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『懐かしいひと』(朗読用台本・無料利用可)

小説家 中村理聖(第27回小説すばる新人賞受賞作家)が朗読文化発展のために、無料で提供する朗読用台本です。
配信、イベント等での朗読台本として無料でご利用いただけます。
利用の際はこちらをご一読ください。

『懐かしいひと』

 8 年ぶりに見かけたあおいは、高校近くの交差点で、凛とした表情で佇んでいた。

 通勤路の途中、突然目にした光景に私は息をのむ。青空の下、あおいはまっすぐ前を見て、足早に横断歩道を渡っていく。桜並木に風が通りすぎ、二人の間に花びらが舞う。すれ違いざま、声をかけようかと思ったけど、どうしても勇気が出ない。その横顔に、大学の合格発表の日に見た笑顔が重なる。
 何も変わってない、と胸が締め付けられるように感じた。高校 3 年間、部活もクラスもずっと一緒。何でも出来て可愛くて、自慢の友達。けれど今、遠くから眺めることしかできない。

 ――間違いない、あおいだ。なんで、この街にいるんだろう。
 はやる気持ちを抑えつつ、私は考えを巡らせる。大学進学を機に上京したあおいは、東京の化粧品会社で働いていると、人づてに聞いてはいた。けれど、詳しい近況を知らず、罪悪感を覚える。8 年前、同じ大学を受験して自分だけ不合格だった日から、徐々に距離を置いてしまったのだ。滑り止めの地元の大学に渋々行った私と違って、あおいは希望に溢れ、あまりに眩しかったから。
 出勤後も、心は浮ついたままだった。彼女は、私に気づかなかったのだろうか。気づいた上で、何もしなかったのだろうか。昔は些細なことでも分かち合ったのに、あおいの暮らしのひとかけらも、今の私は知らない。

 ――やっぱり、この珈琲が一番おいしい。東京にいても、たまに飲みたくなるんだよね。
 帰り道、夕暮れ時の喧騒に身を任せ、あおいと最後に会った日を思い出す。高校時代、二人で通った純喫茶。その日あおいは、沈んだ表情を浮かべて、しきりに懐かしんでいた。東京で何かあったのだろう。察しがついたけど、賑やかなキャンパスライフの話を聞くにつれ、将来への不安に揺れる自分が情けなくなった。その後、連絡を取るのも会うのもやめると、高校時代の思い出は、埃を被ったまま胸に仕舞い込まれた。
 ――もう一度、あおいと話せるなら。でも……。
 彼女を突き放した後悔が、仄暗い感情となって渦巻く。すれ違った交差点までやって来ると、夕日の光が辺りを照らしていた。
 翌朝、私は再び交差点に立ち、あおいを探す。勘違いだったのかもしれない、そんな思いも抱えて。
「お姉さん。このお店に行きたいんだけど、見当たらなくて」
 ふと、見知らぬおばあさんに道を尋ねられ、我に返る。店名に聞き覚えはなく、何も答えられない。
 その時だった。
「おばあさん。そのお店、区画整理でなくなったんです。残念ですよね、良いお店だったのに」
 傍らから声が飛んできて、私は目を見開く。少し高めで、すっと通る声。高校三年間、毎日のように聞いていた声だった。振り返ると、微笑むあおいがそこにいた。
「久しぶり、だね。元気だった?」
 おばあさんが立ち去った後、あおいは呟く。大きな目が潤み、指先はかすかに震えているように見えた。青信号を知らせるメロディーが、二人を包み込んでゆく。

(了)

*この作品は「第三回 U35 京都朗読コンテスト」の一次予選の課題テキストとして使用。

小説家 中村理聖(なかむらりさと)
2015年、『砂漠の青がとける夜』(集英社)にて、第27回小説すばる新人賞を受賞。2017年には『若葉の宿』(集英社)を発表。繊細で行間が感じられる作品として評価を受けている。
中村理聖の公式 X(旧Twitter)


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