充実と聞くと、美味しいジュースが浮かびます

今の自分を表す言葉を探して、ネットの検索箱にキーワードを放り込んでいく、と言う事をこの連休やってた。まあ、そんなに時間はかけられないので、トータル2時間くらいかな。
結局ピッタリな言葉は今のところ見つからず、日本語だときついから、英語に変換したりして。
例えば敗者。loserに変換される。なんか、和らぐでしょ。カタカナでルーザーなら、本質からより離れられる気がする。

それで今現在、検索遊びはやめているのだけど、それは、放り込むキーワードを色々帰る内に、"出世レース"にたどり着いたから。

たどり着いて、途端に気持ち悪くなった。

僕が、万が一、そのレースの最後尾にでもいれば良いのだけど、もう、走者にもなっていない光景がありありと目に浮かんだんだよね。
惨めな気分になったんだ。

昇格は15年くらい出来ていない。
プライドをかなぐり捨ててやり直している最中だけど、人間、そう簡単に素直な真っ白キャンバスには慣れないのを思い知る。
目と鼻と口の内側が、ネガティブ液体でいっぱいになって、顔を触るたんびに手のひらいっぱいに無色透明の液が溜まる。

走者になると決めたこと、それは走る以外を諦めた事と近似だった。
走る以外の行き方(これ、生き方とかけてますけど)があるのは知ってたけど、まさか自分の走りがここまで非効率的で、なんなら走るたびに屁をこいたり、踏みしめた地面から生命反応がなくなったりで、周りに迷惑かけている事になっていようとは。

出世レースから降りて、ひとときストレスから解放されたとしても、何になるんだろう。

考え直し、出世レースしてる今でさえ、僕はある種転落しているのかもしれない。

目の前で息子が絵本を読んでいる。文字を書いている。足し算をしている。
「うんちがしたい」とまっすぐ見て言う。
息子は一人でうんちができるが、トイレで向かい合って座って見守ることが必要な段階。
所謂きばる際に、息を止め、視線を一直線にする。
一直線な視線は、「何やってんの」と僕に問うているようだった。いや、本当に。

どうしよう。

また明日から、ピカピカのランニングシューズを履いて、1メートルを1000歩で走る日がはじまる。

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