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社会人一年目は睡眠不足を自慢すると言うが

社会人になったのは19歳。専門学校の企業研修でその期間内に仕事が終わらず、延長でそのまま就職するっていうわりとイイ流れでした(一応面談などは行いましたけど)。研修・就職先は住宅地にある小さな印刷所。当時の社員は20名もいなかったと思います。少人数ゆえアットホームな雰囲気で社長以下みなさん大変よくしてくれました。
当時ネットもさほど発達してなかったので、給料が良いのかどうかは当時わからず不満も特になかったのですが、残業は働いた分もらえたので一発目から25万とか超えていた記憶です。今考えたらものすごい好待遇ですよね。しかしそんな天国も長くは続かず、数ヶ月もしないうちに代理店と経営統合し会社も引っ越します。
3社〜4社くらいが集まったんですかね。気づいたら別の会社に就職していた同級生もいて、なんだか学校の延長みたいな感じになりました(笑)初めての社会、初めてのプロの現場初めての印刷・・・とにかく初めて尽し。先輩が優しく教えてくれるというほど甘くはなく、いきなり出会って5秒で実践。みたいなそんな毎日でした。それでも頑張れたのはスキルが身に付くということと同級生がいたから頑張れたってことだったと思います。
当時車の免許も持っておらず、自動車教習所に通いならが出社してた気が。毎日ほぼ徹夜で週に5日会社に寝泊まり、金曜日に一応帰宅するけど、土日はお昼から出社みたいな生活をしてました。よく死ななかったな(笑)
そんなこともあって教習所に行けない期間が開いたりして、運転の感覚とか忘れて免許取るのもすごい時間がかかり・・・・
そういえば仮免の試験も2回くらい落ちたんじゃないだろうか。
しかしそんな過酷な環境でも慣れ会社に寝泊まりする際少しでも快適に過ごそうと思うもんで、当時自分の机の下に寝袋で寝てたんですがライトやラジオ、本棚を設置したり、引き出しをザッと開けば数枚の着替えからシャンプー、シーブリーズまで全部揃ってた(笑

●1日のざっとしたスケジュール
8:00 起床(机の下からハロニチワ)外の水道で顔を洗う
9:00 始業・上司による案件の確認と修正待ち〜打ち合わせ、別の案件の話
12:00くらい 上司が打ち合わせなどにでかける間、修正作業
16:00くらい 修正した案件の確認〜修正〜打ち合わせ(の繰り返し)
17:00くらい 上司がシレッと帰るのでここから作業に専念
21:00くらい 腹が減るので弁当を買いにいき夕食
深夜12:00 集中力がさすがに切れてくるも帰る術が無く会社に泊まることを決定
深夜1:00〜 泊まるとわかれば作業やるのみ(ちょいちょい眠り出す&帰る社員もいる)
深夜3:00〜 先輩が突然飲み会を始める。お呼びがかかる。
深夜4:00〜 全員死亡・机の下に潜り出す
早朝7:00〜 なんとなく脳が目覚める。二度寝。

という感じがほぼ毎日です。
車がない頃は、同僚に送ってもらったり親に迎えにきてもらったり。
しかしあんな遠い運転とかほんと苦労かけました。。。。
そして泊まる社員が毎日のようにビールを飲むため、ゴミ置き場が尋常じゃない量の空き缶で溢れていて社内で問題に(笑)何度か注意されますがそれでも減りませんでしたね・・・・
おかげで苦いと思ってたビールも飲めるようになったと思います。

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ストリートビューで会社跡地を見るもその面影は1mmもなく(笑)

いつのまにか免許も取得し、車も無理やりローンで買い、居眠りして中央分離帯に車をこすって火花飛び散るみたいな生活を繰り返してましたが、仕事のこなし方なんかも少しずつ慣れてきた頃に別部署で雑誌のプロジェクトが進みます。そのプロジェクトに関わっているディレクターやデザイナーが毎日徹夜で、死にそうになり別の担当が内容確認中に給湯室の椅子で仮眠を取るという姿を見た社長が「さすがにこれは可哀想すぎる!問題だ!」と言い出し、何か対策を昂じるとの事。いや〜あんな社長でもさすがにわかってきたか〜。業務改善の日も近いか?と思ったら後日、仮眠用のベットが2床用意されました。そっちですか(笑)というわけで会社で寝て起きるというまだまだ生活は続くのでした。

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こうなったら乗りたいクルマに乗るってんでこれ買いました。

仕事そのもの・・・は楽しかったですよ。今だからそう言えるって意味ですが。
印刷物を中心に、建物のラッピングとか、園内を走る電気自動車のデザインとか、ロゴマーク、新聞30段、テレビCMとかけっこう貴重な現場に関われたと思います。自分が手掛けたものがテレビや新聞で流れたり、お店で見かけるとなんとも言えない快感でしたね。
この業界にいる人間の特権だと思います(笑)当時、県内最大級のマンションのプロジェクトなんかも何回もダメ出しされたり、やり直したりでほんとみんな覚えていろよなんて思いましたけど、それもいい経験でしたね。今でも活きているスキルがあります。
そんな中、会社はどんどん雲行きが怪しくなってきます(笑)
ボーナスは無い、給料は遅延する、交通費?健康診断?なにそれ美味いの?みたいな。
時にはお仕事でご一緒していた外注のカメラマンさんが突然「いつ金払うんだコノヤロー!」と怒鳴り込んできたり(滝汗)
「○○社さんからなんですけど支払いの件で〜」という声が毎日聞こえてきたり・・
強烈だったのは給料の遅延で、たしか毎月5日が給料日だったんですが、経理のお姉さん(すでに開き直り女子)が
「は〜いみなさん、本日は1律1マソで〜す」みたいな(笑)
もう笑うしかないんですよ。そんな日はちょっといいウナギを食べにいったり、当時流行っていたスターウォーズのおもちゃをトイざらすに買いに行ったりしてその日で使い切りましたね。
最初に就職したハズの印刷所から現在の会社に籍を移し、気がつけば給料も半分以下になってて手取りは9万とかそんな感じだったと記憶しています。といっても給料日には1万しかもらえませんでしたけどね。いや〜実家暮らしでよかったですわ(笑
なもんで「会社が無くなる、解散する」というウワサが流れてきて、審判の日がいつきてもおかしくないと同僚と話しつつも、実績もスキルもない新卒ペーペーな自分らは次につながるコネも、就職活動をする時間もなく土器土器しながら毎日を生きていたわけなんですが・・・
ある8月の暑い日、この日は自宅から出勤(笑)いつも8時すぎには到着。いつもは一番乗りなんですがこの日は社長以下、上層部の方々もそろって早朝から会議をやってたようです。
そして始業開始の9時に社員全員集められ、お話があると。
最初に話し始めたのは共同経営してた印刷部門の社長さんから、会社無くなりますのお話。ついに来たか審判の日
そして自分らが所属していた社長からお話なんですが一言「ありがとうございました」のみ。

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えっそれだけ(笑)なんか拍子抜けでしたね。
もう親指立てながら沈んでいくしかないっていうか。
9時15分には帰りのタイムカードを切るっていう。
いきなり今日で終わりですと言われても的な。
なんかこう、地獄から解放されたような、刑期を終えた気分ってこんな感じなんだろうな的な。
そして「あれ?明日からどうすりゃいいんだ?」的な。
結局途中の案件をそのまま進行するため、担当上司のところでバイトという形で同僚と3人
別事務所で働く事に。そこからハゲを200人以上切り抜きしたりして、何日かすごし一人はそのままその上司の元で働くため残るといい。一人、学校の先生に、そして自分は別の印刷所で就職する事になりました。

今だと大問題になりそうな内容ばかり、あの経験があったから今もこうして生きている、と思っています(笑)
みんなあれからどうなったんだろうー。

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