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ラストオーダードーナッツ

午後九時十七分、帰宅途中でローカル線上の最寄り駅に降り立った私は、ひどく空腹であった。三月も末という時分、小さな会社の経理担当として非常に忙しい日を送っており、終業後も何時間も残業をしていた。そんなことだから、昼食も夕食も、かろうじてという感じでとるしかなく、味なんかほとんど分からなかった。やっと業務が終わって退社し、何か腹に入れようと思ったが、我が会社の周りでこの時間帯で営業している飲食店は満席ばかりで、席が空くのを待っても構わないと思えるほどそそられるメニューもなかった。それで、このような瀬戸際になってまで「これは食べたくない、あれにも興味がない」などとごねられる己の身勝手さにほとほと呆れつつ、ともかくも電車に乗り、駅までたどり着いたのだ。

 

 しかし、駅を出たところで、付近の飲食店のほとんどはすでに営業を終了していた。相当に辺鄙な田舎で、レストランはおろか、スーパーマーケットもドラッグストアも、午後九時台で暖簾を下ろしてしまうのだ。いったん帰宅して買い物に行くにも結構な距離を歩かなければならないし、わざわざ車を使うのも面倒というものだ。第一、疲れ切っていたのだ。かといって、自宅の冷蔵庫にろくな食べ物が入っていないことも知っていた。もやしと玉ネギ、マヨネーズのみでは栄養が足りない。そもそも炊いた米すらなかったのだから。そのため、開いている店を何が何でも探し出し、腹を満たさなければならなかった。

 

 実を言うと、希望がまったくない訳ではなかった。駅の真横にチェーン店のドーナッツ屋があることを、一応は認識していたからだ(だから「ほとんどの店」と言ったのだ)。ただ、私の中では、ドーナッツというものはおやつに、または百歩譲っても昼食に食べるものであって、半日以上ろくな食べ物を口にしていないときのための選択肢ではないという理由でカウントしていなかっただけなのだ。これを逃したら朝まで食うものがないかもしれぬという状況でそんな贅沢を言うのも滑稽かもしれない。さあ、ドーナッツか、空腹か。ええい、ドーナッツを取るしかないじゃないか。もうどうなってもよい、と意気込んだ私は、寝静まった町の中で唯一の希望の光を放っていたドーナッツ店に向かっていった。

 

 自動ドアが開くと、ドーナツの甘い香りがすぐに鼻先を直撃してきた。天井の蛍光灯が疲れ目に眩しい。店内には私以外の客はいなかった。「いらっしゃいませ」と、制服と制帽を無難に着こなした若い店員の声が間延びする。「ラストオーダーは九時三十分です」

 

 ラストオーダードーナッツ。特に意味もなく考え付いたこの言葉を面白がりつつ、私は棚に残っている商品をさっと精査した。塩気のものはすでに売り切れてしまったようだった。少しでも食事になりうるものが欲しかったのだが、ここで諦めて家に帰ったところで玉ねぎともやしとマヨネーズが待っているのみである。仕方なく、もう何年も食す機会のなかったオールドファッションをトングでつかみ、レジまで持っていった。そして、ホットコーヒーを一杯注文した(さる作家の小説に、ドーナッツ屋のコーヒーは旨いと書いてあったのを思い出したのだ)。

 

 一個のドーナッツと一杯のコーヒーが載ったトレーをテーブルまで運び、椅子に座った。しかし、やっと手に入れた食べ物を前にして、食欲は不思議と起こらなかった。椅子に座った瞬間、日中から終業までの疲れがどっと噴き出してきて、食欲どころではなくなったからだ。それで、油断していると火傷しそうなほど熱いコーヒーを不器用にすすりながら、重厚感のある皿に鎮座するドーナッツに改めて視線を落とした。小麦と砂糖、油の塊。申し訳程度の食物繊維なら含まれているのかもしれないが、美容と健康のための食事には程遠い代物。それに、目も覚めるように苦いホットコーヒー。こんなものを飲み食いした数時間後の現実が物憂げに思われてきた。今夜はちゃんと眠れるのだろうか、と。そして、もし眠れなかった場合、次の日の業務にどのくらいの差し障りが出るのだろうか、と。と同時に、一つの、一生のうちに恐らく誰でもが考えたことがあるに違いない疑問が生じてきた。

 

 ドーナッツにはなぜ穴が空いているのか?

 

 無論、糖質も脂質も過多な食べ物に空洞を作ることで、「この穴の分だけカロリーがありませんよ、ですからドーナッツはヘルシーな食べ物ですよ」などと抜かし、悩めるダイエッターたちを翻弄しようとしている ―― なんて訳ではないだろう。正確に言えば、ドーナッツの生地をこねて揚げる際、中身が生焼けになってしまうと憂えた母親に、ハンソン・グレゴリーさんという人が「穴を空けたらどうか」と提案したのがきっかけだったのだそうだ。しかし、知識としてはそう納得できても、中央がぽっかりと丸く空いたドーナッツを凝視していると、化かされたかのような奇妙な気分になってこないだろうか。

 

 そして、穴があると、そこから覗きたいと欲するのが人の常ではないだろうか。。

 

 幸いにも、店内には私と店員以外誰もおらず、その店員もバックヤードに引きこもっていた。それに、こんな時間帯では店の前を人が通り過ぎることもなかった。私はゴクリと息を呑んだ。これは、考えていることを実行するチャンスだろうか? 誰かに見られでもしたら狂人扱いされるだろうが、何せ、誰もいないのだから。

 

 それとも、それともだ。兼好法師は『徒然草』の八十五段に、「狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり」という言葉を著した。それなら、もしここでドーナッツの穴から覗くなどという真似をしたら、私はその瞬間、たちまちにして狂人になれるのだろうか?

 

 当然、「そんなまさか」とすぐさま打ち消したが、残業で疲弊した頭にはそれに抗う意思は残っていなかった。私は恐る恐る、生暖かさの残る白い皿の上の、手つかずのドーナッツを右手で持った。そして、しばらくためらってから、充血の激しい右目へとあてがった。はて、さて。

 

 十秒経過した。変化なし。十五秒、二十秒、二十五秒、そして三十秒。たったの三十秒で結論を出すとはやや性急だっただろうか。しかし、やはり何かが変わった気はしない。せいぜい、視界の狭められた景色がキツネ色の小麦の生地でできた穴から見えただけだった。ドーナッツ屋のガラス窓の向こうに透ける、灯りのほとんどない町の真っ暗闇。これでは、狂人どころか「変人」になれたかどうかすら怪しいではないか。どちらも、なろうとしてあくせくしているうちには果たせないのかもしれない。なぜなら、狂人も変人も、自分が狂っている、おかしいなんて決して思っていない。それどころか、事情はどうあれ、我こそは正しい、正常だと信じてやまない人種なのだから。

 

 しかし、もし、本当に変人になってしまったとしたら、その時私はどう感じるのだろうか。いや、そもそもの話、何かを感じるのだろうか。無論、最初のうちはひどく抵抗するだろう ―― 手足をじたばたと動かして、地べたをのたうち回って。その苦しみと葛藤は想像を絶するものだろう。でも、ある瞬間に、突然、ふっと楽になる。そして、目に見える景色はそれまでとはまるで変わったものになるだろう。あたかも、薄暗いトンネルを時速八十キロメートルで走り、抜けた後に、目の網膜を刺すようなまばゆい光と新緑の清々しさに迎えられるときのように。その景色が、その瞬間から、私にとっての現実になるのだ。

 

 そうしたら、私は以前の自分のことをすっかり忘れてしまうだろうか? 脱ぎ捨てられた正気と一緒に過去の私を置いていくのだとしたら、少々寂しい気もする。

 

 恋の始まりも、同じようなものではないかと思った。あるいは、一種の季節病か。

 

 なかなかうまいことを考えるじゃないか、私。

 

 あ……。

 

 一瞬、誰かと目が合わなかっただろうか。ガラス窓の外にいる誰かと。通行人だろうか、それとも? いずれにせよ、その人がドーナッツを右目にかざした私の姿をしっかりと認めたのは確かだ。その時の表情は分からなかった。それは数マイクロ秒の間に起こった出来事であり、私が「やってしまった」と悟る前に、その場を去っていってしまったから。

 

 全身がかっと火照り、額から、そしてドーナッツを持つ手から冷汗が噴き出してくる感覚があった。ああ、ああ! 一体、何てことをしでかしてしまったのか。店員も私の奇行を観察していたのだろうか。私はドーナッツをいったん皿の上に戻し、恐る恐る後方へと視線を泳がせた。幸い、こちらのほうは無事だったらしい。店員は先ほどからバックヤードにこもりきりで、私を注視してなどいなかったようだった。しかし、どうしてそう言い切れるだろうか? 実は両の眼でまじまじと見つめていたのに知らないふりをしていた可能性を否定できないのだ。そして、実際にそちらの可能性のほうが優勢なのであれば、私は二回分の恥を重ねたことになる。一刻も早く店を出なければ。

 

 私は大急ぎでドーナッツを幾つかの塊に割って分け、それぞれを咀嚼もろくにせずに口の中に放り込み、コーヒーで胃へと流し込んだ。折角ありつけた食事だというのに、味わう時間すらなかった。否、これから先、ドーナッツを目にするたびに、私はこの日の屈辱的な事件を思い出し、地団太を踏みたくなるのだろう。ああ、この店にはもう来ないだろう。そして、ドーナッツなんて二度と食べない。それこそ「ラストオーダードーナッツ」だ。

 

 席を立つときに壁の時計を見ると、来店してから十分ほどしか経っていなかった。少なくとも三十分は座っていたような感覚があったのに、妙な話だ。

 

 そして私は店を出た。外に出ると、ドーナッツ屋の蛍光灯の目を刺すような明るさは幻であったかと思うような真っ暗闇が広がっていた。ここから家路を辿るのだ、、まだどきどきと鳴る心臓をなだめながら。そして、冷汗まみれの体に、三月の夜風は冷たかった。

 

 空には入店前には雲間に隠れていた月が浮かんでいた。満月ではないが、十分に丸い。エンゼルクリームを思わせるそれを見て、私の腹の虫はまたグーっと鳴った。今度はエンゼルクリームを食べるのもよいかもしれない、と思った。

 

 意志薄弱。

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