お袋とのやりとり

他者との「やりとり」さえあれば、人間は生きてゆけます。たとえ、穴をほって埋めるだけというような作業でも、人がいて、一緒にチーム組んで、プロセスの合理化とか省力化とかについて、あれこれ議論したり工夫したりしながらやれば、そのような工夫そのものに人間はやりがいを見出すことができるのです。

仕事の目的は、結果として価値あるものを作り出すことではないのです。それならどんな手段を使ってもよいことになります。人間が仕事に求めているのは、つきつめていえば「コミュニケーション」です。ただそれだけなんです。人間にとって一番つらいのは、自分の行いが何の評価も査定もされないことです。ただ、ことばを送り、ことばを返すという「やりとり」があるだけで、人間は「もつ」のです。要するに、「やりとり」するのが人間の本質だということです。

「疲れすぎて眠れぬ夜のために」内田樹

昭和19年生まれ80歳になったお袋のことだ。

長男が生まれて1年後、親父とお袋と一緒に住むようになった。 
親父が、18年前に病気で他界してからは、お袋と妻、長男、長女の5人暮らしだ。

とは言え、一階がお袋、二階に我々が住んでいる二世帯住宅だ。玄関とお風呂が共有で、台所とトイレは別々なので、親父がいる時から、基本的には生活は別々だ。

家事を一切やらなかった親父だった代わりに、お袋が、一人で全ての家事をこなしていた。でも、料理で人をもてなすのも好きだったし、綺麗好きなので、それこそ、こまめに部屋を掃除し、その働く姿は、あまりに当たり前のような日常だった。

そんな、お袋も、ここにきて、だいぶ様相が変わってきた。
まず、掃除好きだったお袋が、掃除があまりできなくなった。洗面所や玄関など、よく見ると、かなり汚いままなのだ。

そして、一昨日は、もうほぼ寝てるだけ。
雨戸を開けるのも、洗濯も、料理も自分ではしない。
幸いにも、近所に叔母が住んでいるので、もう、それはそれはよくお袋の面倒を見てくれるのだ。
数年前にも、一度、めまいがよく起こり、ほとんど寝てるだけの日々が続いたときも、叔母が身の回りのことをしてくれたのだ。

当時は、私も妻も、仕事でほとんど朝から夜までいないことが多かったので、お袋の世話は完全に叔母にお任せしている状況だった。

しかし、今回は、私は以前よりも、時間が空いているのだ。当たり前だが、同居している息子が、面倒を見ずに誰がみるっていう話だが。

なにせ、社会人になってから、お袋とまともな話なんてしていないから、何を話したらいいかわからない。今までどおり、「飯食ったのか?」
「少しは動かなアカンよ」とか、言うくらい。

それでも、今回の衰えぶりに、いささか動揺している自分もいる。
介護というものが、現実として訪れるかもしれないと。
そうしたら、仕事は、お金は、などと本来は、もう少し前から真剣に考えておかなければいけなかったことが、現実味を帯びてくるではないか。

それでも、昨日、これまた近所に住んでいる姉が車でやってきた。
「〇〇さん、連れてきたから」
と、よく見ると後部座席に、お袋の長年の友達が乗っているではないか。
もちろん、私もよく知る人である。
「茂くん、久美ちゃんから、聞いから、とんできたよ!」

そうなのだ、〇〇さんは、姉から、お袋が元気がないと連絡を受け、すぐさま駆けつけてくれたというのだ。

朝は、一昨日と同じく、まるで病人のようだったお袋が、〇〇さんと話していると別人のように顔が明るくなっているのだ。

改めて、お袋が調子悪いのは、身体だけでなく、精神的なものも大きかったのだと感じた。
二世帯で、完全に別な生活を送っていたお袋は、親父が他界してからは、常に1人で一階で生活していたのだ、そりゃ、やっぱり寂しいに違いなかったのだ。
もちろん、元気な時は、お袋も、自分の足でどこにでも行けたのだから、色んな人に会ったり、美味しいものを食べに行ったり、とストレスを発散する機会は沢山あったのだ。

ところが、体力が落ち、自分の足で遠出できなくなってからは、近所の散歩くらいで、会う人も限らていたのだ。

それなのに、私は相変わらずのやりとりしかお袋とはしてこなかった。
〇〇さんが、昨日来てくれて、明らかにお袋の表情が変わったのを見て、冒頭の内田樹さんの言葉を思い出したのだ。

「やりとりするのが人間の本質だ」

あと、何年、お袋とやりとりができるのだろうか。

今からでも遅くない、もっとお袋とやりとりしようと思う。


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