特定の状況下で、自分の記憶にアクセスできなくなる時がある。

もともと人と話をするのは苦手で、わたしは人間を前にすると途端に言葉が出なくなってしまう。ただ、通常そういう時は、話す話題がないとか、ある話題に対してどれくらい掘り下げて話していいのかとかがわからないということがおそらく理由で、これは程度の差はあれど、「何となく気まずい」という状況を経験したことがある人ならば、わかってくれることなのではないかなと思う。

しかし、まれにこれとは違った感覚で全く話せなくなってしまうということが起こる。
いつ起こるのかということでわかっていることは、「ある程度プレッシャーのかかる場面」かなと曖昧であるが、見当をつけている。もしかしたら全く違うのかもしれない。
「気まずくて話せないということとは違った感覚で全く話せなくなる」ということがどういうことかというと、感覚的には自分の脳みその言葉を記憶する倉庫とか自分が考えたこととかを保管している箱とかにアクセスできなくなる、あるいは言葉が書いてある紙の特定の部分が塗りつぶされてしまっていてその部分を思い出したり、何が書いてあるのかがわからなくなってしまうというもの(伝わらない気がするけど)。語彙だけではなくて、経験とかにもアクセスできなくて、ある特定の種類の経験を思い出せないということがある。
保管してあるものにアクセスできなくなるということからもわかるとおり、過去に勉強したこととか、経験したこととかを話さなくてはいけないときに発生する。ど忘れに近いかもしれない(近いかもしれないが決定的に違うという直感はある)。

直近の経験でいうと、心療内科に行った時、当然そこでは自分が困っていることについて先生に対して話さなくてはいけないのだけれど、いざ話そうとするとそれまで悩んでいたこととか、考えていたこととかにアクセスできなくなってしまって、自分の困っていることや、辛いことについて話せなくなってしまった。診察にきたにも関わらず、何も話さずに帰るということはできないから、とりあえず記憶のアクセスできる部分だけを話したり、半分話をそれっぽく作ったりして話す(この時点で診察はほとんど意味を失ってしまうだろう)。診察が終わり、帰ろうと建物を出て、歩き、本屋に寄ったりしていると、そのときに突然アクセスを許可され、あの時話せばよかったことが次々と溢れてくる。やっと出てきたそうした言葉は、出てきたときにはもう手遅れで、なぜ今になって出てくるのかという後悔のみが残ることになる。
大学院で指導教授と面談をするときにも同じことが起こった。その時は、自分がどういう研究をしたいのかについて説明しなくてはいけない状況だった。しかし、いざ「どういうことがやりたいの?」と教授に聞かれた時、頭の中が真っ白になってしまい、全く話せなくなってしまった。研究テーマは完全に固まっていたわけではないけれど、ある程度こんな感じかなというイメージができていたはずなのに、キーワードすら言葉を出すことができなかった。何とかアクセスできる部分の記憶を頼りに文章を作って話すのだけれど、そんな貧困な語彙のみを使ったプレゼンテーションが意味を為したものになるはずがなく、教授から見れば「こいつは全くやりたいこともないし、曖昧なままに来たんだな」「こいつの能力で卒業できるのか心配だ」と確信されただろう(それは少なからず正しいのだけれど)。

他にも致命的な場面で頭の中にアクセスできなくなってしまったことが多々ある。そういうときには何とかその場を流して状況を進めることでやり過ごすことができるときと、それが許されず、全ての活動が停止してしまうときの大きく分けて2パターンになる。
「全ての活動が停止してしまう」がどういうことかというと、信じられないかもしれないが、相手を前にしているにもかかわらず、何も話せなくなり沈黙し、何もできなくなる。幸いにも(不幸にも)相手が、わたしの言葉を待ってくれる人であると、その停止し沈黙を続ける時間は、何時間にわたることもあった(その時はそれほど重要な話をしていた)。
こうなると、話せない自分は馬鹿だということを確信し、とても情けなくなる。そもそも頭には何も入っていないのではないかという疑義も生じ、自分がますます嫌になる。

これが、どういうことなのかは現時点で全くわからない。ほんとにそもそも何も記憶されていなくて(勉強不足)(記憶力が悪い)出てこないのかもしれないし、話そうとするときに「自分の頭の中には話すことがある」気がするだけで、本当に気がするだけなのかもしれない。
ただ、自分の感覚だけで語るなら、話そうとするときに話そうとすることの重要な部分が塗りつぶされていたり、そもそもそれがある部屋の鍵が閉められてしまってアクセスすることができない、あるいは口から出ようとする直前に何かがそれを止めようとしている。

少なくとも、こうした現象のおかげでこれまで苦しいことが多かった。これからも苦しむと思う。
こうした現象は、話すこと全体に発生して、全てを覆い隠してしまうこともあるし、単語ごとなどほとんどど忘れに近い小さな規模で起こることもある。
小さな規模であれば、他の言葉に置き換えたり、その言葉を説明する文章で話すことによって何とか乗り越えることもあるが、大きな規模になるとそうはいかずに、前述の通り停止してしまうこともある。そして、全てが終わった後に突然吹き出してくる。
一応、対抗手段も少しは持っていて、それは、この現象が出ることが予想されるときにはあらかじめ話さなければならないことをメモとかにまとめておいて、話すときにはそれを見ながら話すということ。これをしておけば、頭の中にアクセスできなくても、メモには目からアクセスすることができるから話そうと思っていることは話すことができる。
ただ、これには弱点もあって、当然人と会話をするときには何を話すのかを全て予想することはできないから、予想外のこととか、質問された時とかに全く対応することができない。紙に全てを書いておけば、あとは即興的に考えることなのだから別の問題なのではないかと思われるかもしれないけれど、紙に書いてあることは自分の頭の中の使える範囲の部分にないからそれを使って発展的に考えるということができないことが多い。紙に書いてあることは、自分で書いたはずなのだけど、ゲシュタルト崩壊した文字のように、自分との関係性が途切れてしまった意味のまとまりみたいになってしまう。

この問題は自分のなかで全く処理できていなくて、混沌としたまま書いたので文章も混沌としてしまっているが、書きながら整理するということを期待して書いてみた。何とか、学生のうちにこのことを言語化できるように頑張りたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?