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宗教改革以後の歴史の展開-その1

水村光男「この一冊で世界の歴史がわかる!」三笠書房 より
■スペイン絶対王政を破ったオランダの独立
1477年以来ハプスブルク領となったネーデルラントは、中世より羊毛工業が発達し、また北海・バルト海を動脈とする遠隔地貿易の拠点をひかえて社会 のブルジョワ化が進んだ。

加えて大航海時代以後の世界商業の中心の移動で、アントワープやアムステルダム、ロッテルダムなどの諸都市は世界商業と金融の一大センターであった。

宗教改革では、ルター派よりもカルヴァン派が歓迎された。特にきびしい自然条件を克服して国を築いてきた北部では、都市や農村の中産階級を中心に戦闘的なカルヴァン主義が展開された

1556年以降ネーデ ルラントを領有したスペイン=ハプスブ ルク朝は、本国財政の赤字をあくどいやり方でこの属領に転嫁しようとした。

また、 フェリペニ世は狂信的な旧教主義者でも知られているから、宗教的 にもネーデルラントは本国と激しく敵対する。本国政府は属領新教徒を 「ゴイセン 」(乞食ども) と蔑称した

1566年、フランドル・ブラバントの諸都市で市民の反乱がおこると、フェリペニ世は総督としてアルバ公を派遣、アルバ公は、自ら主宰する「血の委員会」での一方的裁判で八千余人を処刑した

68年、オラニエ公ウィレムを指導者としてネーデ ルラント独立戦争が始まる。国外に亡命していた戦闘的カルヴァン主義者は、フランスの新教徒ユグノーやイギリスの海賊と協力してスペインの商船を襲う。彼らが 「ゼーゴイセン」(海の乞食団)である。

やがてカトリックの多い南部諸州は 「アラス同盟」を組織して、 スペインとの和平を打ち出して脱落した(1579)。

これに対してカルヴァン派の北部七州は「ユトレヒト同盟」に結集し、独立宣言(1581)ののちも不屈の戦いを進めた。彼らと同じく「海の国」であり、新教国であるイギリス (エリザベス一世)の支援も大きかった。 スペイン無敵艦隊が英海軍に大敗した(1588)のちは、独立軍が優勢を占めた。

結局、1609年、スペインとの休戦条約に持ち込んで実質上の独立を果たした (国際的な承認は1648年のウェストファリア条約)。

正式にはネーデ ルラント連邦共和国。中心のホーラント州にちなんで通称はオランダ。初代統領オラニエ公ウィレム一世 (沈黙公 任1581〜84)は、共和主義を唱えたが、統領はオラニエ家の世襲であったから実質的には王政に近い。

スペイン絶対王政を破ったオランダ独立は、市民革命の先駆でもあったのだ

■イギリスの興隆期を生んだエリザベス 一世の治世
1558年、「流血のメアリ(メアリ一世)が病没して異母妹エリザベス一世(位1558〜 1603)が即位すると、二十五歳の新国王に国民は歓呼の声をあげた。国民は、*メアリ時代のカトリック復活政策と新教徒弾圧の恐怖政治を憎んでいたのである。

しかし、エリザベスは熱心な新教徒であったというわけでもない。典型的なルネサンス文化人として、あらゆる狂信を嫌ったのである。

内政では、枢密院を中心にウィリアム=セシル卿ら有能な政治家を登用し、皇室庁を通じて政治の統制を、新設の特設高等法院を通じて宗教の統制を行なった

毛織物工業を育成・奨励したため農村を中心に急速に発展した。羊の増産のために牧草地を拡大する囲い込み(エンクロージャー)が行なわれると、土地を追われた農民が浮浪化して治安上の問題となった。

すると女王はたびたび浮浪者を処罰する法を出す一方、 1601年の 「救貧法」では、浮浪者を救済して毛織物工場への労働力供給を図った。

重商主義を採用し、独占権賦与によって工業を育成したほか、1600年には 「イギリス東インド会社」を設立して喜望峰以東の貿易・植民の独占権を与えた

また、トマス=グレシャム(1519〜79)を財政顧間に用いて、商業振興の基盤である貨幣制度の統一や悪貨の改鋳を断行した。

外交では、政略的見地による各国国王や親王からの求婚を口実を設けて断った。結婚によって外国勢力への従属が生じる恐れをなくし、「朕はイギリスと結婚した」と公言して国民を喜ばせた。

また、自国が国力においてフランス・スペインに見劣りする「三流国」との自覚から、表面では勢力均衡政策を巧みに操って平和外交を装ったが、裏では私拿捕船に特許状を与えて他国の船(特に新大陸からのスペインの銀船隊)への海賊行為を公認・奨励した

毛織物工業と密接な関係をも つネーデ ルラント(オランダ)のスペインからの独立戦争では、同じ新教国ということで新教徒を支援している。

そしてこの延長上でスペイン無敵艦隊の遠征を招いたが、英仏海峡で見事にこれを破り、 スペインの制海権をくじ いた。

大国に囲まれての危うい島国国家の運営とその成功が、国民の精神的結束・一体感を生み、その自覚と国力の増強が、女王時代の国民文学の黄金期をもたらす。 シェークスピア(1564〜 1616)の文学やフランシス=ベーコン(1561〜 1626)の経験論哲学である。

数カ国語を操る美貌の才女が、国民の人気を一身に集めて長いこと王位にある。たくましい商魂とあふれる企業家精神。新大陸でも、女王の愛人の一人といわれたウオルター=ローリーが処女王に捧げる「ヴァージニア」植民地を開いた。

「陽気なイングランド」、これがエリザベス時代のイギリスにふさわしい言葉である。

■*流血のメアリ
エドワード六世が二十六歳で後継なく没したため、キャサリンの娘がメアリ 一世として即位した(1553)。

彼女はスペイン出身の母后の実家の伝統を継いで熱心なカトリックであり、かつて国教会の礼拝を拒否して迫害されたこともあった。

そこで彼女は即位するとたちまち復讐に出て国教会派を弾圧した。加えて、 1554年にはスペインの皇太子フェリペ (のちのフェリペニ世)と結婚した。

フェリペも名にし負う狂信的なカトリック主義者であったからたまらない。国内には恐怖の反動政治が展開され、多くの新教徒が処刑されたため、彼女 のことを「流血のメアリ」と呼び慣わす

しかし、この二人は別居期間が長く子供も生まれなかった。

58年、メアリが没すると国民の歓呼のうちに異母妹エリザベスが即位し (エリザベス一世)、イギリス国教会体制を最終的に確立する(1559年の国王至上法と信教統一令)。

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