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エジンバラの驟雨

エディンバラタツー


エリザベス女王のニュースが、スコットランドを思い出させてくれた。エジンバラはロベルトの第二の故郷だ。
今月8日に死去したイギリスのエリザベス女王のご遺体が11日、北部スコットランドのバルモラル城からエディンバラに向けて、棺を乗せた車で運び出された。

バルモラル城

棺はいったんエジンバラのホリールード宮殿でお別れの時を過ごしたあと、セントジャイルズ大聖堂にうつされた。

ホリールード宮殿

女王の棺はエディンバラに到着後、大聖堂に移され、一般の人たちが弔問に訪れる。バルモラル城やホリールード宮殿は、多分訪れてはないが、大聖堂は何度か行っている。それも昔の話だが。

セントジャイルズ大聖堂

エリザベス女王が即位したのは、ロベルトが生まれた1952年のことだ。在位は、ビクトリア女王の記録を2015年に抜き英国史上最長。在位70年、社会、政治の激変のなか、公務を続けた。2021年4月、73年間連れ添ったフィリップ殿下が99歳で死去した。それにしても女王も殿下も長寿だった。長寿の秘訣を教えてもらいたかった。使命、家族、笑い,健康食、ペットとの生活、・・・・。

ポルトベーロ

エジンバラが第二の故郷などと書いたが、1976年の曇天が続くエジンバラの街でカナリー諸島から来たマルコスと一部屋をシェアーしていた。このプロムナードのどこかに住んでいたはずだが,なにせ45年前のこと、思い出せない。


ポルトベール プロムナード


ポルトベーロは、夏なのに冷たい風が北から吹いて霞がいつも街を包んでいた。家には、4人の子供がいた。デビット、ユネス、タニアとケビン。

元気にしているかな。

スコットランドの冬を表現するには“憂鬱”の一文字があれば十分だ。暗くじめじめした日が続く。パブで酒を飲むか、本でも読んで春を待つしかない。そんな街からクリスマスが近づくにつれて、逃げ出したくなったおもいでがある。下宿の主人はオードリーさん一家。休みの日はフットボールの話で10時と午後3時のティータイムは盛りあがった。 ティータイムの紅茶の味は忘れたが、みみを落とした食パンに砂糖をつけ、バナナを挟んだ“バナナサンド”が食卓に毎回並んだ。“寒い国だし甘い物が必要なの、イギリスの砂糖は100%輸入している貴重品よ。バナナはアフリカから何時でも沢山運ばれてくるし健康にいいのよ“。バナナサンドはエディンバラの冬空の下、薄味の紅茶に甘さを与え、いつの間にかロベルトの大好物になっていた。パンと砂糖とバナナがあれば特別なレシピーはいらない。


バナナサンド

ロンドンとエディンバラの間はいつもナイトスコットマンを利用した(夜行列車なので当時フライングスコットマンをナイトスコットマンと呼んでいた)。エディンバラには朝6時に着いたが、下車を強いられることなく朝の活動が始まる9時ごろまで汽車の中で時間を過ごせた。ホテル代が浮くこと、それにモーニングティーを、制服の英国紳士が部屋に運んでくれた。すすけたエディンバラの駅舎の天井とこの粋なサービスにイギリスの伝統を思い出すが、今もこんな贅沢な汽車の旅が許されているのだろうか?
 

ナイトスコットマン


女王の棺はこれからロンドンに向かう。汽車で運ばれることは無かろうが
快適な旅をお祈りする。She will always be in our heart.


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