大学生、人生の休暇(1.青山・乃木坂)
注:この記事は約10000字です。時間の無駄かもしれません!!
2021年12月12日 日曜日 9:54 ~ 20:28
1.1. 霊園の記憶
東京に触れる
誰もいない、名もなきハイウェイをただひたすら走り続ける。
キュートでレトロな「パブリカ」、超低燃費の新発売「AQUA」、そして、エンジンとモーターを併せ持つジャパニーズテクノロジーの結晶「プリウスPHV」。
これらは全て自分の愛車であり、ぼくは度々、放課後のゆったりとした空気の中、一人きりのドライブを楽しんでいた。ラジオは風にかき消され、MC陣の笑い声が遠くに聞こえる。アスファルトとのフリクションでタイヤは溶け、シートから全身を伝わる振動へと変わる。新車の匂い、臭い、におい。
小学三年生、「メタポリス」は私の遊び場だった。
「メタポリス」は仮想空間「meet-me」内に作られたトヨタの"新時代"広告媒体として、2008年4月17日にサービスを開始した。
次第にメタポリスだけでは飽き足らなくなり、親には内緒でmeet-meにも手を出したものだ。メタポリスがごく小さな未来都市の一部しか探索できなかったのに対し、meet-meは東京23区が再現された広大なMAPが特徴で、遊び方は実質無限大。
枷の外れた世界でぼくらは何だってできる。じゃんけんから地球を救うことだって。
一番のお気に入りは魚釣り。しょぼい獲物からリュウグウノツカイまで大小様々な魚を引き上げた。大物を捕らえたときの喜びはひとしおで、あのとき初めてドーパミンを分泌したらしい。
心残りがあるとすれば、現実世界の青山霊園に対応するmeet-meの「巨大迷路」を体験できなかったことだろうか。「青山霊園」という言葉の調子に秘められた静謐さ、恐ろしさの反響は今に至るまで続いている。
青山霊園。あおやまれいえん。
AOYAMA REIEN。A・O・YA・MA。RE・(I)・en。
音の響きは盲目の嬰児に色と形を刻み付ける。決して掴み取れないその蜃気楼は、半永久の膨張を続ける人生の闇にたった一筋差し込む陽光だ。(丸山健二『水の流れ』風)(←到底…)
物事には終わりが付き物である。
meet-meも流行の波には抗えず、2018年1月31日、惜しまれつつもサービスを終了した。
僕がこのことに気づいたのはそれから数ヶ月も経ったある日だった。知らぬ間に一つの世界が幕を閉じる。死も同じようなものなんだろう。乾いたミネラルは眼球を薄く、しかし完全に包み込む。
僕は再び一人になる。
変わらず青山霊園は生き続ける。
霊園に吸い寄せられる体質
高校一年の夏休み。
僕は当時BPOの中高生モニターなるものをやっていて、毎月一回テレビやラジオに関するレポートを書いてはBPOに送っていた。そんな全国に散らばる中高生モニター達が一堂に会する恒例行事として、年に一回東京で開催される「中高生モニター会議」がある。交通費が出るのて、そのついでに東京観光もしよう。初めての一人旅だ。
初日は新幹線で品川駅、港南口からお台場レインボーバスに乗り、直接会場へと向かった。電子マネー支払いはSuicaやPASMOには対応しておらずiDしか使えないことが妙だった。iDなんて今更誰が使ってんねん。
道すがらにたまたま開催していたフジテレビの「THE ODAIBA 2018」で一際目立つ高さ10mのクライミングウォールをサクッと登りきり、テレビ局の取材を受ける。途中まで得意げに話していたけれど、インタビューの最後、カメラの奥に目線を合わせた瞬間「しまった」。視聴者と目線の合うインタビュー映像なんてこの世に存在しない。そのビデオは十中八九採用されていないだろう。十中二一は悪魔の証明のために残しておく。
集合時間までの暇を上手く潰した後は指定された無骨なビルにお邪魔し、液晶広告(アニメ『BANANA FISH』のCMが流れていた)付きエレベーターに乗り込み、大気を破った先の高層階に案内された。ホール中央に置かれたダリの宇宙象が奇妙な雰囲気を醸し出している。
自己紹介をし、高級弁当を食らい、めざましテレビのスタジオを見学した。宮澤智アナはとても可愛らしく、同じ人間でこうも作りが違うとは、以来僕は神を信じていない。
若白髪の『めざましテレビ』チーフプロデューサー。
チャキチャキおばさんアナウンサー。
知と寛容を纏う精神科医爺さん。
パナソニック社長を目指す小太りガキ・オプティミスト。
東北訛りが素朴な印象を与える色黒スポーティーボーイ。
目黒か目白か、とにかくそういう地区出身のsophisticatedな先輩美少女。
彼ら大人や同年代の少年少女たちと話し合う。
内容は覚えていないが、貴重な経験だった。
貴重な経験だったが、内容は覚えていない。
時は一方通行。流れに逆らうことで掘り起こした記憶は角が取れてまあるい。ただ、抽象化は誓って悪ではない。翼をもたない我々が大空へと羽ばたける唯一の手段なのだから。
このときはまだ宇宙船を彷彿とさせるFCGビルを設計した偉大なる建築家の名前を知らない。雨滴がぼやかすヒンヤリとしたバス車窓からビル壁面を見つめ、孤独な帰路につく。
夜は激安ホテル「入谷ステーションホテル」のカプセルに学生料金で宿泊した。一泊2000円。
豆腐型の箱内にはカーナビほどの小さなケーブルテレビが申し訳なさげに埋め込まれ、とあるチャンネルではアダルトビデオが工業廃水の如く垂れ流されていた。
「ここはそういうところなんだな」僕らは綺麗に染まりすぎている。
翌日は午前9時頃に起床(遅すぎ!)し、チェックアウトそのまま近所の上野公園を散策することにした。雨はもう上がっていた。
広くて色んな施設がありまくる。到底一日では制覇できない、これが東京のデカさか。スケールが違う。桁が違う。質が違う。
〜以下ダイジェスト〜
国際こども図書館。中学の修学旅行の訪問候補地。ノスタルジー。閑散。
国立科学博物館。フーコーの振り子。丸木船制作。掛け声、大声、熱気。
国立西洋美術館。Le Corbusier。地獄の門。モネの睡蓮のチケットケース。
国立博物館。馴染み深い大階段。庭園。名刀一文字。
夏祭り。出店。人混み。出店。
〜以上ダイジェスト〜
色々巡りながら周辺をぶらぶらしていると、いつの間にか墓地に迷い込んでいた。看板を探す。谷中霊園と言うらしい。極めて自然に徳川慶喜の墓と対面した。戊辰戦争の血の淀みは悠久の一五〇年に希釈され、今や見る影もない。
都心の限られた土地、幾千もの死者が寝息の一つも立てずに眠る様を想像して、臍辺りに満ち溢れるふるさとの胎盤から注がれた生の実感と、背後から音も立てずに忍び寄る死の気配を認める。同時に自分自身がひとつの命を連れて周遊する死神にさえ思えてくる。
死骸に吸い取られたせいか、その後の記憶はない。
そんなこんなでマニアに比べたらカスみたいなものだが、どうやら私は霊園に吸い寄せられる体質のようだ。特定個人にのみ作用する無色の力場が存在するのかもしれない。
1.2. 青山にて
アメリカ的な、余りにアメリカ的な
栄養バランスや繊細な風味の一切を犠牲に、塩味のパンチと具材の満足感をわずか数㎝の隙間へ無理矢理詰め込み、2枚のバンズで封じる。
初めにハンバーガーあり、次にジャンク生まれたり。
でも不自然ない、ジャンクフードの圧倒的王座に君臨するハンバーガー。
そもそもの始まりは幾度もなく絶起を繰り返す自分に嫌気がさした明朝、ふと浮かんだ考え「大学の目と鼻の先にあるマクドナルドで朝マックを食べればいいのでは?」による。ドリンクにコーヒーを頼めばさらに目も冴える。
早速実行に移したところ、余りにも調子のよい一日が始まるではないか。私はこうしてマクドナルドの虜になった。
本日はボロネーゼグラコロの朝マックをモバイルオーダーで、倉敷帆布の赤いブックカバーに忍ばせた小田実『何でも見てやろう』を小脇に、騒がしくもゆったりとした朝を楽しむ。
赤いパーカー
明治神宮前で副都心線から千代田線に乗り換え、二駅。六日ぶりの乃木坂。ちょうど先週の月曜日、国立新美術館で開催されている「庵野秀明展」に行ったばかりだった。
いつもの癖でビルのガラス窓に反射する自分の服装を確認する。
単独行動に軸足を置いているにも関わらず、他人からどう見られているかは常に気になるらしい。映るのはいつも大きな頭、短い脚、ボサボサ髪の毛のいわゆる小学四年児体型。わざわざ確認するのも阿呆らしく、なにせ己の信条「人と比べるのは自分を見失うだけ」にも反するので最近は意識的に無視するよう心掛けている。しかし無意識に刷り込まれた癖は中々の矯正難易度で、ふとした時「鏡面を見ている自分」に気付く。いつまでも幼いままのアンビバレントな私。
ただ今日はいつもと違った。
UNIQLOの赤い綿パーカー。
UNIQLOのダボダボ灰色ズボン。
洒落たデザインの赤いランニングシューズ。
血の赤。
あれ、墓場のマナーとか知らんけど、この服装大丈夫か?
現地に来てしまった以上もう後戻りはできない。そこで謎理論「規範は目にし耳にし、意識されるまでは規範にはならない」を掲げ、敢えて気に留めないようにした。
UNIQLOの赤いパーカーを着るたび、2020年の年明けを思い出す。
いつも通りの楽しく退屈な学校のはずだった。
「今から呼ばれた人一人ずつ廊下に来てー」担任が声を張り上げる。
次々と呼ばれる人、人、僕、人。手渡されたB6の藁半紙には「放課後、多目的室に集合するよう」滲んだインクで単刀直入に書かれていた。何が何だかわからない僕らは謎解き感覚で呼び出された人達の共通項を探し始める。束の間の非日常だった。
放課後。「(同級生)が死んだ。」多目的室へと続く廊下で友人がそう告げた。
絶望によって目の前が真っ暗になること、
横隔膜が機能を失い過呼吸になること、
表情筋の一切が脱力し、憔悴の膜に覆われた不気味な笑みが浮き彫りになることを、
僕は初めて知った。
階段を下る右脚左脚が、そのとき腰からぶら下がる肉塊だった。切り落としてしまいたい。違和感もろとも消してしまいたい。
呼び出された全員が集合し、一年次の担任から「(同級生)が亡くなったこと」「今夜通夜が行われること」「参加する人は○時に○○の葬式場に集まること」が淡々と語られた。
世界に突如発生した人一人分の存在の空白を埋めるために、僕らはありったけの涙を流した。
通夜が始まるまでの時間を多目的室で過ごし、友人と一緒に葬式場へと向かう。会場のロビーで生徒たちの到着を待っていた学年主任の先生は、僕の赤いパーカーが式に相応しくないことを無言で指摘する。優しい友人がネイビーのダウンコートを貸してくれたお陰で難を逃れた僕は、坊主がお経を読み上げる中、人目を憚らずに泣きじゃくった。
赤いパーカーに染み付いた死と悲しみの香りはもはや取れない。
全てが終わり、家族に帰りが遅くなった訳を話した。
「今日やばかった。」
皆を心配させまいと必死に笑顔を取り繕ったが、食卓を囲む彼らの瞳に映りこんだ表情の一つ一つは、この世のものとは思えないほど瞳孔が開き、頬が硬直している。
墓場に響く幼子の泣き声
日曜日のお昼にも関わらず霊園の人影はまばらだった。これでは故人も幽霊も寂しかろう。
子連れの家族がいた。
「ひいおじいちゃんに、バイバイって」
喚きたてる子供を肩に抱えたお母さんがそう諭すものの、泣き声は続く。幼少のみに備わる一対のか細く透明な触覚(私にも昔は生えていた)が、地面から沸き立つネガティブな靄を察知したのかもしれない。
親の思い通りにはならない鬱陶しくも愛おしいひととき。
数年後にはニューロンの藻屑となって失われる他愛もない記憶。
墓石の重みは時の流れを堰き止める。微かな時間、ちゃぶ台を囲み足をぶつけ合いながらテレビを見つめる一家団欒から、死線をくぐり抜け奇跡的に生還した軍人家族の感極まる再会まで、あらゆる種類の時間が停留している。
目一杯吸い込んでも膨らまない肺胞。酸素分子のブラウン運動さえも止めてしまう絶対的な空間がそこには広がっていた。
石畳を進む。
小村寿太郎と加藤友三郎の墓が隣り合うように建てられていた。
不平等条約改正に尽力した小村寿太郎と「いくやまいまい おやいかさかさ かやおて はたかやき」第21代内閣総理大臣の加藤友三郎。小村の方にはドーム型の不思議なオブジェもあった。調べたところによると、これは廃仏毀釈運動が盛んに行われた明治から戦前にかけて見られる神道式の墓だという。
石畳をのぼる。
北里柴三郎の墓。間を縫うよう駆け抜けるランナー。
○
○
家
代
々
之
墓
自分と同じ苗字の墓。白袈裟を着た僧侶。喪服に身を包む親族。御影石製の外柵の上で眠たそうな野良猫と、それを撮る二人組の女子大生。金光教徒の黒光りした墓。仏花を入れ替える老夫婦。掃除をする管理人。
そして、乃木希典の墓。
有機と無機、静と動の混じり合いの背後には、外周を囲う車道の唸りが間断なく響きわたる。いくら霊園といえども都会の喧騒からは逃れようがない。
志賀直哉や星新一の墓もあったらしい。私は生憎見つけることはできなかった。地図とにらめっこすれば出会えたかもしれない。
しかし私は待ち続ける。まだその時ではない。呼び寄せていないのに勝手に参るのは、土足で自宅に上がりこむ行き過ぎたファンのストーキングと同様、故人にとっては迷惑そのものだ。
次の目的地に向かう途中、写真右端の超高級マンション「パークコート青山ザ・タワー」のエントランスにはスーツ姿のコンシェルジュと黒塗りのロールス・ロイスが垣間見えた。
1.3. 文化の上書き、歴史は存在しない
新旧乃木
乃木坂はその名の通り乃木坂46に因んで名付けられた、訳が無い。
もちろん乃木坂の名は大日本帝国陸軍大将であった乃木希典に由来する。そして乃木坂46の名は最終オーディション会場「SME乃木坂ビル」に依る。
乃木神社を訪れた。数年ぶりの御籤。
乃木希典に対してあまり良いイメージを持っていなかった。日本史Aの授業で「旅順攻略の際に柔軟な戦法を取ることなく、多大な人的損害を及ぼした」と習ったからだ。
しかし改めて調べ直すと、乃木神社は元よりインターネット上でネガティブな評価は数少ない。全く逆の意見「乃木希典は名将である」も相当ある。それどころか友人は「乃木希典は作戦にそれほど関わっておらず、旅順戦では名将かどうか断定できない」と教えてくれた。
真実だと思い込んできた物事の化けの皮が剥がされたとき、私たちは人間不信に陥る。手塩にかけて育んできた心象やら価値観やらが一挙に崩壊し、後に残されるのは純白のスケッチブックただ一つ。根拠のない陰謀論はこの隙につけ込む。
もう一度見直すと、どれも根拠となる情報に同調するか反駁するかして持論を補強している。事実と意見が複雑に折り重なるミルフィーユ。これは本当に「真実」と言えるのか。
元からある物事を肯定・否定することは思った以上に簡単で、だから我々は本を読む。
私にとっての乃木はまさにそれで、突き詰めていくと結局は知る由もないプライベートが立ちはだかる。唯一の事実は時代の流れと共に分化していき、モザイク状に分散した十人十色の歴史はすべて真でもあり偽でもあり、つまりは過去なんて存在しない。理解しやすい形で好き勝手解釈されるのが関の山だろう。
かくの如き乃木神社も現在進行形で文化の征服を受けている。
神社には比較的若い世代が目立った。それもそのはず、乃木神社は例年二十歳を迎えた(迎える)乃木坂46のメンバーが成人式を行う場所として有名であり、ファンの間で人気の観光スポットだ。
乃木坂46の影響はとどまるところを知らず、日本を代表する女性アイドルグループにまで成長した。すずなりの絵馬はすべて卒業を控えたメンバーに向けられている。軍事と神道に娯楽がオーバーラップした混沌には目が回り、数メートルも真っ直ぐ歩けない。
神社の収益増加や地域の活性化にも繋がっているので、征服よりは互助に近いかもしれない。しかし確実に、文化は上書きされつつある。
歴史と認識ついて
歴史は語る。
歴史は多くを語り継ぐ。出来事の間隙を充たす感情の機微や心模様の変遷は過去の解像度を高め、その一部に我々を組み込む。
教師はストーリーテラーに変身し、児童生徒に語る。
左手に自作プリントを、右手にチョークを持ちながら、身振り手振りを交えて滔々と述べるさまはさながら落語家のようだ。眼前に繰り広げられる物語は紛れもなく彼に依り、世界に因る。
当事者の口から紡がれる古は民俗学を創った。失われるはずの伝統、隠されるべき因習から再現される人間の本性はあまりに生々しく、吐き気すら覚える。
音の高低とアクセントの強弱に精霊は宿る。琵琶法師の正体が鎌倉の音色を伝えるべく遥か先の未来から送り込まれた高性能アンドロイドであることは誰も知らない。自由意志を持った媒質は、日本中で「祇園精舎の鐘の声」を聴かせるべく分散した。
歴史は騙る。
書籍として出版されていても真実のみが書かれているとは限らない。あくまで一つの物語だ。
北極と南極、対蹠点。対極に位置する両者の視界は惑星に遮られ、感じられるのは網膜を貫く相手の質量と足の裏から伝わる大地の温もりのみ。気持ちを推し量ろうにも顔を知らずに何ができる。
隣国やかつての敵国同士で語られる歴史は食い違い、領土問題と民族紛争は絶え間ない。歴史は嘘とプライドに塗り固められている。
日本には日本特有の歴史、韓国には韓国特有の歴史、中国には中国特有の歴史、アメリカにはアメリカ特有の歴史がある。何ら不自然な現象ではない。生物多様性が尊重されるように、認識と思想の多様性も守られるべきだ。
それが、今まさに、統べられようとしている。大戦争に取って代わった緊張と平和の単振動の最中、帝国主義は静かに動き始めた。
シーソーは揺れ続ける。
歴史はカタルシス。
戦争の惨禍は人類の愚かさを知らしめると同時に、自分も紛うことなき底抜けの間抜けの一員であり、そのしがらみからは決して逃れられないことを無情にも宣告する。
しかし人類史に刻まれた罪を振り返り続けることは無駄ではない。無意識の反省に浄化は現れる。超克すべき本能の数々は次世代のホモ・○○○○○の可能性に他ならない。
地球上にある全ての物語も、138億年を誇る宇宙の歴史の前では微力どころか無力だ。「事実は小説より奇なり」この諺はビックバンに始まる。
誰が昔と今の自分が同じ人間だと証明できようか。倫理の教科書に載っている「自己同一性」のラベリングは不親切極まりない。わからないこと、それも有限の時間を生きる我々にとっては永遠にわかり得ない物事を再認識し、ひとまず諦めることで道は開ける。これはポジティブな諦念だ。
過去の非存在に対する実感が日に日に増していく。
1.4. いちょう並木に集う人々
赤坂御用地と明治神宮外苑の狭間
歩くには遠く電車を使うには近すぎる絶妙な距離が東京にはある。
暇を持て余していた私にとって「いちょう並木」は程よく離れた観光スポットとして魅力的だった。都会と自然の融合とは興味深い。
西日が突き刺す中、鶏卵を包み込むようにやさしく握った両手をポケットに入れ、前を行く熟年夫婦のよれたウォーキングシューズに目を落としたまま赤坂御用地沿いを歩き続けた。どうせなら裏から入って表の大通りに出たい。
こんなところに公立中学がある。ここはかつて陸軍大学校の土地だった。神宮と皇室に挟まれ、今にも重圧に押し潰されそうな佇まい。
「空襲を免れた陸軍大学校」これだけでなんだか示唆的だ。
終戦後はそのまま青山中学校の校舎に転用された。新校舎に建て替えられてその役目を終えるまで実に95年。1985年、昭和60年の出来事である。
遠回りした先に見えた、明治神宮外苑から伸びる一本の通り。封鎖された車道の両端に等間隔で植えられ、天に向かって真っ直ぐ成長したいちょう。
木々の声が聞こえる。
境界を越えた先、生命はすべて木に還る。彼らも昔は生きていた。
かつての屍とはつゆ知らず、観光客は思い思いに写真を撮りあう。笑顔の絶えない友人、恋人、家族たち。
旬が過ぎていることは明らかだった。気にせず彼らはシャッターを切る。
存在を忘れられた写真は寂しい。高速道路で目の前を数時間も一緒に走り続けていたミニバンが、分岐を目前に自分とは逆方向へハンドルを切ったときのように寂しい。二度と同じナンバーは見なかった。
モノクローム東京
辺りを見渡す。
黒、
白、
グレー、
グレー、
グレー。
たまのベージュに、
うすピンク。
均質化されたファッション集団が、黄色の落葉(イチョウ色?)にことごとく沈み込む。
いつから色を失ったのだろう。その昔「ありえへん世界」で美輪明宏も苦言を呈していた。「無難」という言葉の浸透。頭文字の濁音が嫌に耳にこびりつく。
気がつけばファッションは、自分らしさを表現するツールから世界に取り残されないための打算的なものへと変質していた。
見方を変えれば、没個性を厭わない世界は原初への回帰ともとれるかもしれない。人間は受精卵から始まり、灰に終わる。子供はものを覚えて、老人はものを忘れる。種から芽生えた植物は、種を残して枯れていく。
どいつもこいつも似たような類人猿たちが各々の性器を隠し始める。次第に服は殻から羽へ、理論から実践へと進化する。20世紀のファッション大爆発を経て、我々は再び、どいつもこいつも似たような人類へと収束する。
全身赤のダサ男は気にせず人混みをかき分けた。
1.5. 思っていたよりつまらない
人混みは疲れる
ビル下にある赤御影石製の硬く冷たいベンチに座り、今日の道のりを振り返る。沢山歩いた割に得られたものは少なかった。
第一、人混みは疲れる。奪われた活力はどこへ行くのだろう。
$${1774+53i}$$年にRénald Charpentierが発見した疲労保存の法則から
①泥棒、もしくは組織的犯行
②遺失物として既に届け出された
どちらかであることには間違いない。いや、あるいは……
東京は猫をかぶっている。
何者かになるための登竜門ではない。その正体は、地方出身のワナビーで埋め尽くされた超大規模の田舎である。新鮮な精神と貪欲なまでの生への執着を養分にブクブク膨れていくさまは、現代社会を象徴する怪物だ。
人が吸って吐いてを繰り返して生成された濃密な空気に酔い、近くの「港区立赤坂図書館」に倒れ込んだ。
空いている机で前腕を枕にうつぶせになり、前日の徹夜も相まって泥のように眠った。正確には寝ていない。意識は変わらず鮮明で、時間感覚を自在にコントロールできる。一分が一時間になる。
途中かなり大きくビクッと動いた。その反動で椅子は大きな音を立て、一人顔を赤らめる。入眠時ミオクローヌス。
図書館の空気は都会のそれとも田舎のそれとも異なる。全国どこの図書館もこの空気を共有している。
書籍に水分を吸収され感じる喉の乾き。文庫本に刷られた黒の単色インクと光沢紙の表面をなぞるCMYKの甘い香り。奥の閉架書庫から漂う微細なカビの胞子。繰り返し濾過され温度が均一に保たれた生暖かい空調(夏場ならこめかみがキリキリ痛む人工的な冷気)。
故郷の図書館を思い出す。閉館のチャイムが鳴った。
本日のカレー「ターリー屋」
「インド定食 ターリー屋」は関東圏を中心に展開するインドカレーのチェーン店である。特筆すべきはその安さ。ディナーもランチもお値段そのままでとてもリーズナブル。
今日はターリー屋の新青山ビル店にお邪魔し、インドカレー定食を頼んだ。カレーの種類は覚えていない。
カレーはシンプルで少し塩味が強く、ナンは少々油っぽかったが、美味しいことに変わりない。ヨーグルトは味変にもちょうどいい。2枚おかわり、計3枚でおなかいっぱい。
本日の旅は以上。
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