ステイホームな勉強との向き合い方について思うこと

いま、小学生から大人まで、幅広い年代の人たちが、「家で勉強」していると思う。今だからこそ「勉強しなくちゃ(させなくちゃ)」と気合を入れている人も多いはずだ。学校やセミナーに行けなくても、ネット上にいくらでも教材が出てきているし、教科書を自分で読めばいい。他のことができないこの期間、今こそ勉強をがんばろう、と。

けれど、「今一つ調子が出ないな」という人もいるのではと想像する。学校や大学がばっちりオンライン学習のカリキュラムを用意してくれる場合を除いて、今は基本的に「いつ何を勉強するか」を自分で決めなければならず、「そもそも何のための勉強だったっけ?」という疑問が頭をもたげてきてもおかしくない。家で進める勉強には、どこか「糸が切れた凧」のような心もとなさがないだろうか。

私は教育についてはまったく素人だが、このことについて何か少し言えることがあるような気がしている。学校(大学院)を出たあと8年間、私は家で「糸が切れた凧のような自宅勉強」(主に、面白そうな本を読んで感想を書く、という勉強)をやってきたからだ。去年あたりから、「勉強者(べんきょうしゃ)」を自称したりしている。

学校・大学・会社での勉強には、テスト・入試・資格試験・業績・スキルアップといった、明確な「目的」がある。もちろん、今のステイホーム体制下でも、そうした目的に向けての勉強をしている人が多いだろう。一方、世の中には、誰にも頼まれていない、趣味としての、自己満足だけのための勉強だってありうる。もしかしたら、そっちの方が今は楽しいかもよ。勉強をつらく感じている人に向けて、そんなことを言ってみたくなった。

しかしそれにもコツがいる。

テストや資格といった明確な目的のない勉強をする理由は、一言でいうなら「知的好奇心」だろう。しかし、ここで大事に思えるのは、知的好奇心は「自分のなかから湧いて出る」だけではなく、「外から育てられる」ものでもあるということだ。

興味の対象を、たった一人で、生涯かけて追い続ける。そういうことができる人もいるかもしれないが、少なくとも自分にはできない。どんなに興味があるテーマでも途中で飽きてしまうこともあるし、毎日家で勉強をしようというモチベーションも湧きにくい。好奇心の火をともし続けるためには、どうしても誰かからの「フィードバック」が必要に思う。自分の場合は、ブログやSNSを使って勉強の成果を発信し、それにコメントや感想をいただけたことで、自分なりの探究を続けてこれた自覚がある。

使えるものは何でも使って、何かからフィードバックを得て、自分の好奇心の燃料にするのが大事だ。先生でもいいし、友達でもいいし、ネット上にいる知らない誰か(※若い人は注意)でもいいと思う。(うまく記録をつければ、「昨日の自分」や「明日の自分」さえ、そうした「他者」にできるかもしれない。お試しあれ。)

ここまでは、「なんとなく勉強したいことがある人」向けのアドバイスのようなものを書いた。一方、「何も勉強したくない人」もいるだろう(とくに小・中・高生)。そんな方には、ぜひ昨日(2020/4/25)公開の小林晋平先生(東京学芸大学准教授・物理学者)のYouTubeを見ていただきたい。小林先生は、勉強が辛ければ、今は勉強なんてしなくていい、とおっしゃる。それよりは、自分が面白がれることを見つけることが、今は何よりも大事だと。

柄にもなく説教じみたことを書いてしまったのは、このステイホーム期間を家で無為に過ごしてしまっている若者が多いらしいことに、自分なりの危機感をもち、それが次第に大きくなってきたためだ。どうか、この期間を「学校が開くのを待つ時間」にしないでほしい。そう願うのは、今後の経済情勢・世界情勢・気象災害などによって、安心して「ステイホーム」することすらできなくなりうるからでもあるし、何より、読みたい本があって、それを読む時間があれば、人は限りなく豊かな時間が過ごせるはずなのにという妄信があるからだ。

(追記)ただし、以下の問題があり、深刻です。


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