校則について思うこと

 規則とは社会契約論の示すように"相互の自由を守る"ためにあるが、学校とは本来、ヘーゲル「止揚」のように"規則が無くても自由を守れる"市民を育てる役割を担っている。しかし安全面や学校・学級運営上の必要により校則は増える。子供を従わせるのではなく、理由を共有できれば良いし、理由の説明ができない校則は無くせば良いと思う。それは今学習指導要領の目指す「主体性・対話性」を育む教育像にも重なるはずなのに、現実には必要性のよく分からない校則が多くある。

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