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みぎあしひだりあし

「おや、まぁ。今朝はベッドから降りる足を間違えたようだね。」

海外児童文学で、何回かこんな表現に出会った覚えがある。
起きてきた子どもが最高に機嫌が悪いときに使う。

でもどの本か聞かないで。
とにかく
「耳の後ろもちゃんと洗ってね。」
よりかは頻度は落ちるけど何度も目にしたこの表現を私はちゃんと覚えてる。

わけわかんないことは、調べずにどんどん読み飛ばすのが私の読書スタイルだ。そのうちなんとなくわかることもあるし、書いた小説家には申し訳ないけど、わかんなくてもそんなに困らない。私は続きが知りたくて次のページをめくりたいのだ。私を夢中にさせた小説家が悪いのだ。(言いわけです。ハイ。)

話が脱線した。

「足」だ。


ボディサインについての本だったかなんだったか忘れてしまったけれど(こんなんばっかりなのでいい加減に読んでくださいね)
右足と左足には役割がある。

右足が前に出ているときは、こちらが主張したい時だ。

逆に右足を後ろに控えて左足を前に出していると、相手の話をきく体制に入っている。

本に書いてあったのはここまで。

以下は私が考えたこと。

足を組むという動作。

右足を左足に乗せて組む。
これは聞きたい気持ちを抑える。
相手の言うことを受け入れてしまいたい気持ちをどうにか抑えるイメージがある。 

左足を右足に乗せて組む。
これは何か言いたい気持ちを堪えるイメージだ。

足は組まない方がいいのだけれど、
私は右を左にのせる傾向がある。
つまり相手の言うことを鵜呑みにしたいが、やはりいったん自分でも自分の心に尋ねてみたいところがある。

もう一度言う。全部私の空想だ。
いい加減に読んでほしい。
それから私は人の足をみたりはしないしできない。自分の世話だけでいっぱいいっぱいだ。

ロマンチックな気分になりたければ
カップルで踊るダンスだ。
ステップが決まっている。
相手が右足を出してこれば
こちらは左足を引くことになる。 
こちらが右足を出せば
相手は左足を引く。
これは理想的な会話のようである。 ぶつかり合ったりしないし
気まずい沈黙もない。

話で相手を見極めるより
2、3曲一緒に踊ってみたら
相性がわかると思う。

こちらがいかにダンスが不得手でも
相手次第でスルスルと踊れるということがあるはずなのだ。

踊りが上手なもの同士でも
リードする気分がぶつかり合ったりするだろうし、あんまりするする踊れてしまうのも面白みがなかったりするだろう。

ステップとステップを決める音楽、踊る相手、踊る場所それらもろもろの条件の全てが巨大な舞台設定であり魔術である。

踊ることでベッドの中の姿だって想像できるはずだ。

足の話なので踊ることばかり書いているが、男性の奏でる楽器に合わせて女性が歌ったりするのも考えようによってはかなりエロティックな作業である。

と、ここまで妄想だけでつらつら書いてきたが
私は社交ダンスを踊った試しもなければ、
人前で歌を歌うこともしたりしない
(何故かボイトレいってるけど)



しかし私は屈しない

(屁はする)
#なんのはなしですか

「屈しない夏フェス2024」

風の歌のナウシカさんの
「屈しない夏フェス2024」
(青豆ノノ氏公認)に
sanngoさんにも誘っていただき
ついに参加させて頂きます。


風の歌のナウシカさん
sanngoさん
青豆ノノさーん

これであってますかー?🤭

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