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あるヨーグルトの夜(がんばったところでがっかりする話)

 数あるヨーグルトの前に立つ時には迷いがある。どれでもいいように見えてもそれぞれにこだわりがある。正解のない棚には躊躇いを広げる時間がある。その時々にある気分と理想がある。選択の余地と悩める自由は幸せの内にある。ありふれて見える物の中に目立って高い物を見つけることもある。他とは違う何か、特別に強いパワーみたいなものがあるのだろう。(これにしてみるか)最初は高くつくけれど、頑張ればよいこともあるだろう。ちょっとずつ食べていこう。そして私はある1つのヨーグルトを手に取る。

 家に帰ってヨーグルトの外蓋を開ける。上に張りついた紙をめくる。
「こ、これは……」
 箱に対して7割も入っていないのではないか。
 高いのはいい。それは最初からわかっていたこと。
 しかし、その内容量は?
 私たちはそれをグラム表示で確認したり、手に取った重さで感じなければならないのだろうか。
 腹立たしいのは、頑張ったところでがっかりさせることだ。
 箱を開けてから(がっかりする人)がいないように、ヨーグルトの箱は駅構内のゴミ箱のように可視化してほしい。

 そんな願いを強く抱く夜もある。


#びっくり箱 #エッセイ #日記 #こんなはずでは

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