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フリーナを語らずして如何に価値を知る

フォンテーヌ編最終章の「第四章 第五幕 罪人の円舞曲」にて明かされた、「フリーナ」というキャラクターがあまりにも語らずにはいられないので語ろうと思う。
今日はありえん寒くて手がかじかんでいるのだが、それを言い訳にしていると墓場まで持っていきそうなのでさっそく始めていこう。

当然だが本記事ではフォンテーヌ編のネタバレを多分に含む。
言及するのは以下。

  • 魔神任務 第四章 第五幕「罪人の円舞曲」

  • 伝説任務 頌歌者の章 第一幕「水の娘」


魔神任務 第四章 第五幕「罪人の円舞曲」

”七神”というプレイヤーへの刷り込み

かわいいね

まずそもそも大前提として、第五幕でのフリーナの描写になぜこれほど心打たれているのか。それは第一幕より長きにわたって描かれてきた”神としてのアイコン”の強調が最も大きいだろう。

フリーナは初登場時から一段高い位置でプレイヤーを見下ろし、不遜な態度を取り続けることで、その偉大さを絵面や言い回しによってアピールしてきた。もちろん神の力こそ振るいはしないが、プレイヤーはゲーム側から「この不遜で偉大な立ち振る舞いこそが神である」という刷り込みを長期に渡って受け続けていたのだ。

ストーリーを読む中で分かる通り、もちろんその刷り込みを受けていたのはプレイヤーだけではない。フォンテーヌの国民たちもだ。
(匂わせで推測ができるとはいえ)フリーナこそ水神なのだと、プレイヤーの潜在的な認識を国民の立ち位置と重ねることで、プレイヤー自身も「今までずっと騙されていた」と思わせ、より深くストーリーに入り込ませられる。

こうしたプレイヤーごと世界に引き入れるような構造にまず惹かれた。ストーリーの中身以前に、ここまで無意識的に刷り込まれていたイメージを覆していく衝撃が、ストーリーを読み進める強い原動力になっている点がとても良い。

選択する重さと責任の追体験

舞台上でこそ気丈に振る舞うが、内面が恐怖から語りかけている

そして第五幕における最大の見どころである、フリーナが今に至るまで歩んできた長すぎる道のりを知る心象パート。
フリーナの人生を表すがごとく、スポットライトに照らされた彼女に対して照明を落とすことで”演じる”必要なく独白が始まる流れは、この手の描写においてシンプルながらもうまくできていた。

自身が特に強く打たれたのは、フリーナが初めて表舞台に立ったシーン。もとの彼女は内気で繊細なところがあり、演説の入りからその心の弱さが民衆に伝わり「彼女は本当に神なのか?」と多くの疑念に晒された。

そこからその弱さに気付かれてはなるまいと、今のフリーナのように全てを見下すように、そして大げさに語ることでなんとか場を乗り切るのだが、その表と裏を同時に描いているところが非常に良かった。

この選択肢は一文ごとに細かく現れ、恐怖を加速させる

画像にある通り、演説中はいくつかのタイミングで選択肢が出現する。上の選択肢は彼女の裏を示しており、「とにかくやり遂げなければ」と弱々しく”礼儀正しく”やろうとする。
しかし下の選択肢は彼女の表を示している。「何としてでも信頼を得るべき」と内圧を振り払い”大胆に”やろうとする。

この選択肢をセリフではなくプレイヤー自ら選択することで、彼女が内に秘めている恐怖や不安を理解すると同時に”今後何百年も気丈に振る舞い続ける”プレッシャーを追体験することができる。

選ぶ理由のない単一の選択肢を押させる」というのは近年のゲームでよく取り入れられている手法で、プレイヤーがストーリーに介入できるため、没入感の強調に繋がる。このシーンにおいては特にその手法の凄みが実感でき、フォンテーヌ全国民の命が懸かった永遠とも言える芝居を始めてしまった”後戻りのできなさ”をフリーナと同じ立場で味わう恐ろしさがあった。

世俗を外れた悲痛な献身

彼女の過去の日常を劇として表現するシーンでは第5幕から第182375幕まで急激に章が進み、その舞台に裏などないということを否応なしに理解させられる。本人は「数百年」としか言わない(その時点でも十分恐ろしい)が、この幕数を仮に日付とすると約500年が経過していることになる。

常人にとって想像もできない時を舞台に立ち続けている絶望感をひたすらに突き付けてくる容赦のない描写も良いが、その途方もない日々で自分すら気付かない涙を並べてもなお、フォンテーヌのために”鏡の中の僕=フォカロルス”を信じることができるフリーナのひたむきさが特に印象深い。

そんなフリーナに果てしない役割を与えた「フォカロルス」もまた、事実上の彼女の一面であり、魅力の一つだ。
天理の調停者を欺くためとはいえ一人の少女に永遠とも取れる呪いをかけており、果てしない演技を乗り切ったフリーナに感謝の意を示してはいるものの、一人の人間が抱える複雑な心境に重い同情までは向けない姿勢がなんとも神らしい描写だろう。

長い時の中で常に大局を見据え天上から下界を眺めて結末を待つ姿は、さながら演者を触れられざる位置から観測する脚本家のようで、世俗から外れた神としての悪びれなさのようなものを感じられた。彼女は恐怖や焦燥に駆られながら苦悩を重ねてきたフリーナと対照的な、非情かつ美しいキャラクター像だと感じる。

伝説任務 頌歌者の章 第一幕「水の娘」

トラウマとの直面

魔神任務の後日談である伝説任務では、呪いから解放されたフリーナのその後が描かれる。最初こそ”平凡な家で何週間もパスタを食べている質素ぶり”がコメディとして本人の口から語られるが…
この任務は彼女が数百年のうちに刻まれてきたトラウマと向き合う話であり、彼女本来の繊細な性格を垣間見ることができる。

他人を演じることを強く拒絶し人と関わることを恐れて隠居を続けていたものの、成り行きから解散寸前の劇団を救う手助けをすることとなる。

散らばった団員を連れ戻すべくポワソン町に赴くことになるが、知っての通りそこはフリーナが民を導く立ち位置ながら手を差し伸べることができず、実質彼女自身が加害者となってしまった場所でもある。
大勢の犠牲者が出たことで当然住人からの視線は厳しく、どんな言葉も受け止めると覚悟を決めたはずの彼女の口から「やはり準備などできていなかった」と心情を吐露することとなる。

一見するとそれはストーリーとしての軸足を外すことであり肩透かしを食らうような感覚も抱きかねないが、あえて心の破綻を丁寧に語ることで神格から切り離された等身大の少女としての恐怖を上手く描写できており、ストーリーに確かな深みを与えていた。

主人公に向けて内面をさらけ出すパートは伝説任務本来の”主役の解像度を高める”キャラストーリーの主軸として機能しているのはもちろん、本編でさえ描かれなかった”面と向かって悩みを打ち明ける”シーンでもあり、数百年の困難の末についに手に入れた快挙のようでとても感慨深くもあった。

自由を得てなおの素質

そして劇団員を集める本筋において特に強調されていたのが、裏方(演出顧問)として彼らにアドバイスを続ける中で見えてくるフリーナ自身のカリスマ性だ。演劇についての造詣の深さから”よりよい作品にしたい”として演出面だけでなく団員同士のいざこざにも仲裁に入り、第三者の立場から冷静に事を収めていく。

なんの権力も持たない常人でありながら他者を導く位置に少しずつ戻っていく姿はまるで神性を取り戻していくかのようであり、彼女が望まずとも無意識的にその素質を獲得しているところに「生来からの水神」としてのオーラのようなものを感じられる。アイドルであり指導者である彼女が権能を振るえずとも民衆から支持を得ていたことに、ユーザー自身が納得感を抱ける構造になっているのは演出としてとても面白い。

劇団員の集結によって舞台は無事開かれることとなるが、主役が急なトラブルに見舞われ出演不可。アドリブからフリーナが再び舞台に戻ることからラストシーンへと繋がる。
まずは演目の内容をざっくり抜粋しよう。

「人として生きるというのは…秘密を隠し、苦痛を味わい、孤独と共に歩むこと…それでも君は、それを望むのかい?」

家族の忠告を無視して人となった純水精霊は自分を偽り人間と恋に落ちる。
精霊は幸せに暮らすも、町に流れる意志を持つ水は人間の浪費と汚染に辟易し逃避。町から水が消え、枯れ果ててしまう。

精霊は恋人に正体を打ち明け共に調査するも、水を奪った罪人として民に糾弾される。
それでも精霊は己の身を犠牲とすることで、町に平和と水をもたらした。

作中で言及がある通りまるでフリーナをモデルにしたかのように共通点の多い物語であり、成り行きとはいえ自身と境遇を同じくした人物をなぞらえる形となった。

ラストは滑らかなアニメーションをバックに専用楽曲「さざ波」が流れるかなり気合の入ったムービーシーンとなる。

ムービー直前の「精霊が光り輝けるのはなぜなのか」との問いに「どれだけ苦痛と孤独を味わっても世界の美しさを疑わなかったから」とこぼすカットは劇中と自身を重ねた独白であると同時に、数百年信じ続けた世界の美しさに救われた瞬間でもある。

トラウマを演技でもって振り切る堂々さだけでなく、純粋に演劇を楽しんでのめりこむ清々しさもまた感じられるところに”恐怖を知ってなお誰かのために献身的になれる”彼女の強みがハッキリと出ていた。
あれほど嫌っていた舞台に上がり、劇中を通すことで改めて己と対面するのはなんともフリーナらしいラストと言えるだろう。

つまるところ

フリーナは今までの俗世の七執政でもっとも特殊な”ただの人間”であり、そんな「なんでもない存在に突如神としての呪いをかけられたら」を徹底的に描いた、絶望に満ちながらも求心力に溢れた恐ろしいキャラクターだ。
さらにメインストーリーにおいても一人にここまで焦点が当たることは滅多になく、彼女の境遇のあまりの重さによって全編を通して食傷気味にならない仕組みが作られていたところにストーリー構成の妙を感じている。

原神において好きなキャラは多々いるが、これほど深くに魅入られる体験ができるとは思わなかった。七神というメタ的に見て集客を望める存在を”ただかわいいから”に留めず、また浮世離れさせるでもなく、ひたすら人間的に描き切るところに原神がキャラクターIPとして成功した理由があるように思える。

余談

日々が積み重なり、瞬く間に半年が過ぎる。ろお殿はよく分かっているだろう。

実はこの記事、魔神任務を読み終えた[23/11/11]の時点で”選択する重さと責任の追体験”まで熱をぶつけて書いていたのだが…
「伝説任務もやらずにフリーナを語るなんてオタクとしてあっちゃいけないだろう」という意志でひたすら封じ込めており、いつかやろう…と放っていたらいつの間にか半年近く経過してしまっていた。
フリーナマジでごめん!!!

季節感がバグった前文は面白いので残しておこう

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