『夜の忘れ物』池田久輝(朗読用台本・無料利用可)
小説家 池田久輝(第五回 角川春樹小説賞受賞作家)が朗読文化発展のために、無料で提供する朗読用台本です。
配信、イベント等での朗読台本として無料でご利用いただけます。
利用の際はこちらをご一読ください。
『夜の忘れ物』
真夜中過ぎ、いつものように僕は暗い通りを歩いていた。ここ最近、毎日こうしてこの時間、僕は街を散歩する。いや、散歩じゃないな。ちゃんとした目的があるのだから。
ところどころに灯った街灯に目を凝らす。等間隔に並んではいるが、点灯していないものもある。なんだかひどく頼りない。あるべきものがない、そんなむずがゆい感覚。それはまさしく、今のこの僕の心情とまったく同じなんだ。
僕の目的はこの明かり。この明かりを求めて街を歩いている。街灯から街灯へと……。
時計を見た。既にもう一時間が経っていた。けれど、僕は変わらず目的を果たせないでいる。いつもと同じ、いつもと同じ繰り返し……。
路地を左へと折れた。その時だった。背後から肩を叩かれた。僕は驚き、慌てて振り返った。目の前には、R(アール)がいた。
「悪い。何もびっくりさせるつもりはなかったんだ」
「それでも驚くよ。こんな真っ暗な道で肩を叩かれたら」
「それもそうだな」Rはにやっと笑い、綺麗な白い歯を覗かせた。「ところでお前、こんな時間に何してるんだ? 下ばかり向いていたようだが、落し物か?」
「……ずっと僕を見てたのかい?」
「違う。おい、そんな怖い顔をするな。偶然お前によく似た背中を目にして、もしかしたらと思ってついて来ただけだ」
僕はじっとRを見つめた。Rは微笑を浮かべたまま、涼しく受け流す。
「お前、体調でも崩しているのか? ひどく顔色が悪いぜ」
「いや、別に……こんな暗がりで僕の顔色がわかるのかい?」
僕は含みを滲ませる。けれどRはあっさり「ああ、わかるよ」と答えた。
「俺にはわかる。お前の顔色も、お前の背中も」
Rはなぜかそう断言した。僕はまた彼の顔を凝視する。「君こそこんなところで何をしているんだ?」そう訊ねようとした。しかし、その疑問は喉のどこかで引っ掛かった。街灯にわずかに照らされたRの目。その瞳が一度、ゆっくりと頷いた……ように見えた。
「知ってるぜ、お前の探しものを」そう告げられているような気がしてならなかった。
「少し歩こうか」
Rは僕の返事を待たずに先に歩き出した。僕はそのあとを追う。
「実はな、お前がこうして夜中にさまよっていること、俺は知っていた」
「……なんだって?」
「下ばかり見て歩くお前の姿、その背中を目にして、お前の目的はすぐにわかったよ」Rはそこでくるりと振り返った。「お前、自分の影を探しているんだろう?」
僕の足はその場で固まった。
「やっぱりな。そうだろうと思ったぜ」と、Rは言った。「お前、自分の影をどこかに落としたんだろう? 影をなくしたんだろう? そんなお前は太陽の下を歩けない。だからこんな真夜中、街灯から街灯へとさまよっている。同じようにどこかをさまよっている自分の影を探して」
そう告げると、Rはまた背を向けて歩き出した。僕はまだ動けずにいる。Rの声だけが遠くから耳に届く。
「どうして俺がそれを知っているのかって? そんなの答えは簡単だ」
Rはこちらに背を向けたまま、ふと足を止めた。街灯の真下、明かりの真下で。
Rの足元には影がなかった――そう、僕と同じように。
Rもまた、どこかに自分の影を忘れてしまったのだ……。
(了)
*この作品は「第三回 U35 京都朗読コンテスト」の一次予選の課題テキストとして使用。
小説家 池田久輝(いけだひさき)
2013年、『晩夏光』にて第五回角川春樹小説賞を受賞。翌年には続編となる『枯野光』を発表(角川春樹事務所)。 以降『まるたけえびすに、武将が通る。』(幻冬舎)、『虹の向こう』『ステイ・ゴールド』(双葉社)などを上梓。 2017年には、『影』が「日本推理作家協会賞短編部門」の候補作となる。2023年8月、最新刊『警官は吠えない』が小学館文庫より刊行。
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