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やっと落ち着いてきたので、のこしてみる、

去年の夏、オランダへ。
留学したいと思っていたところへ下見にいった。正直、今年行くつもりだったけど、コロナもあり、様々なリスクを避けられないと判断した。ま、計画をシャッフルしただけで、魂はあっちに置いてきたと思っているのだけど。

向かった先には多種多様な光景が広がっていて。美術館では絵の前で絵を描く人、踊る人、議論を繰り広げる人々、賑やかだった。さっきまで他人同士じゃなかった?ってとこから聞こえる盛んなコミュニケーションとか、ドローイングに対してかけてくれるお褒めの言葉とか。いい!って感じたことやものに対して正直に伝えてくれる潔さに目が覚めたし、何より文化芸術の土壌がちゃんとある場所だと身を持って痛感した。自分のデザインに対する意識がまだまだということも、表現のクオリティも数も種にすぎないという現実も持って帰ってきた。創作意欲に満ち溢れ、レインボーマリオな10日間だった。

帰国してすぐまた夜勤の日々。何度残業時間や連勤を修正したかわからない。
騒音高温多湿の中、理不尽な罵声に耐え、男より男気あるね、よっ建設小町!という声や心ない嫌味。男社会といわれる環境だから覚悟はしてたけど、現場へ足を運ぶのは戦場に挑むような感覚だった。常に笑顔と気配りを忘れず彼らの士気を高め、和ませる使命に走っていたけど、帯状疱疹になりながらよく高層階にしかなかった女子トイレに泣きに駆け込んだ。組織には現実を伝え、変えようと声をあげたんだけどね。孤独なフェミニストに幹部は目つきを変え、少しばかりは対処してくれたものの、根本的にはあまり変わらず。革命を起こすには根が深すぎた。

もちろんトータルで考えると、プロセスは然りノウハウを学べたし、すべてに意味があると思っている。社会人としてのスタートアップを育てていただいた感謝は忘れたくない。ただ、逞しくしなやかに生きたいホモサピエンスには生きづらかった。

これだけが社会ということではないけれど、今、反動でだいぶ距離をおいてしまっている。ちょっと、心と身体をけずりすぎた。かさぶたをつくるのに、時間が必要だった。まだ、泣けたからよかったけど、泣きも笑いもできない時期を思い出すと、危なかったのかもしれない。

そして、いかに、休むこと=つくることだったのかを思い知る。そして極めて個人的な内的なものほど、本人がその尊さに震えられるのだと。それが伝播して初めて本当の意味で人を感動させられるのだと。

わたしは、自分を大事にすること、簡単じゃなくて。誰かの幸せを自分のことのように喜べる自分でいよう、いいこでいようとしてしまうし、守りたいと思ったら体を張ってしまう性分だ。よく、優しいねって言われるけど、本当の優しさとは何なのかをよく考えなければいけないと常々思う。

小さい頃はよく悪用してくる人もいた。からかいの限度を知らないのか、平気で態度を変え、いじめてきた。怒らないとでも思ってんの?なめてるん?と、思いながら心の中で中指をたてていた。ロックンロール。
けど、起こる事実に怒るより、痛めつけたり誹謗中傷することに何も思わないの?そんな自分の行為を見つめることもできないの?そんな自分がすきなの?と相手に悲しくなって問いかけた。それでよく泣いた。

で、大体きいてみると気に食わないとか、妬み嫉みとか。そんな感情を愚かだと思った。もちろんいじめた側が100%悪い。けど、何かしら理由があってこうしてきたんだろう、吐口がなかったからこんなことしたんだよねと、許した。痛みがわかる人になろうと思ったから。もちろん嫌いなものは嫌いだけど、だからといって排他的になるのはよくないとおもっている。coexistenceベースで。共存する方法を平和的にとことん対話する。だから、ちゃっかり昔いじめてきた一員だった人と今は親友だったりする。よくけんかするけど。笑

人間だもの。なにがあるかわからない。

ただ、常に俯瞰してしまう、もっとわがままがいえるようになりたい。甘いんじゃないのよ。

物心ついたころには、ポジティブ系は感情の記憶濃いめ、ネガティブ系は事実の記憶濃いめに記憶するようにしていて。たまに後者はそっと中和しながら話すけれど、怖さや辛さが溶けてくると反射的に心が声が震えてしまう。冷凍保存してるだけなんだよね。

だから、忍耐力や理性がマッチョになりすぎるのはよくない、ほどよくがいちばんいい。と思うと、今のほうがちゃんと怒れてるかもしれぬ。

自分を愛さなきゃ人を愛せないってのは一理あるよね。

ちなみに√は、博士が愛した数式という物語に出てくるのだけど。ただの平方根じゃん、って思うかもしれないけど、どんなに割り切れない数も受け止めてくれる優しい記号なんだよって、博士。

完璧な人は存在しないから。ありのままを愛する人って、√みたいなことだと思うのよね。

期待はせず、信じる。
わたしはそれを愛とよびたいし、優しさだとおもっている。

いつもいつも√でいられるわけじゃないけど、自分に対しても、人に対しても、心がけていたい概念だなあ。

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