「仲良し」の定義を考えたら50文字になりました
午後3時。バイトから帰ってくると、両親(父71歳、母67歳)がテレビを観ていた。
観ていたのは韓国ドラマだった。テレビ東京で平日朝8時から放送されているやつ(北海道だけ?)。二人とも韓国ドラマが好きなのである。
「仲良しだね」と揶揄してみた。すると母は「ただテレビ観てるだけでしょw」と。
…待てよ。
「仲良しだね」と言ってみたものの、具体的に「仲良し」とはどういう状態、どういう関係性を指すのだろうか。
物書きなので、言葉は正しく使いたい。あいまいな表現でも、できるだけわかりやすく定義づけたい。
よし決めた。今日の議題は「仲良し」だ。りぼんでもちゃおでもなく「仲良し」だ!
【仮説1】
「仲良し」とは“一緒に行動する関係性”のこと
「両親は一緒に同じテレビを視聴していた。だから仲良しだ」という説。
確かに、仲が良い相手と一緒に行動をすることは、理にかなっている。
しかし、本人たちの意志とは関係なく、仲が悪い者同士が一緒に行動することもあるわけで(仕事など)、そうなるとこれは「仲良し」の定義にはならないか。
【仮説2】
「仲良し」とは“特定の行動を一緒にする関係性”のこと
仮説1に「特定の行動」を追加したもの。今回の例だと、韓国ドラマの視聴になる。
でもなぁ、これもちょっと違う気がするなぁ。
父も母も、それぞれ単独で観ることもあるし、というか単独で観る方が普通だ。「母がたまたま観ていたから父も観ている」が最も多いパターン。
そう考えると、特定の行動が常に一緒というわけではないから、立証できず。
【仮説3】
「仲良し」とは“特定の行動を一緒にすることが苦ではない関係性”のこと
さらに「一緒が苦ではない」という要素を追加。こいつはどうだろう。
父も母も、一緒に韓国ドラマを観ることはやぶさかではないと思う。
「この男の母親が…」「いや、あれはヒロインの母親で…」などと、血縁関係がややこしい韓国ドラマの相関図を情報共有している点から、一緒であることが嫌ではないはずだ。
ただ、これだと許容範囲の話で終わってしまう。「苦ではないけれど、別にわざわざ一緒に観ない」では、「仲良し」には結びつかない。
うおお、なんて奥深いんだ「仲良し」…!
【仮説4】
「仲良し」とは“特定の行動を一緒にすることが苦ではなく、かつその頻度が比較的高い関係性”のこと
特定の行動を一緒にすることが苦ではないのだから、頻度も高いだろうという説。
仮説2で「単独で観る方が多い」と述べてしまったので、「頻度は比較的高い」というふうに濁した。これはもう体感レベルなので、「おや、一緒にドラマ観るなんてめずらしいじゃない。ヒューヒュー!」とならなければ良しとしよう。
うん、なんかしっくりきた気がするぞ。
あれ、でも待てよ。僕の仲良しの友達は、会う頻度が高いとは言えないなぁ。一緒にいる時間と仲の良さは必ずしも比例しないから、また違う表現を考えなければなるまい。
【結論】
「仲良し」とは“特定の行動を一緒にすることが苦ではなく、一緒にいる場合に特定の行動を一緒にする頻度が比較的高い関係性”のこと
これでどうだい。一緒にいる状況が少なくても、これなら「仲良し」認定されるだろう。
あー良かった良かった。これで「仲良し」の定義がテストに出ても答えられるわー。
納得したところでリビングに行くと、両親は2本目の韓国ドラマ(テレビ東京で平日朝9時30分から放送されているやつ)を観ていた。本当に仲がよろしいようで。
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