街に出る理由。

あの喫茶店の雰囲気、


あの場所の雰囲気、、


それはかけがえのない、二つとない雰囲気や場所。


それはどっちが下とか上とか、上等とか下等とか、高いか安いかではなく、


全てが唯一無二の空間である事を、

ただ、それぞれが深めている場所であり、

それが唯一無二の雰囲気を作る。



自分は時代遅れなんじゃないかと
誰かと同じようにする必要はない。

時代遅れすら、唯一無二の雰囲気になる。


その時に流行っていたインテリアが、
時代が過ぎて唯一無二になる。


それは誰かに「ダサい」とか「遅れてる」とか言われてしまう事かもしれない。


けど、そこにある侘び寂びや、記憶や、匂い、朽ちていった壁や、椅子や机の傷。
そこに集っているであろう、人の気配や匂い。



それはもう唯一無二としか言えない。



古民家や、歴史的建造物に、「ダサい」とか「遅れてる」とか言うか?


その人は、その建築物や、街、全てが流行りに合わせて変わって欲しいと望んでるのか?


世間の言う「遅れてる」なんてのは、
自分の考えも価値観も尺度もない人間の、世間と迎合していないと怖いという弱さから来る中傷だ。


俺はその人のあるがままでいいと思う。

家も、車も、街も、ファッションも。

どうせ人は、どれだけ留まろうとしても変化する生き物だ。

家や車は壊れるし、服もボロくなる。ずっとはそのままでいられない。
街も破壊と再生を繰り返す。

逆に留まれるという事は個性だ。



またそんな美しさを味わいに、街に出ようと今日も思う。

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