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大学生、人生の休暇(0. プロローグ)

0.0. プロ・プロローグ

桜並木とビラ配りに始まる華やかな大学生活への期待も虚しく、振り向けばそこは枯葉と紙屑の山であった。

「夢は叶わないから夢である」誰かがそう語る。夢を叶えた者たちをこれまで何人も目にしてきたが、人間の欲望は果てしなく都合良く、その都度目移りするものだ。つまりこの台詞は半分正しく半分間違い。スペアではなくストライクとガーターが共存している、そんな感じ。

そもそも人間の言葉に完璧など求めてはいけない。放たれた言葉はたちまち身体を離れ、宙へと浮かび迷子になる。こちらからあちらは認識できない。あちらからこちらも同様。唯一つの真実は「私、死ぬ」と静かに呟いた名も無き孤児の水死体、そこにあると確信している。根拠などない。

「大学生は人生の旅人である。」自己PRの最後の段落、そう記した奨学金には一次選考で落ちた。それっぽいことをそれっぽく書けばそれっぽく採用されるだろうと高を括っていたが、現実はそう甘くはない。

たった四百字ぽっちの文章を通して自分を如何に大きな存在、あるいは今後大きくなるであろう存在として仕立て上げるかが自己PRの真髄であり、そこに思春期の虚無や空白は当然求められていなかった。しかし今改めて振り返ると、この一文は少しだけズレているのでここに訂正する。

「大学生活は人生の休暇である」

動機こそ何であれ旅人は旅すること自体が仕事であり、旅をし続けなければならない。義務感から生き急ぐ程の経験を持ち合わせていない大学生は、正真正銘のバカンスを楽しむべきである。

高学歴や学問界隈に身を潜める方々にとってこの発言は看過できないかもしれない。「学生の本分は勉強である」もちろんその通り。好きなことを好きなときに好きなだけ好きなようにやる。ここではそれを「休暇」と定義しよう。

青春の色彩と立体感を取り戻すべく、私は歩くことにする。

おしゃべりな過去を黙らせるべく、私は現在を物語ることにする。

0.1. プロローグ

「始まりよければすべてよし」なんて諺は存在しないが、やはり初回は今後の形式を決めるし、なんせこれから大長編(笑)かっこわらの幕が上がるとなれば肩肘張って書かずにはいられない。

このシリーズでは関東の各駅とその近辺を練り歩き、何でも見、肌感や経験を記録していく。東京の学生という特権を振りかざし、都市や田舎の土を、石畳を、コンクリートを、アスファルトを踏みしめよう。数年後にはほんの少しばかり関東の地盤が強くなっているかもしれない。

なぜそんなことを急に思い立ったのかと聞かれたところで、適当な回答を私も知らない。それは出先で「家の鍵、閉めました?」と確認されてドギマギする感覚に似ている。

言語学習において経験が理論に先立つように、まあとりあえず生暖かい目で見守っていてくださいな。


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