映画をたまに観る

映画をたまに観る

昔から、家で映画を観る習慣があった

私はたまに映画を観る。映画をよく観る人よりは観ていないが、観ない人よりは観ている。そして映画館には行かず、昔から家で観ることがほとんど。

そもそも私の母が結構な映画好きで、私が小さな頃から家のテレビでは、母が、レンタルした映画のビデオ(当時はVHSだ)を見ていた。なので私もストーリーとかがあんまりわからないままでも、映画を観るということをしていた。

ちなみに母は今でも映画をよく観ているようだ。FireStickを購入し、Netflixに加入して、老後ののんびりとした時間で映画を観まくっているらしい。

あとは私が小学生の頃くらいまで、テレビでの映画のロードショーを家族で毎週観ていた、というのはこの記事を書きながら思い出した。

なので私は小さい頃から映画を観る習慣があった。

ただし自分で映画を観ようと思って観始めたのは、高校生の頃くらいからだ。でも当時は受験勉強などもあり、あとは映画よりも音楽を聴くことの方を優先していたので、そこまで観てはいなかった。

自分で映画を観る習慣がついた頃

私が映画をどっぷり見始めたのは、今よりもっと時間のある大学生時代。その時はまだ映画配信みたいなサービスはほぼ無くて、TSUTAYAのDVDのレンタル。

DVDレンタルを知らない世代の方々に説明すると、TSUTAYAのDVDのレンタルは、色々料金は変わったりしてたけど、新作は1泊2日とかで350円~500円くらい。すぐに返却しないといけなかったし、高い。あとは準新作という区分もあって、それも確か、ちょっと高い。それ以外(旧作)は7泊8日で100円~300円くらいだった。

私は新作の1泊2日で返却しないといけないのが嫌で、新作・準新作は借りなかった。基本的には「旧作」を借りていた。

借りるペースとしては、まず3本DVDを借りる。それを3日で観る。そして次の3本を借りる…みたいなのを繰り返している時期があったりする。つまり1週間で6本くらい観る。これを数ヶ月続ける。そうすると数ヶ月で、何十本か映画を観ることになる。

で、あるときにぱったりと観なくなる。数ヶ月から半年。下手したら1年くらい映画を観ない期間があったりする。この熱が冷める理由は、自分でもなぜだかわからない。映画を観ることに急にハマり、そして急に飽きるのである。多分なんだけれども、映画が根本的にはそこまで好きではないのかもしれない。

借りる3本のバランス

そして借りる3本というのは、バランスを取っていた。

1本目は、DVDをざっと眺めて、「面白そう!」と思ったものを借りる。例えばヒューマンドラマ系のものだったり、コメディだったり、ミステリーだったり、ノンジャンルで自分で見つける。

2本目は、いわゆる「名作」とか、「巨匠」の監督のものを借りる。例えば黒澤とか、小津とか、ゴダールとか、コッポラとか。映画という一種の芸術を学ぶために、そうしたものをちゃんと履修しておこうという感じ。

そして3本目は…。これはちょっと恥ずかしいが、ここで正直に言おう。「エロいシーンが出そうなもの」を借りる。ホラーとかミステリーとか、あとはヒューマンドラマ的な映画で、なんか「その手のシーンがありそう」な映画を探す。

あからさまにエロい映画は借りない。レンタルDVDというのは、配信とは違い、借りる際にレジで店員に渡す必要がある。そこであからさまなエロ映画でも出そうものなら、店員さんから「あ…こいつエロ映画借りてるぞ」みたいな目で見られる。そこで私は、あくまで「俺は映画を観るんですよ?」みたいな謎のプライドを店員に見せたかった。若い頃の話だけど、それにしてもかなりのムッツリスケベだ。

そこでエロシーンを期待して観た映画が、全然エロシーンがなかったりしてガッカリするも、映画自体が良かったりして結果オーライなことも多々あった。つまり、この3本目には映画としての良し悪しだけでなく、エロシーンがあるかという評価軸も存在する。つまり2軸の表が出来上がる。その満足度をまとめた表が以下だ。

私が3本目に借りる映画の評価軸のマトリクス。
  1. その手のシーンが有り、かつ良い映画は、最高の結果だ。

  2. その手のシーンが有るが、映画としてはクソなのは、満足度は低いが目的は達成されたことになる。

  3. その手のシーンが無いが、良い映画だった場合は、まぁ良い映画で出会えたということで建前は達成されるので良い。

  4. その手のシーンが無く、クソ映画の場合、その映画は万死に値する。

今でも周期がある

…無駄な話をしてしまった。話を戻そう。

私はこのようにガーッと映画を観る期間と、全く観ない期間を繰り返す。なので、習慣的に映画を観ている人に比べれば量としては観ていないけど、あまり映画を観ない人よりは結構観てる方かもしれない。

これは大学生の頃ほど時間が無くなった社会人になってからも、より幅の広い周期で繰り返されている。時代は変わって映画が配信で観られるようになった今の時代。例えば週に5本映画を観てるときとか、そういう時期もあった。

しかし最近はちょっと忙しすぎて映画を観る時間が無いので、この周期が崩れ始めてるが、今月に入って、週に1~2本の映画を観るようになってきた。今は映画を観たくてしょうがない。この周期がまた繰り返されるのだろうか。

(おわり)

最近聴いてる音楽

最近、作曲家のシューマン(1810-1856)を改めて聴き直している。私はクラシック音楽をたまに聴くのだが、これまで自分の好みの作曲家ばかり聴いており、シューマンはがっつりとロマン派で、時代区分として私の好みではなかったので、(一度は色々聴いてるけど)聞き流していてちゃんと聴いてこなかった。なので、この年齢になって、もう一度聴いてみるかという気持ちで聴き直している。

ちなみにロベルト・シューマンは、奥さんのクララ・シューマンも作曲家。今回は、一般的にシューマンとして有名な、夫の方のロベルト・シューマンを聴いてる。

シューマン《ペダルピアノのための練習曲集 Op.56》(1845)

シューマンを聴くきっかけとなったのはこの曲。シューマンはバッハを研究しており、この曲ではその成果が反映され、この時代には珍しく、ガッツリと対位法的な書法で書かれている部分が多い。なかなか面白いなと思い、シューマンに興味が出た。

シューマン《ピアノ協奏曲 イ短調 Op.54》(1841)

シューマンの傑作と名高い、ピアノ協奏曲。シューマンはピアノも上手かったようだが、若い頃に怪我をしてピアノはあまり弾けなくなったようだ。ピアノ協奏曲が少ないのはそのためか。それでもこのような、過去の大作曲家にも引けを取らないハッキリとした主題のピアノと、美しいオーケストレーションは、シューマンが歴史に残る作曲家である理由がわかる。

シューマン《4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュテュック Op.86》(1849)

最初観た+聴いたとき、「何だこの編成は」と笑ってしまった。複数の器楽と、管弦楽のコンチェルトという形式は古楽っぽく、この時代にしては結構珍しい編成だと思う。でも曲調には古楽っぽさは感じない。ホルンのテクニックは存分に鍛えられそうな曲だが。曲自体は、ちょっと軽くてあまりちゃんと聴く感じではないかな…。

シューマン《交響曲 第3番 Op.97》(1850)

5楽章からなる交響曲。シューマンの交響曲の中でも特に有名らしい。なので聴いてみた。

派手で華やかな1楽章、スケルツォでリズミカルな2楽章、静かな3楽章と、ここまでは過去の交響曲の典型的な形式。しかし4楽章で「荘厳に」という副題が有るように、厳かで短調的な楽章となり意外性がある。こんな重めな4楽章か~と面白さがある。そしてまさかの5楽章。1楽章に見られた軽快さを取り戻し、素晴らしい終止。面白い交響曲ですわ。

ここらへんまで聴いて、これ以上シューマンを聴くのはちょっとストップしている。他の作曲家の曲聴きたくなった。

(おわり)

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