ほやほやな気持ちのまま。


笑顔は、人間の持つ表情の中で1番美しく可愛らしくとても輝いていて、コミュニケーションを取る手段の中で最も人と人の距離を縮め、そしてさらには心の健康にも大いに良い影響を与えている、と、最近特に思う。


先月行われたM-1グランプリ、最後錦鯉のおふたりと一緒に泣いてしまった。

お笑いが好き、漫才やコントが好き、と言いつつも、今までは自分の好きな人たち、好きな空気感やテンポ感以外の人たちをハナから面白くないと決めつけて、なんなら「これぞ漫才」とはかけ離れたようなネタを披露する人たちに高得点を入れる師匠方にも不満を覚えていた。(まったくこの頃はひねくれていたなぁ…今は違いますよ…)


漫才はとにかくテンポ。スローテンポな漫才や汚い言葉、ネタの流れを止めるようなツッコミはあまり好みではなくて、反対にコントは、コンビやトリオの仲の良さがこちらに伝われば伝わるほどいい。やっている人たちが楽しそうであれば、何をやっていても、多少訳の分からんことを言っていても笑ってしまうし、あり得ないような状況設定であっても、その変な空間を2人(若しくは3人)に当たり前であるかのように振る舞われると、そのネタを受け取る側は笑う以外に術がなくなる。

漫才とはこういうもの、コントとはこういうもの、の枠組みから外れたネタが多くなってきたのは、多様性が受け入れられるようになったからなのだなきっと。

昨年1年で何を心変わりしたのか、ネタ番組も賞レースも、いつもは好きな人たちだけを観ていたのが、知らない人たちのネタも一度は必ず観るようになった。

そこで気づいたことは、賞レースはただネタだけを観るのではなくそれぞれのネタに対しての師匠方の評価、コメントを見聞きできるのが醍醐味であるということ。自分が面白く感じたネタが低い点をもらっていたり、逆も然り、好みではなかったネタに入っている点がとても高い…!というような自分とは逆の意見はとても聞き入ってしまうし「なるほど」と腑に落ちる言葉ばかり。

例えば、こないだのM-1では"尻上がりに面白くなっていてとても良かったな!"と思ったネタがあり、それにに対してある師匠は「もうあと1分あればお客さんの盛り上がりも(その子たちに対する自分の)評価ももっと変わった。最初からスピードを出してテンポよく笑いを取れれば良かったけれど、4分という時間の配分が下手だった」と言っていて、そんなところを見ているんや…と思ったし、日本一の漫才の賞レースの決勝に上がってくる人たちでも、劇場経験豊富な人にはそういうところを見抜かれ突かれるのかと、背景を浮かべながら聞くと深くて凄くて面白い!

お笑いに触れるたびにどんどん引き込まれるな〜…
そして、お笑いを見て笑っている時間、とてつもない幸せと心の健康を実感する。

人を笑わすためだけに毎日毎日頭を悩ませるって素敵すぎるなと、芸人みんな尊敬だなと、綺麗事ではなく心の底から思う。自分にはない才能、できない努力であるので余計に。


私の人生を豊かに、鮮やかな彩りを加えてくれる素晴らしいエンタメ。夢を追っている人に負けじと、私も自分のしたいことに挑戦し続けなければ…!と奮い立たされる。

今回のM-1グランプリ、いい心の動き方をした。
決勝に行ってくれたみんな、最高の笑いをありがとう ☺︎


🎧 HIRUNO HOSHI / illion

「昼の星」。大好きな言葉に大好きなメロディが乗せられた素敵な歌。🎶


エッセイにお時間をいただき、ありがとうございました🌕


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