「睡眠・覚醒相後退障害」と診断されるまで(前編)

こんにちは!
睡眠・覚醒相後退障害で悩んでいるるなです。

睡眠・覚醒相後退障害についてはこちらの記事をぜひ…

今回は、私が「睡眠・覚醒相後退障害(DSWPD)」と診断されるまでの経緯について書こうと思います。
長くなるので前・後編に分けます!


幼少期~

物心がついた頃から、超が付くほど夜型でした。
毎朝起きるのが苦痛で、休日は放っておくと昼過ぎまで寝ているような子供でした。

しかし、学校には特に大きな問題なく通うことができていました。
(小さな問題は度々起きていたのですが。後日別記事にします…)

そのため、自分がまさか睡眠障害だとは露も思わず、至って普通の学生生活を送っていました。

※症状には個人差がありますし、その他環境等の様々な条件が重なって私は運よく通学できていました。
 リズム障害でも頑張れば学校に行ける、とは思ってほしくありません。

就職後

世間のリズムに合わせた生活を続け、大学卒業後は一般企業に就職しました。
いわゆる「9時5時」に近い時間帯で働いていたのですが、依然朝起きるのは苦手で、毎朝苦労していました。

あまりに苦労していたので、常に気を張っていてなかなか寝付けなかったり、睡眠が浅く・短くなったりしていました。
寝坊が怖くて一睡もせず出社することもザラでした。
休日はそれを取り返すかのように一日の殆どを寝て過ごすことも珍しくありませんでした。

しかし、元々かなり不規則な生活を送っていたこと、夜型を自覚していたこともあり、特に異常を感じることはありませんでした。
何より社会人とはこういうものだ、朝は誰だって辛い、と思い若さと気合いで乗り切っていました。

繰り返す過眠症状

そんな調子で何とか仕事を続け、見かけ上は「普通の会社員」として数年過ごしていましたが、睡眠に関する異常がいよいよ見過ごせなくなってきました。

その原因が、過眠症状です。
元々日中に眠くなりやすく、学生時代は授業中の居眠りでよく𠮟られていました。
社会人になってからは仕事中に眠るわけにもいかないので(授業中も本当は良くないですが)、休憩を昼寝に充てて凌いでいました。

しかし、徐々に眠気に襲われる頻度が高くなり、どんなに耐えようとしても気付いたら船を漕いでいたり、お手洗いで仮眠(本当は良くないですが)していると気付いたら想像以上に時間が経っていたり…
さすがに誤魔化しが利かなくなり、仕事への支障も大きくなるばかりでした。

睡眠外来へ

危機感を覚え、人生で初めて睡眠外来を受診することを決めました。

「睡眠外来」とは、その名の通り睡眠に関する疾患の治療を行う専門外来です。
医療機関としてはあまりメジャーでないかと思いますが、私は過去に家族が通院していたことがあり、幸い(?)存在は子供の頃から認識していました(まさか自分が行くことになるとは思いませんでしたが)。

ちなみにこの時点では、夜はきちんと眠れているのにあまりに日中の眠気が酷いので、これは過眠症に違いないと思っていました。

(実際は前述の通り全くきちんと眠れていなかったのですが、不規則な生活が当たり前になっていたゆえに「基本的にはきちんと眠れている」という判定でした。過去の私の「体内時計」への無理解っぷりはこちらの記事の冒頭にも書いています。)

病院選びもよく分からないまま、ネットで調べた一番家から近いクリニックを受診しました。

初診では、主な症状の他にも、普段の生活リズムや過去の睡眠の問題など色々なことを結構な時間をかけて細かく聞かれました。
想像していた10倍くらいは聞かれましたw

(今思うと先生はこの時点で、私がリズム障害かも?と思われていたのではないかと思います…当時は無意識でしたが、問診でお話したことも今思うとリズム障害の特徴そのものでした。)

問診が終わり、後日泊まりがけで行う検査(PSG検査、MSLT検査というもの)を受けることになりました。
検査を受けるにあたって生活リズムを整えるよう指導を受け、検査日の予約をして、実際に検査日を待つのみとなりました。

しかし、私が検査予定日の数日前に、当時猛威を振るっていた新型コロナウイルスに感染し、検査は延期となってしまいました。
その後も頭の片隅にはあったものの何となく先延ばし先延ばしにしてしまい…

完全に自分のせいですが、検査の予定はなあなあになり、睡眠外来の通院もストップして、過眠症状を気合いで誤魔化す日々へと逆戻りしてしまったのです…

続きます。

後編はこちら


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