竜馬に憧れた少年は、壮年になった

高校2年生の冬、
「吉川英治の『宮本武蔵』もいいけど、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』もいいぞ」と、野球部の練習後のミーテイングで、助監督が、唐突にそんな話をした。助監督が読書の勧めをしたのは、後にも先にもそれだけだったが、私はそのアドバイスどおり、『竜馬がゆく』を読み始めたのだ。

読書なるものは、読書感想文の時に、いやいやするだけだった私だったが、文庫本で8巻にもなる『竜馬がゆく』を、夢中になって読み進めた。
それこそ、3学期の期末試験勉強は、そっちのけになるほど、読書に、いや「竜馬」に夢中になった。

何が、そんなに面白かったのか。
司馬遼太郎という作家の、独特の文体にも、たぶんハマったのだが、何より竜馬という男の生きざまが面白かったのだ。司馬遼太郎が描く、坂本龍馬に、憧れたのだ。

私は、竜馬とは対照的で、まったく面白みのない人間だった。
よく言えば、生真面目。
でも、ただ、それだけ。
だから、竜馬のような器のでかい男に、もうただただシンプルに魅せられたのだと思う。

200年以上続いた徳川幕府、その政権を返す決断を、15代将軍徳川慶喜が実行した。いわゆる大政奉還だ。

それを聞いた時の竜馬の言葉が、下記になる。

「将軍家(しょう ぐん け)今日(こん にち)の御心中(ご しん ちゅう)さこそと察(さっ)し奉(たてまつ)る。よくも断(だん)じ給(たま)えるものかな、よくも断じ給えるものかな。余(よ)は誓って此公(この こう)のために一命(いち めい)を捨てん」

幕府を倒す側にいた竜馬だが、今度は、慶喜を守るために命をかける、と。
もう、この言葉に私が竜馬に惚れる全てが集約されている。

あれから40年近く経ち、竜馬に憧れた17歳も55を超えた。

竜馬のおかげで、読書は趣味の一つになった。
そして、この本に出会った。
『三行で撃つ』近藤康太郎著

3年ほど前に、高校野球部の一つ上の先輩から、勧められて、むちゃくちゃ面白く、それこそあっという間に読み終えてしまった本だ。

そして、先週から、ふたたび、何気に読み始めた。
すると、なんと、最初より圧倒的に面白いではないか。

〈わたし〉なんて、じつにつまらない、ありきたりの、くだらない生き物だ。だからこそ、いつも外に開いているのだ。耳を傾けておくのだ。

外に開いた〈わたし〉は、だから、常に変容していく。影響を受け、憑依され、感染され、変化していく。

注文は、いくらでも受けたらいい。そして注文通りには変えない。注文の上を行く。自分の内面に深く沈み、自分を変える。新しい表現を探す。

外に開き、内に沈む。常に、すでに、未完成で終わる永遠運動。その無為徒労の積み重ねにおいてこそ、めしべは受粉し、生の果実はなる。文章に、ほんの一瞬のきらめきが、訪れる。

わたしで〈ある〉のではない。わたしに〈なる〉のだ。

原稿に、嘲りや、説教、一刀両断にする正義があったとき、そのほんとうに読んでほしい想定読者は、耳をふさぐ。文章とは、メディアだ。メディアとは、媒介のことだ。波だ。どんなに弱い波動であっても、対岸に伝わる波でなければならない。伝導しなければ、文章は文章として、意味をなしていない。

わたしたちが磨くべきは、一刀両断する正義の剣ではない。むしろ読んだ者を恥じ入らせるようなもの。相手の人間らしさ、シャイネスの彼岸に届く文章こそが、目指すべきものだ。

そのための武器が、笑いだ、ユーモアだ。

いい文章を書くには、いい人にならなければならない。それは、汗で書く良き生活者であり、自らを律し他者をこそ憐れむプライドの高い善人であり、好い人、つまり好人物である。だまされやすい。お人好し。少し抜けている。

まなじりを決するのではない。屈託なくおおらかで、おっとりと、他を攻撃しない。つまり君子でなければならない。

ライターは、君子たるべきだ。

正気で言っている。

ライターは、君子たるべきだ。
そうか、私が好きだった「竜馬」とは、君子だったのだ。
なぜか、いいライターになることと、竜馬とが重なるのだ。

お、これなら、17歳の時、決して届くはずのない憧れの「竜馬」に、もしかすると私も近づけるかもしれない。

もし、そうだとしたら、私なんかのような人間は、実につまらない奴であると、そう思って生きてきたからかもしれない。

17歳、『竜馬がゆく』に出会う。
55歳、『三行で撃つ』に出会った。

あの時の、助監督の、あの言葉がなければ、私の人生は、全く別物になっていた。
そして、先輩が、この本を勧めてくれていなければ…

人生とは、かくも不思議なり。



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