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待合室でビートを刻んだ日

「今日、お前たちに大人の階段を登らせてやる」


先輩に引き連れられ、僕と同僚はすすきのにある雑居ビルに足を踏み入れた。



10年以上前の、とある夏の日のことだった。

当時働いていた職場の若手野郎ども6人で、「夏季休暇を利用して札幌に酒を飲みに行く」というだけの理由で、僕らは大都会・札幌にいた。一泊二日のプチ旅行だ。

全員が当時20代だったので、ビアガーデンでめちゃくちゃ酒を飲んだ。しこたま飲んだ。浴びるほど飲んだ。もはや浴びていたかもしれない。でも、途中からなぜか全員モスコミュールだった。ビアガーデンなのに。

ベロベロにベロベロを重ねた翌日、二日酔いからようやく復活した先輩が、僕ともう一人に声をかけた。


「お前らも一緒に行くか?」


目的地は、うん、その、まあ、あれだ、昔で言うところの遊郭だ。


助成金と称して、先輩は僕ら二人に五千円札を1枚ずつ渡した。「もしかして『たけくらべ』の舞台が吉原だったのと掛けているのか?」と思ったり思わなかったりしながら、心なしか軽蔑の眼差しをしている樋口一葉を財布に忍ばせた。



ビルのエレベーターが「チン」と鳴り、扉が開いた。
その向こうには、清潔感と妖艶とがないまぜになったような、不思議な空間と香りが広がっていた。

黒服に案内され、僕ら三人は待合室に通された。僕の向かいに先輩が座り、L字ソファーの短い方に同僚が、長い方に僕が座った。
ほどなくして、別の客であろうおじさんが来店し、僕の隣に座った。






めちゃくちゃ緊張してきた。



こういうお店は初めてだったので、期待と不安が3:7くらいの気分だ。やばいやばい。心臓がバクバクする。

気を鎮めるため、僕は雑誌を手に取った。




うん、全然頭に入ってこないね。

それどころか、雑誌を持つ手がプルプル震えている。顔を上げると、対面といめんの先輩も僕を見ながら肩をプルプル震わせている。


ええい、もう雑誌はいい。ソファーにもたれて、静かに待っているとしよう。




「ドゥンッ、ドゥンッ、ドゥンッ、ドゥンッ」




え、なに? なにこの重低音?



「ドゥンッ、ドゥンッ、ドゥンッ、ドゥンッ」




この店の音響、ウーハー強めなのだろうか。



「ドゥンッ、ドゥンッ、ドゥンッ、ドゥンッ」




あ、違うわ。

これ、僕の心音だわ。



あまりにも緊張しすぎて、心臓のビートが大音量で響いていた。もう心臓の中に若い頃のYOSHIKIでもいるのかってくらい、激しくダカダカ打ち鳴らされている。

加えて、ソファーにもたれているもんだから、その振動がL字に広がっていく。同じL字ソファーに座っている同僚もおじさんも「!?」って顔をしている。やめて。こっちを見ないで。

顔を上げると、対面といめんの先輩が僕を見ながら声を押し殺して完全に大笑いしている。心臓を打ち鳴らす僕と、肩を震わせる先輩。二つのビートが奏でるプレリュードは、静かに、しかし確実に待合室内を彩っていた。


「御予約のお客様、お待たせいたしました。どうぞ」


熱いセッションを終え、先輩はひと足先にカーテンの向こう側へ消えていった。

恥ずかしさで全身が熱い。
紅に染まったこの僕を慰める奴はもういなかった。




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