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下北沢で会いましょう

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コワーキングスペース「ロバート下北沢」のオーナー・原 大輔が綴る、ロバート下北沢を作ったワケ。そこにはいろんなものが繋がっているストーリー。
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#コワーキングスペース

【第16回】無色透明からカラーになった瞬間

あと30ページ分を印刷に入れて終了というその日の夜、事件は起こった。 作業していたMacの画面が突然ブラックアウト...。 いまでは考えられないかもしれないが、20年前のMacは突然フリーズする「爆弾マーク」というものが出ていた。 グラフィカルに「爆弾」が出て、かわいいね〜なんって言ってる場合じゃない。 30ページ分のデータが一気に吹き飛んでしまったのだ。校了まであと5時間くらい、その時、俺は...。 そばのソファにふて寝してしまった。 もう寝るしかなかった。知り合い

【第12回】グラフィックの世界に入り込め。

設計会社での1年ちょっとの間、下っ端ながらPCを扱わせてもらったり、内田塾に通ったりいろんな経験をさせてもらった。Macに触れ、自分が考えたものが瞬時に画面の中に表現ができることに遭遇した俺は、インテリアからグラフィックへ興味が動いていた。 転職雑誌を数冊見ながら、片っ端から電話、もしくは履歴書を送りまくった。面接すること数10件、美大やグラフィックの専門学校も出てないし、インテリアでの経験も1年ちょっと。ほとんどの会社の反応は悪かった。面接してくれたところもあったが、

【第10回】野生の証明〜不器用な男ですから〜

認知、集客のために、なんでもやった。トークイベント、ワークショップ、落語の会、そしてパンマルシェ。特にパンマルシェは好評だった。都内の名だたるパン屋さんを厳選して、夕方までに作ってもらって、そのまま羽田へ。(段ボール50箱!)福岡空港に到着して、レンタカーで店まで運んで夜中に陳列。その日の朝にオープンと、かなりの綱渡りで行っていた。朝にはもうお客さんの長蛇の列。正直ビビった。ここまで反響があるとは。。おおよそ200人くらいは並んだじゃないだろうか。 最初はクレームもいただい

【第9回】地方で回す「義理経済」

のっけから強烈な三河のじいさんの出会いもあったが、嬉しい出会いもあった。 こっちが呼んだのではなく、ふらっとやってきたと言った方が正しいのかもしれない。店に立ち寄った若者5人が自立していったのだ。 お茶の仕事がしたいと言ってた保母の女の子、民泊をやりたいと話していたショップ店長の女の子、独立して自分たちの名前でやっていきたい陶芸家夫婦。地元でプロダクトやグラフィックの仕事で独立したばかり男の子。そのだれもが1、2年で実現していき、いま活躍中だ。 独立することは困難を伴う

【第8回】その出会いは、突然に

Fountain Mountainを開くときに考えていたこと、大体この5つだ。 ・街に毒を盛る ・自立した人たちとのつながり ・街の雰囲気に飲まれない ・街で変わってると思われる人との出会い ・街の系譜を探る 毒を盛る。第7回に書いたとおりだ。街に刺激を加えるために、よりクリエイティブでヒントになるものをどう投下していくか。街の悪い先輩みたいな。 自立した人たちとのつながり。幸いにもこの街に新しい場所をつくる前にインタビューした人たちがいた。その人たちはしっかり自分で考え

【第6回】とうとう始まってしまった

佐賀のプロジェクトに関わってもらった設計会社の二人と接していく内に俺の中で湧き上がったもうひとつの「デザイン」があった。それは、カタチのないものを形にしていくこと。簡単に言うと「状況」をデザインしたいと思ったのだ。 それはまさに「パブリック・スペース」に関わったことで思いを強くしていた。いきなりカタチあるものを前提に考えるのではなく、人を考え、状況を作る。そして形あるものをデザインしていくことと勝手に考えている。 さて、佐賀のプロジェクトだが、会社は作ったことはあるが、他

【第5回】場所を作ろうと思う

強烈な出会い話が下北沢からいきなり遠く九州の佐賀に飛んでしまったワケだが、これにはもちろん理由がある。 2014年くらいから仕事で、とある建設設計会社の2人と「パブリック・スペース」についてのお手伝いをさせてもらっていた。俺たちみたいに、グラフィックなど紙媒体中心のデザインをやるものにとって、都市や地域のことなんてほとんど考えもしない。しかも彼らは20年、30年先を見据えて思考している。こっちの仕事は1ヶ月、長くて1年くらいだ。想像できなさすぎて、途方に暮れた。最初はかなり苦

【第4回】会社を壊した。じゃぁ俺は?

ウチの会社に他の人のノイズを混ぜ合わせることで、ここ下北沢での活動が始まった。 古株のスタッフの独立など入れ替わりもあり、会社も若手スタッフの人数も多くなってきた。後輩の編集プロダクションやデザイナーのメンバー、フリーで加わった外からのメンバーたちがいい感じにウチの会社をかき回してくれていた。はじめこそ、みんな戸惑っていたとは思うけど、次第に心が通い合うようになって、若手メンバー同士で飲みに行ったり、スタッフたちは先輩たちに業界のいろはを教えてもらったりしていた。停滞してい

【第2回】街に降りよう!

自分でnoteを始めるにあたって、とにかく1日1記事を目標に書いてみようと思っている。100日でなんちゃらのワ◯みたいなね。 ここでは下北沢に移ってきた経緯やロバート下北沢を始めようとした経緯などをつらつらと語っていきます。 懐かしい「匂い」シモキタに来たのはおおよそ20数年ぶり。デザイナー駆け出しの頃、友人がシモキタに住んでいたりしてよく遊びに行っていた。今だとご飯屋さんの「山角」があるその並びにあった「BEBE」という店なんかに飲みに行っていた。自由な雰囲気でシモキタ

【第1回】はじめました

はじめまして、原 大輔といいます。こんにちは。下北沢でコワーキングスペース「ロバート下北沢」をやってます。代表の原です。カンタンな自己紹介をやっていこうと思います。 本職は雑誌をメインに広告や冊子などの企画、デザインをやっている株式会社スロウを経営してます。 27歳でフリーのデザイナーになって、36歳で法人化して株式会社スロウとして現在に至ります。なんのキャリアもなく無謀にもフリーのデザイナーになって山あり谷あり乗り越えて23年目を迎えます。 このマガジンでは、下北沢に