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鉄道:坂を上る明治の線路(信越本線・松井田駅~西松井田駅)

明治初期、東京と京都・大阪を結ぶ鉄道は、現在の東海道本線のルートではなく、中山道に沿ったルートで建設することが決められた。その方針に従って着々と工事が進められたのが現在のJR信越本線・しなの鉄道の線路であった。
中山道は、そもそもが本州の内陸部を通る山岳ルートなのだが、東京から西へ向かって行くと(中山道に沿うので、正確には、一旦高崎まで北上してから西へ向かうのだが)最初に立ちはだかるのが碓氷峠である。
松井田駅・西松井田駅付近は、峠に向かって25‰勾配(1,000m進んで25m上る)という鉄道としては急な勾配の線路が真っすぐに敷かれている。途中、碓氷川の広く深い谷を越え、急勾配の直線にスイッチバック式で設置された駅の跡があったりと、見どころも多い。

上碓氷川橋梁と高築堤

碓氷峠へ向かって登っていく台地を、碓氷川が蛇行しながら削って深く広い谷を作っている。その谷を、これまでの高さを維持しつつ高い位置で越えていく必要がある。とは言え、明治の初期にそんなに長大な橋を架ける土木技術はない。そこで、築堤を築いて川の流路の部分だけ橋を架けるという方法が採用された。
まずは空撮で全体を見てみる。川の蛇行の「内側」に築堤がぐいっと入り込んでいるのがわかる。

川の蛇行の内側(滑走斜面)=川の侵食作用を受けない場所を築堤で処理をして、架橋部分を極力短くしている。

碓氷川左岸下流側から見上げた高築堤

碓氷川右岸下流側から

上碓氷川橋梁
今の鉄橋は1940年(昭和15年)に架け替えられたものだが、その際に他の場所で用いられていた古い橋桁を転用している。橋桁の銘板には製造年やメーカーが記されていて、トラス部分は1910年(明治43年)Patent Shaft & Axletree製造、桁橋部分は1911年(明治44年)川崎造船所兵庫分工場製造ということがわかっている。

旧松井田駅スイッチバック跡

空から信越本線・松井田駅(旧駅)のスイッチバック跡の全景を撮影した。
ここは台地の上に配線が広がっていて、全体がわかりやすい。25‰で一直線に登っていく本線は迫力ある。

西側の引き上げ線跡で、跡地に住宅が一列に並んでいることから雰囲気が残っている。

東の駅舎があった側で、こちら側は廃線跡が道路になっているのでよりはっきりとわかる。

旧松井田駅が一度廃止された後、ほぼ同じ場所の本線上に改めて設置された西松井田駅。

移転の経緯を年表にまとめると次の通り。
(1)1885年(明治18年)松井田駅(旧駅)開業(スイッチバック・本線通過型)
(2)1962年(昭和37年)複線電化に伴い松井田駅が現在地に移転
(3)1965年(昭和40年)旧駅跡(本線上)に西松井田駅開業

国土地理院撮影の1960年代の航空写真には旧松井田駅のスイッチバック跡地がはっきりと写っている。

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