【小説】ずっと知らない体

~いつ知ったのか

 当時としては私の知る限りでお話をしていたわけですから、私の心にうそはなかったということはご理解いただきたい。私は何も知らなかったわけですし、知らない方がいいことを知っていたからこそ、知ろうとすることを知らなかったとも言えるわけであります。ことある毎に知らない知らないと言っているわけでありますから、これはもうどう考えてもそのまま突き進む以外はないのであります。
 一度知ってしまえばもう後に引くことはできません。そうした理屈を踏まえ、完全に知らなかったという体で話を進めているわけでありますから、いつ知ったのかと問われれば、当然それはごく最近ということになるわけであります。仮にもっと前に遡って知るタイミングがあったとすれば、私が全く知らなかったという前提が崩れかねないわけであります。あくまでも私は知らなかったということが頼みの綱になっているわけでありますから、それだけは何としても死守しなければならないという点をご理解していただきたい。
 結果として私はうそをついていたという話にはなるわけですが、好んでうそをついたという構図になってしまってはもう弁解の余地もなくなるわけでありますから、そうしたことは何があっても絶対に避けなければならないということは、これは誰が見ても明らかであろうと思うわけであります。

~明細書の行方

 明細書を明らかにするくらいのことは、これはもうやろうと思えばいつだって明日にでもできるわけであります。何か誤解を抱かれているかもわかりませんが、私が明細書を隠す理由もなければ出せないという理由もないわけであります。何か疚しいことがあるとか意地になって出さないなどということもないわけであります。あるいは仮に明細書を出したからと言って、私自身が何か不利益を被るといったような心配も全くない。ですから、今すぐ明細書を出せと言われましても、必ずしもそれに従って出すかと言うと、その必要性自体特に感じられないのであります。

 もし仮に私のところにお客さんが来て、お茶を出せと言われれば、私は迷うことなくお茶を出すのだと思われます。むしろ、そうした場合には出せと言わずとも己の判断に基づいて迅速かつ正確な順序でもって出すことができるわけであります。これはもう考えるまでもなく長年に渡り染み着いたおもてなしの精神、美しい伝統がそうさせるわけであります。そうした自然な振る舞いと、いきなり明細書を出せという話とを一緒にされては困るわけであります。これはもう全く次元の異なる話ですから、何でもかんでも相手の要求通りにですね、明細書だ裏帳簿だとか(まあそんなものは存在もしませんけども)、次から次へと出していたらあっという間に丸裸にされてしまうではありませんか。

 私は何も明細書を出さないとか出せないと言っているわけではありません。むしろ、私自身についてはいつでも問題がないと申し上げているのです。しかしながら、これは私だけの明細書ではございません。わざわざ足を運んでくれて美味しい思いをされた方々の気分を害するようなことがあってはまずいと考えられるわけであります。それではせっかく美味しかった思い出が、後味のわるい話に変わってしまうかもしれません。
 餃子が何円、茶碗蒸しが何円、ステーキ何グラムがいくらだ、カレーが数千円であると細かく刻んだ話になってきたとしたら、これは食材の秘密、シェフの秘密、企業の秘密に関わってきます。密は避けなければなりません。近づくべきでもありません。これは専門家の人たちも口を揃えて仰っていることです。

~うその定義

 うそだと言って決めつけることは簡単であって危険でもあると自らのことも含めて申し上げておかねばなりません。瞬間瞬間、部分部分においては、人は誰でもうそつきになる可能性があるのではないでしょうか。
 空は赤いと言えば、昼間だったらうそになるかもしれませんが、夕暮れであればそうではないかもしれません。私は空を飛べると言えば、鳥でもない限りうそつきなってしまうと思われがちですが、一旦飛行機に乗ってしまえば、結果的にはうそではないと明らかになるわけであります。前後の文脈まで見なければ一概にはわからないわけであります。
 冬は寒い。常識的にはそうかもしれません。しかし、暖かい冬もあるわけですし一旦炬燵に入ってしまえば、もう寒くなくなるわけであります。その上でエアコンもつけ厚着をし鍋でもつつこうものなら、これはもうむしろだんだんと暑く感じられてくるわけでもあります。おでんもあるしうどんもあるでしょう。場合によっては雑炊や茶碗蒸しといったものもあるかもしれません。そうした物を口にしてしまえば、冬でも寒くないと言えるわけであります。

 そして炬燵があるならば当然話としてはみかんも出てくるであろうと察しがつくわけであります。みかんの皮を剥いて1つつまんでみると何か酸っぱく感じます。その時にはみかんは酸っぱいと言えます。しかし1つもう1つと口にして行く内にはだんだん甘くも感じられてくる。その時にはみかんは甘いとも言えます。これは別にみかん自体が変化しているわけではなく、私の口の中が変化しているわけであります。酸っぱい、甘いが、一見矛盾するようでもその時々については少しもうそはないということは、ご理解していただけるのではないでしょうか。

 結果的にはうそだと言われてしまうことでも、当時の自分としてはできる限り真実を述べようと努力しているわけで、その姿勢についてだけは一点の曇りもなく本当であろうと思っていただけなければ、辻褄が合わなくなってしまうと申し上げねばなりません。仮に百歩譲って、私はうそつきなんだとこの場で言ってしまえば、その瞬間だけ私が正直者になったように見えるかもしれませんが、私はそのような変化を望んでここまで来た覚えは一切ないと言わせていただきます。

~責任論について

 信頼を寄せていた者が私にうそをつき、結果として私にうそをつかせることになってしまった。逆に言えばまずは私からうそをつき、彼にもうそをつかせることになったということにもなりますが、それは全くの逆であると改めてこの場で申し上げておかねばなりません。
 
 このようなことになってしまったことは誠に遺憾であり、彼自身も責任を痛感し職を辞するという形で幕を引くこととなりました。対照的に私の責任の取り方というのは、それとは全く違うのであります。言わば、やめて簡単に取れるような責任ではないわけであります。もしも仮にそのような責任であるとするならば、私は明日にでも職を辞して一切の後腐れもなく自由な身になって気ままな生活を送りたいと内心では思っているわけです。しかしながら実際のところは、簡単に辞めて終わるような話では決してない。なぜならば、私の背中には過去から現在に至るまで、応えなければならない支援者の方たちの期待が重くのし掛かっているからだと申し上げなければなりません。

 だからこそ、私はこの自らが招いたとも言える難局の中でより一層身を正し、皆様の信頼回復に努めるべく修行に当たり、道場に通ってあらゆる拳法をマスターしたいと考える所存です。カンフー、少林寺拳法、太極拳、あらゆる流派を越えて新しい拳法の改革を目指して行かねばなりません。そしてチャンスとみれば積極果敢に打って出て、手や足や体のあらゆる部分を使って疑惑を払いのけることができれば、やがては世の中の風向きも変わり、長い冬の時代もようやく終わりを迎えることができるであろう。そう考えているわけでございます。

~秘書は訴えない(おもてなしの心)

 改めて言うまでもなく秘書というのは私たちにとって特別な存在であります。信頼の置ける秘書というものは常に私自身に寄り添ってくれるものです。あたかももう一人の自分とも言える存在です。同時に、有能な秘書というものは、常に同じところにいて働くものではありません。今手の届く距離にいたかと思えば、次の瞬間にはもう遠く離れた現場にまで飛んで根回しもしてくれます。最も遠い場合には、別の惑星にいて宇宙人のような存在となり、あまたの星々と密につながっていることでしょう。

 長年の実績と信頼のある秘書というのは、事ある毎にいちいち私に対して相談も報告もしません。またそのような時間も義務も見当たりません。私ならばきっとこうするだろう、私のためにはこうした方がベストだろう。秘書は常にそのように考えて動くことができ、また過去にそのようにしていて実際大きな失敗もなかったわけですから、私の方としても何も問題はないであろうと考えていたわけであります。
 しかしながら、当時の件に関しては万が一にも間違いがあってはならないだろうという思いから、念のために確認もしたのであろうと記憶しております。

「熱くないかね? かゆいところはないかね? 
 本当に大丈夫なんだね」とたずねました。

 すると秘書の方も「はい。大丈夫です。問題ありません」と答えました。
 信頼を置く者の言葉を信じないわけにはいきません。では、どうしてそのような答えになってしまったのか。実は以前よりどうも問題はあったようなのですが、それを言えば私の期待を裏切ることになると考えられ、そうしたことを気にするあまり長年に渡りなかなか打ち明けることができかったというのが真実のようです。
 最近になってそれを知らされ私は非常に残念な気持ちになりました。同時に自身の道義的な責任を深く痛感しました。もっと早くに私の方が気づいてあげることができたならば、こうした結果にはならなかったであろうと思われるからです。

 それでは、間違いを犯した彼のことを訴えるかと言われれば、決してそのようなことにはなりません。勿論、私の中にも迷いはありました。しかし、たとえ大きな過ちがあったとは言え、長年に渡って私のために身を粉にして尽くしてくれた彼の仕事振りにうそはないのです。しばらくの間、私は捜査機関によって彼とコンタクトを取ることを禁じられていました。それは口裏を合わせたりすることができないようにという配慮からです。

 彼は今はもう私から離れ遠いところに行っています。それにも関わらず私が一時の感情に任せて彼を訴えるようなことをしたら、宇宙人の方から密になって攻めてくるかもしれません。彼らが高度な科学を保持していてそれが人類の脅威に当たることは容易に想像がつくことです。宇宙人とは敵対することなく平和と友好の精神、おもてなしの心で接することを忘れてはなりません。一度彼らの方から攻撃が始まってしまえば、それをくい止めるような手段は私たちにはありません。もしも私が秘書を訴えることによってその発端をつくるようなことになっては、まさに人類にとって最悪の事態を招くことになるのです。そうなってしまった場合、弁解の余地は2度と訪れないのではないでしょうか。私に取れる責任など、もはや地球上のどこにも存在しないのだろうということを最後に申し上げておきたいと思います。



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