全てにおいて無理に目的を持つ必要はないと思う教
タイトルのまま。
別に目的なんて持つ必要がないしホントは持たないべきだと思う。
いま浪人生活が2年目に突入して、浪人界隈と言われるツイッターも始めて色々見てたら、無理に目的設定してる人が多いのかなって印象を受けた。
例えばなんだけど絶対に東大に行きたい!東大に行きたいから大学受験をするし勉強もするんだ!!って人はそれで良いと思う。
けどなんか目標決めてそれに突き進むのが正しいみたいな風潮があるから、大学進学はとりあえずしときたくて、えっと志望校決めよう、どこにしようかな?みたいに進むために目標決めるのは私は反対派。
思春期特有の人間ってなんで生きてるの?みたいな問いが、生きてるから生きてるとかになるように、人間って前もって決められた目標や目的があって生きているんじゃないよね。
偶然の成り行きによって、世間の荒波の揉まれて擦った揉んだしながら、収まるところに自然と収まるようにして生きているというのが正しいと思う。
偶然だ成り行きだなんて言われてしまうと、なんか心細くそんなので良いのって言う気持ちが浮かんできちゃったりする人は多そう。
けど、私は逆だと思う。それが反対に心の安定だったり幸福感に繋がるんじゃないかって。
分かりやすい例を複雑系物理学から引っ張ってきた。
ある分野の発展により成り行きで出来上がった物の方が、何かの計画書や設計図に基づいて作り上げられた物よりも、遥かに頑強に外部からの雑音や破壊的な力に対して抵抗力があることが明らかにされていたりする。
その反対に何かの目的を持ち、それを達成するための計画書や設計図に基づいて作り上げられた構造はそれが複雑で高度であればあるほど、そのような破壊の力が働くと脆い。
例えば、精密に動く機械時計を想像してみて欲しい。
その機械には前もって時を刻むという目的があって、それを作るに当たって緻密な設計図がある。
だけどそうやって出来た時計は、精密であればあるほど、たった一本のピンでも歯車に挟まってしまうともう動かなくなる。
でも私たちの身体にピンが一本ぐらい刺さっても、それで不自由になっても、我々は死なない。
なぜなら生物のこの複雑な構造は前もって何か目的があって、誰かが設計図に基づいて作り上げたものではないから。
そうでなくて、長い進化のお陰で何の目的もなく設計図もなく偶然の成り行きで収まるところに収まるようにして出来上がってきたから。
実は、偶然の成り行きで収まるところに収まるようにして出来上がってきた物が外部からの破壊力に対して頑強な抵抗力があるのは当たり前なことだったりする。
なぜなら私たちは制御できない様々な障害によって取り巻かれている。
そこで、あっちから邪魔が入ってこっちから邪魔が入ってと、周りの環境と擦った揉んだしているうちに成り行きに任せて、そんな邪魔に取り巻かれた環境の中で一番居心地の良い安定した構造がなんの設計図もなしに自発的に出来上がってくる。
だから、その安定した状態から無理やり引き離そうとしても、また環境と擦った揉んだしながら、その始めの状態に自発的に戻ってしまう。
なので外部からの邪魔が入っても、その構造を中々壊せない。
そしてその頑強さの根拠が、成り行き任せで出来てきたと言うところにあるんだと私は思う。
その反対に、上記の精密な機械時計はその存在の目的がはっきりしていて、さらに成り行き任せに生まれてきたのではないので、ちょっとした環境の変化や目的を見失った途端に壊れてしまう。
人間は何かの目的のために生きているのではなくて、成り行き任せに生きているから、環境の変化にも頑強に抵抗ができて安定して存在できる。
そしてその安定した状態が心の安定を保障して、幸福感を得ることに繋がる。
まぁ、要するに無理に目標とか持つよりも自分の意思を含めた流れに身を任せて気楽に過ごす方が良いよねってこと。
めちゃくちゃ浪人生に叩かれそうな記事だし、全然共感得られなさそう……でもtomio先生の教えを布教したかったんだ………おわり。
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