#41 ペットボトル水の重さを感じる様に人の心も感じる経営者へ(仏教と経営_5)

 先日仏教のセミナーに参加してきた。詳しい内容はアップできないが、印象的だった気づきについてご紹介したい。

自分も含めて健康な生活を送れる人であれば、500mlのペットボトルを重たいと感じる人はいないと思う。目の前にあれば、パッととって、くるっと蓋を開けて、くいっと飲んで、トンと置くだけの作業である。

それではペットボトルに重さは無いのか?といえば、そんな事はなく、500g余りの重さがある。重さを常に感じながら同じ動作をやるとどうなるのか。全く違った感じになる。500gという重さは重くもなく、軽くもない重さだが、確かにその重さを感じながら同じ動作をやることで、水の存在そのものにも意識が行き結果として飲み方も丁寧になり、水が体内に取り入れられていく事まで実感出来る様になる。

これは最も簡単な例だが、存在しているが、感じていなければ存在していない事と同じだという事に気づけた事が自分としては発見だった。一緒に過ごす家族、長年勤めている従業員、離れたところにいる両親、確かにそこには存在しているが、自分がその存在を感じているかどうかで、接し方が変わってくる。

水や物の様に”重さ”という単純な感覚だけでは語れない、複雑な”感情を感じる”というものが人の脳は感じ取る事が可能になっている。現代では感じるというと五感だが、仏教では六識ある(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)最後の意識というのが全体を網羅しているが、最後の意識に上がるためには五感からの刺激が必要なので、まずはそれを日々実践する事。

現代の生活は様々な入力にあふれている。
・朝起きてスマホを見る(眼識)
・眠気覚ましに濃いコーヒーを飲む(鼻式、舌職)
・Airpodsで音楽を聴きながら通勤(耳職)
・打合せやタスクに8~10hr集中(意識)
・情報化社会になり首や肩に極端になった身体への入力(身識)

極端で集中的になった六識への入力を感じて生活を見直す事で、結果として日々が充実していく様に、経営も様々なことを感じる事から始まるんだと思う。

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