだろう、と少し安心していた。

しかし、彼の言葉に私は衝撃を受けた。

「俺やってないよ。」

は???
まさかの一言。
私の頭の中ははてなマークでいっぱい。
それに追い打ちをかけるような担任の言葉。

「〇〇君はこう言ってるよ?あなたの勘違いだったのよ。」

は???????

正直信じられなかった。
悪びれもせず簡単に嘘をつく彼も、
確証がないとはいえ、その一言で被害者よりも加害者を信じ、更には私の勘違いだったのではないか、と言う担任も。

自分で言うのも何だが、私は彼より成績優秀であったし、担任の話だっていつもしっかり聞いていた。

当然担任は問題解決のためにお互いの話を平等に聞き、被害者である事を盾にするつもりは無いが、被害者側の意見を尊重して私の事を信じ、やっていようとやっていなかろうと、将来のためにも
「こういう事はいけないことだ。」
と、そう言いつけてくれるものだと信じていた。
それなのに。

このとき初めて私の心の中に、
他人に対する大きな嫌悪感と、
教師、と言うより大人に対する不信感が生まれた。

この程度のことで?、そう思われるかも知れないが、本当に平和な幼稚園生活を送ってきた私にしたら大事件だった。家族友達先生みんな大好き!というお花畑な脳内で生きてきたのだ。こんな事が起こるなんて予想もしていない。初めての感情だった。

今思えば、人に対するというか、女性に対する嫌悪感が生まれたのもこの時だったように思います。
このときの担任は女性でした。そして、彼女には二人息子さんが居ました。無意識のうちに自分の息子と同じ性別である男子を可愛がっていたのかもしれません。
ですが、私からしてみればそんなのどうでもいい事です。股間に触れられた、担任が私を信じてすらくれなかった。その事は事実ですし、私は今でも忘れられる事ができません。
『性教育』というものを幼少期から受けていれば少しでも変わっていたのでしょうか。
『性教育』を受けた大人でさえ性犯罪を起こすのですから、変わらなかったかもしれませんね。
でも親や大人の言うことは聞きなさい、と教えられ、躾けられるのですから、子供の頃からこれはいけないことだ、と理解することが出来ていれば子供からの行動でトラウマになる、というパターンはなくなっていたかもしれません。

あなたの性に関するトラウマも生まれなかったかも知れませんね。

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