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キーボード

7月18日、今日はお母さんにやっとキーボードタイプのピアノを買ってもらいました。Bluetoothでスマホやタブレットと接続できるので、いろいろな音源を流すことができます。なぜ買ったかというと、幼少期から音楽に関わって生きていたからです。そのお話をします。

私は、5歳から15歳くらいまでエレクトーンを習っていました。エレクトーンとは、ヤマハから販売されている電子オルガンのことです。鍵盤は2段に分かれていて、右鍵盤と、左鍵盤、そして足元にはベースとなる左足で弾くペダル、右足で音量などを調節するペダルがあり、全身で音楽を表現します。

就学前は、グループレッスンを受けていました。5、6人で一曲を分担して弾いたり、先生の周りで歌ったりしました。歌うことは苦手でしたが、毎週同じ友達と会って歌うだけで楽しいと思っていました。大きくなるにつれて一人、また一人と辞めてしまって、寂しい記憶があります。

小学生のときはよく学校でピアノの伴奏をしていました。エレクトーンでもピアノでも、弾くことが大好きだったのです。周りからどう思われるかなど関係なく、好きなことを追求していました。しかし、レッスンに通うことはあまり好きではありませんでした。毎週土曜日、30分のレッスンでした。他の日に練習をしなければいけないのですが、一度も練習をしない週もありました。それでも、弾くことと先生は好きでした。小さい頃から同じ先生に教えてもらっていて、優しく、できたら褒めてくれて、できないところはアドバイスをくれて、途中で間違えても気にしないで進んでと背中を押してくれて、本当に大好きでした。字が四角くて、可愛らしい字を書きます。そして、いろいろな色のペンを何本も持っていて、たくさんの色で楽譜に書いてくれます。髪の毛はまっすぐで、いつもハーフアップをしていました。そんな先生が大好きでした。先生に会いに行っていたといっても過言ではありません。しかし、小学4年生で県内ですが、他の市に引っ越すことになりました。最初は通っていましたが、遠かったため、市内で通うことにしました。放課後20時くらいからのレッスンになりましたが、先生が変わらなかったという理由で続けていました。

中学校に入り、エレクトーンやピアノを弾くことは減りました。思春期特有の、何かでしょうか。大勢の前で弾くことはもちろん、家族の前ですら弾かなくなり、ヘッドフォンをして弾いていました。エレクトーンを弾くことが私のストレス解消法でした。3時間続けて弾いていたこともありました。何も考えず、ただ夢中に弾いていられるのです。しかし、途中で教室の場所を変え、先生も変わり、続ける意欲が全くなくなり、部活のバレーボールもあったため辞めてしまいました。後悔はありませんでした。

高校生になり、合唱コンクールで渋々伴奏をすることになりました。クラスの中で、他に手を挙げる人がいなかったのです。家にエレクトーンはありましたが、ピアノはありませんでした。ピアノとエレクトーンは、似ているようで全く違うのです。ピアノで弾く曲をエレクトーンで練習することは無理がありましたが、音を覚えるだけでも練習しました。高校には音楽科があったため、個室のピアノを演奏できる教室がいくつかありました。音楽科ではありませんが、使っていいかもわからないですが放課後そこに通い、毎日一人で練習していました。部活の前、部活の後、休み時間、暇な時間を見つけては通っていました。ピアノのペダルの使い方、重い鍵盤、全てに自信がなく、落ち込む日もありました。しかし必ずやり遂げるという強い意志がありました。毎日が努力の積み重ねでした。

そして高校2年生の伴奏では、結果としてあまり満足できませんでした。合唱自体ビリでした。私は何度かミスをしました。悔しくて泣きました。孤独だと感じていました。他のクラスメイトは楽しそうに一緒に歌の練習をしているけれど、私だけ他の場所でピアノの伴奏を必死にしているのです。次の年、弾きたくありませんでしたが、同じクラス同じ担任だったため、必然的に担当にされてしまいました。私に選択肢がありませんでした。それに怒り、次の日私は、頭が痛いという仮病で学校を休みました。初めて休みました。次の日は学校に行き、怒りがモチベーションになりました。その代わり私が曲を選ぶといい、弾きたい曲を選びました。今思い返すと、なんて頑固な高校生だと思いました。その曲は、伴奏曲の中で難しいレベルだと聞いたことがありました。だからその曲にしたのです。その日から必死に練習を始めました。練習の仕方や音の覚え方なんて自己流です。それでも絶対やり遂げると誓っていました。そして本番、なんとノーミスで弾き遂げたのです。2年生のときは緊張で手がガクガクでした。しかし3年生になると自信があったため、全く緊張せずに弾くことができました。演奏が終了したあと、笑顔でお辞儀をすることができました。とても大きな達成感を味わうことができました。家に帰り、親にたくさん話しました。とても嬉しそうでした。伴奏を受け入れた理由は、親のためでした。通っているときは気にしたことがなかったけれど、辞めてからたくさんのお金がかかっていること、決して裕福な家庭ではなく、共働きで親も同級生と比べると若いです。それでも10年も通わせてくれたのです。そのありがたみにあとから気づき、習わせてくれた恩恵を伴奏することで返そうと思ったのです。

毎日必死に練習をしたことで、成長したことがあります。それは、自信がなくても、自己流でも、強い気持ちがあればやり遂げられるのだなということです。私は努力の積み重ねが苦手だったので、大きな成長の機会となりました。

そしてそれから3年たった今、お母さんはキーボードを買ってくれました。

今度は弟がピアノを弾きたいと言ったのです。実は妹も私の真似をしてエレクトーンを習っていました。今は家族で、リビングで下手くそながらも少しずつ弾いています。

弟はドの位置がまだわかりません。鍵盤にドを書きたがります。もちろんだめと言いました。書かずに、自己流で覚えられるからです。私は2つの黒い鍵盤の左下と覚えました。他に何か覚え方があったら教えて欲しいです。

右手と左手で別の音を弾くのは難しいと言われました。確かにそうです。ですが、右手から覚え、そのあととてもゆっくり左手を合わせていくと、音楽が出来上がるようで楽しいのです。私はそのように一曲を完成させます。それも小さい頃から教えてもらった先生と同じ弾き方です。

私は小学生の頃、ピアノの先生になりたいと言っていました。本心ではなかったときもありました。それでも、音楽と関われてよかったと思っています。私は普段小さなことに感動します。感受性が豊かで、繊細なのです。身の回りにたくさんの幸せが落ちています。しかしそれに気づかないときもあるのです。情報や暗い気持ち、他人の声に埋もれてしまっているときがあるのです。できるならば、弾くことが大好きだった小学生に戻りたいです。でも、自分が小さな幸せや生きがい、人の気持ちがわかることを理解してから、大人になってよかったとも思います。


明日からまた、私はピアノを弾きます。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


Roa

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