2024/6/4

風が向いていない。何かが起こって、その挽回のためにしたことがまた裏目に出て、その挽回のためにしたことがまた裏目に出て。挽回、というほど過去に縛られたようなことでもなくとも、俺はあえて、自らの不幸のために別のことに気持ちを向けて一歩踏み出していこうとする動きを挽回と表現しよう。全てのことが偶然的で必然的である。偶然的にも必然的にも受け取れる。世界の真理が偶然だとしても、俺たちは偶然を認められるほど論理的に出来ていない。必然を信じてしまう。もういいんだ。色んなことを一度必然的だと思ってみよう。そうすれば、何か救いが見えるかもしれない。俺はあえて、この心の動きを理解できない者をおめでたい幸せ者だと呼ぼう。別にそれで誰かを納得させたり改心させることはない。過去の自分がそう思っていたように、理屈の通用せぬ馬鹿者だと思われるのだろう。痛み、不幸、貧困、悲しみ、不運、そういったことは人の世に必ず存在することで、遅かれ早かれ、多かれ少なかれ全ての人間を襲う。そしてその瞬間、これまで歯牙にもかけなかった考え方に全てをベットしなければならないようなこの感覚。遅かれ早かれ。多かれ少なかれ。もうそれならそれでもいい。とにかく、今は自分を安んじる方向にどんどん向かっていこう。

もういいんだ。少しずつ、全てを理解していこう。そして、また何かに希望を見出せる時は来るだろう。それもまた自分の努力によってではない。巡り合わせの必然できっとそうなる。その時にもっと深みのある人間としてもう一度、俺を縛る、俺の直感を否定する、俺が正しいと思うことに対峙する、全てのものに宣戦布告を。もっと大きな人間となって、全ての俺を否定するものと。俺は戦いに疲れた。何をしていても何かに否定されているような生き方にはそれ相応の体力がいる。早い話が、自分の直感をへし折り、自分の幸せを世間の幸せや普通の生き方に寄せて、もっともらしい言い訳と、心の中にそれはそれで存在しているいくばくかのそれを支持する気持ちを無理やりに増幅して一般的な、誰からも否定されない生き方、正確にいうと否定する人を周りに作らないで済む生き方をすればこんな戦いなんて不要だ。頼むから、大した戦いの中に身を投じていないにもかかわらず、そんな生き方でも俺は、私は戦っているものがあるんだみたいな言い方はよしてくれ。あなたたちは本当の意味で戦っていない。いやしかし、いはんや俺自身もなのか。ああもう分からない。しかし、俺はとにかく疲れた。しばらくこのクソみたいな同調圧力やオーソドックスに収まることで精神的安定を得ることが大人のように語られるこの風にスウェイしよう。

札幌発の劇団Road of座のブログです。主に代表で役者の大橋が更新しています。サポートよろしくお願いします!