生きることが表現

今、『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』という本を読んでいます。感想は読み終わってから書く予定ですが、さっき読んだページに出てきたアート作品が衝撃的だったので、感じたことを書き留めておきます。

その作品は、「サッポロ一番しょうゆ味」。写真を見ると、壁三面を埋め尽くすように、サッポロ一番しょうゆ味のインスタントラーメンの袋がびっしりと綺麗に並べられています。ものすごい数の同じ袋が並んでいるので、まず、それに圧倒されてしまいました。アートとして迫力のある作品だなあ、と感じました。

でも、それ以上に感動したのが、この作品に関する説明を読んだときでした。

作者の酒井美穂子さんは障害のある方で、インスタントラーメンのサッポロ一番しょうゆ味のパッケージを触るのが好きなのだそうです。二十年にわたって、毎日、一日中、このラーメンの袋を握りしめているのだそうです。

酒井さんの通う福祉施設のスタッフが、これも一つの表現の形だろうと考えて、握りしめていた袋に日付をつけて、保管していたのだそうです。壁にずらりと並べられて展示されていたのは、その袋だったのです。

これを読んで、私はとても考えさせられました。
酒井さんが一つ一つの袋を握りしめていた一日一日は、一つも同じ日はありません。嬉しいことがあった日も、悲しいことがあった日もあったでしょう。天候も晴れていたり、雨が降ったり、さまざまだったことでしょう。ずらりと並んだ袋を見ていると、なんだか袋が酒井さんの日記のように思えてきます。酒井さんの生きた証になっているように感じられるのです。

そして、もう一度、大量の袋が並んだ作品の全体を見直してみると、「とにかくこのサッポロ一番しょうゆ味の袋が大好きだ!」という酒井さんの情熱と、その毎日の集積...つまり酒井さんの人生そのものが、見ている私たちに厳かに迫ってくるように感じます。

毎日同じ種類のパッケージを握りしめていることを「表現」と考え、それを尊重して保管していたスタッフの方の慧眼に脱帽です。

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