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待合室でビートを刻んだ日
「今日、お前たちに大人の階段を登らせてやる」
先輩に引き連れられ、僕と同僚はすすきのにある雑居ビルに足を踏み入れた。
◇
10年以上前の、とある夏の日のことだった。
当時働いていた職場の若手野郎ども6人で、「夏季休暇を利用して札幌に酒を飲みに行く」というだけの理由で、僕らは大都会・札幌にいた。一泊二日のプチ旅行だ。
全員が当時20代だったので、ビアガーデンでめちゃくちゃ酒を飲んだ。しこたま飲んだ。浴びるほど飲んだ。もはや浴びていたかもしれない。でも、途中からなぜか全員モスコミュールだった。ビアガーデンなのに。
ベロベロにベロベロを重ねた翌日、二日酔いからようやく復活した先輩が、僕ともう一人に声をかけた。
「お前らも一緒に行くか?」
目的地は、うん、その、まあ、あれだ、昔で言うところの遊郭だ。
助成金と称して、先輩は僕ら二人に五千円札を1枚ずつ渡した。「もしかして『たけくらべ』の舞台が吉原だったのと掛けているのか?」と思ったり思わなかったりしながら、心なしか軽蔑の眼差しをしている樋口一葉を財布に忍ばせた。
◇
ビルのエレベーターが「チン」と鳴り、扉が開いた。
その向こうには、清潔感と妖艶とがないまぜになったような、不思議な空間と香りが広がっていた。
黒服に案内され、僕ら三人は待合室に通された。僕の向かいに先輩が座り、L字ソファーの短い方に同僚が、長い方に僕が座った。
ほどなくして、別の客であろうおじさんが来店し、僕の隣に座った。
めちゃくちゃ緊張してきた。
こういうお店は初めてだったので、期待と不安が3:7くらいの気分だ。やばいやばい。心臓がバクバクする。
気を鎮めるため、僕は雑誌を手に取った。
うん、全然頭に入ってこないね。
それどころか、雑誌を持つ手がプルプル震えている。顔を上げると、対面の先輩も僕を見ながら肩をプルプル震わせている。
ええい、もう雑誌はいい。ソファーにもたれて、静かに待っているとしよう。
「ドゥンッ、ドゥンッ、ドゥンッ、ドゥンッ」
え、なに? なにこの重低音?
「ドゥンッ、ドゥンッ、ドゥンッ、ドゥンッ」
この店の音響、ウーハー強めなのだろうか。
「ドゥンッ、ドゥンッ、ドゥンッ、ドゥンッ」
あ、違うわ。
これ、僕の心音だわ。
あまりにも緊張しすぎて、心臓のビートが大音量で響いていた。もう心臓の中に若い頃のYOSHIKIでもいるのかってくらい、激しくダカダカ打ち鳴らされている。
加えて、ソファーにもたれているもんだから、その振動がL字に広がっていく。同じL字ソファーに座っている同僚もおじさんも「!?」って顔をしている。やめて。こっちを見ないで。
顔を上げると、対面の先輩が僕を見ながら声を押し殺して完全に大笑いしている。心臓を打ち鳴らす僕と、肩を震わせる先輩。二つのビートが奏でるプレリュードは、静かに、しかし確実に待合室内を彩っていた。
「御予約のお客様、お待たせいたしました。どうぞ」
熱いセッションを終え、先輩はひと足先にカーテンの向こう側へ消えていった。
恥ずかしさで全身が熱い。
紅に染まったこの僕を慰める奴はもういなかった。
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