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ふしだら上等

  もう2か所、ピアスを増やそうかと考えている。インナーコンクを開けることは既に決めているが、ヘリックスの位置で迷っている。既存のヘリックスの上に開けて二連にするか、フォワードヘリックスを開けるか――このどちらかにしようと考えているが、片方に選択肢を絞る決心が付かない。白状しよう。実は、職場でもピアスは付けたままだ。

  現在、私の耳には全部で7か所ホールが開いている。右に3つ、左に4つである。軟骨は、ヘリックスとロックの2か所だ。私は、昔から髪の分け目を右側にしている。それに伴い、髪をかける側の耳はいつも右耳であり、左耳の方は髪で隠すことが大半である。ロブへのピアッシングはポピュラーだが、軟骨(もしくは顔面や口腔、ボディ)となると、社会的理解を得ることは中々難しい。加えて、両親から授かった身体に自ら傷を付けるという行為自体、社会的観点からは非道徳的な意味付けをされる傾向がどうしても否めない。こうした点を鑑みた上で、軟骨に関しては、普段は人目に触れることが少ない左耳に集中させる方針にしている。
  もちろん、仕事ではファーストピアスが付け替えられない軟骨以外はすべて外している。髪も短いので、結局のところ、耳は完全に髪で覆い隠すことができる。ホールの収縮防止にガラスリテーナーを付けていくときもあるが、よっぽどの至近距離で凝視されない限り、他人様の目に触れることはないと思う。職場に関しては、組織体制は古臭いが、服飾規定はさほど厳しくはない。カラーリングやピアス、ネイルアートも、過度に華美でないものであれば許容される。だが、軟骨ピアスはさすがに許容の範囲外であろう。じぶんが人事担当者なり、上司という立場であったとして、新入職員の耳に堂々と軟骨ピアスが付いていたら、きっと困り果ててしまうと思う。なので、対他配慮にはそれなりに念を入れている。

  軟骨のホールは、かなり安定してきた。たまに寝方を間違えて耳を圧迫してしまい、ホールの状態が悪化したときもあった。そういうときは、ホットソークをするか、市販の抗生物質入りの軟膏を塗って対処をすると、翌日には調子が戻っていた。
  ホールは、まるで生き物だった。私の体調に関係なく、気まぐれに体調を崩した。私は私のホールの面倒を見るたびに、じぶんという存在を、統制不可能な異物とシンクロさせるような不可思議な感覚に陥った。じぶんの身体はじぶんの所有物であるはずなのに、ホールは私の思惑に反して勝手気ままに疼き出した。やっていることは、きわめて単純である。耳に小さな穴を開け、バーベルを挿し込み続けること、ただこれだけだ。それなのに、私の身体というシステムは、バーベルという異物を、システムの恒常性に脅威をもたらす要素として体外に排出しようと大暴れした。
  私は理解した。じぶんの身体という小宇宙の均衡が、いかに脆く崩れ去るものであるかということを。そして、異物を摂取する苦しみを能動的に経なければ、じぶんの均衡は徐々に力を失っていくということを。
  そろそろ、ファーストピアスをセカンドピアスに付け替えてもよい頃だと思う。だが、ファーストピアスは如何せん自力で付け替えられないぐらいに固く締め付けられているので、スタジオまで出向いて外してもらうしかない気がしている。自力で無理やり取り外して、ようやく安定したホールの状態を乱してしまったら元も子もないからだ。耳全体のデザインにもまだ納得がいかないので、付け替えのついでに、またピアッシングを頼もうかと考えている。

  ピアスで思い出すのは、叔母のことだ。私が初めてピアスを知ったのは、叔母がきっかけだった。叔母の耳には、よくピアスが光っていた。たしかにピアスは綺麗だった。だが、どうしてイヤリングでは駄目なのかがよく理解できなかった。わざわざ自分の耳に穴を開ける痛みを得る必要性が、ピアスの美しさと吊り合うように思えなかったからだ。また、叔母は英語が上手かった。宇多田ヒカルが好きで、よく私に宇多田ヒカルのCDを貸してくれた。宇多田ヒカルの透明感溢れる歌声と、叔母の話す流暢な英語の記憶が混ざり合い、いつの間にか、私は彼女らのように自由に英語を操りたいと思うようになった。
  時が経ち、英語もそれなりに得意になった。気付くと叔母は、いつの間にか見知らぬ男とセックスをし、子供を孕み、勢いで結婚した。その事実を知って以来、今までのように叔母の顔を直視することができなくなった。いつの間にか、私は叔母のことを「ふしだらな女」として内心で見下すようになった。叔母の結婚式に出席し、純白のドレスに包まれた叔母の下腹部がグロテスクな膨らみを帯びている様子を目にした際に、じぶんの中の叔母への憧れが、薄っすらと泥で覆い尽くされていくような感覚が胸に拡がっていったことを覚えている。
  もう長いこと、叔母ともその子供達とも顔を合わせていない。次に会うとしたら、祖母の葬式の時ぐらいであろう。親戚で集まろうと言われても、きっと私は仕事を理由にして参加を断る。「仕事が忙しい」という台詞は、とても便利である。この一言で、たいていの事柄は回避可能だからだ。

  私は、じぶんの身体にじぶんの意志で穴を開けるという不可逆的な行為が好きだ。刺青とは異なり、ピアスホールは、ピアスを付けることも、付けないこともできる。不可逆性の中に、可塑性が詰まっているのだ。ピアスを付けないことは、身体に空気を通すことを意味する。身体という閉鎖的なシステムの中に外気が流れ込み、身体を流れる気の淀みがゆるやかに解消され、自律性への強迫観念が地面に溶け出していく。私を構成するあらゆるシステムの自律性が、不断の変容を巻き込みながら渦となり、軽やかな一時性を帯びていく。呼吸をするのが、随分と楽になる。
  ホールを作る際に、麻酔をかけたことは未だにない。痛みを排除したイニシエーションには、興味が持てないからだ。じぶんを新たなじぶんへと転生させるためには、今のじぶんを突き刺して殺さねばならない。成人式というイニシエーションを経て大量生産される「大人のエゴ」は、ほんとうに大人なのだろうか。
  私がピアスを開け始めたのは、ここ最近である。周囲のひとには、驚かれることも多い。きっかけは就活だった。社会的に構成された性を名乗ることが、履歴書の性別欄においても、内定者の椅子取りゲームにおいても、ひいてはぼくらの生を彩る様々なステージに登壇する「前提条件」として強制されていることに対して、猛烈な嘔吐感を催してしまった。我慢すべきことは重々承知していたが、どうしても我慢できなかった。身体が勝手に拒絶反応を示した。女を上手く名乗れない私には、何処にもじぶんの居場所がなかった。だが、負けたくなかった。居場所があるフリをする覚悟を貫くと同時に、たしかに今ここに存在する「居場所がない」じぶんを肯定するために、私はじぶんを他ならぬじぶんとして刻印し直す行為を欲していた。試しにピアスでも開けてみようと思った。鈍痛が心地よかった。性に合っていた。

  今の私は、叔母のことを「ふしだらな女」として蔑んだ過去のじぶんに、風穴を開けることができているだろうか。少なくとも、私の耳は穴だらけだ。アナーキストは身体中に穴を開けるし、パンクスはパンを喰い続ける。私は愚童である。だから、思う存分「大人のエゴ」をヘラヘラと嘲笑しながら不自由に生きることで、自由を享受する。
  他者を「ふしだらである」と非難する者は、道徳を盾にして、じぶんでじぶんの思考を編み出す苦しみを放棄する安楽さに身を委ねているだけなのかもしれない。じぶんでじぶんの思考を編み出すためには、傷と痛みを負う覚悟を持たねばならないと思う。ほんとうに美しいものは、覚悟を負うことに躊躇しない。生まれるときも、死ぬときも。

  やっぱり、イヤリングじゃダメだよね。叔母さん、ごめんね。

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