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Pure Japanese感想2

引き続き観てきました。

この先#ネタバレが含まれます。
未だ鑑賞されていない方、ネタバレを見たくない方は回れ右!

前回の感想はこちら↓

朝方まで、DeanFujiokaさんが伝えたかったこ
とは何なのか?
を考えて自分なりにまとめたつもりではありましたが、朝起きて見るとまた違った考えが浮かんでいました。

これ、起きてすぐの感想
(前日5時くらいまで感想を書いていたので、この時間起床に笑)

狂っているのは立石なのだけれど
狂わせたのは誰なのか?映画の現在の時間軸で言うのであればそれはアユミのはず。
アユミの「あなたがおじいちゃんを殺したとか、どうとかどうだっていい。全員殺しちゃって!この世界の全て終わらせて!」
この言葉が立石の狂気のスイッチを押し、
アユミが撃たれたシーンではその狂気が限界突破する。
限界突破に合わせて、温泉の掘削の機械が暴走して雨を降らせる。

映画の感想を知人と話していて
実は「理性」すら言語OSにコントロールされているのではないか?という話になった。
言語OSが全てを司っていて、日本語びとが日本語を話しているときは正常にコントロールされている。
英語を話しているときは異常状態になっていて
だから、最後の陣内との戦闘シーンでは、立石が英語で語っているかなと。
通常とは違うエラーの先にある狂気として戦闘が起きているのではないか。


病院で、アユミが
「なんで一緒にいたのに、黒崎たちから守ってくれなかったの!」
と怒るシーンで立石が
「油断した。」
と言っていたのだけれど、これは毒を盛られたことに対して、
守りを怠ってしまった=油断
ではなくて、
自分をコントロールする制御システムに綻びが生じた自分に対して油断した、ということなのではないかなと。

幼少期は一瞬しか描かれないが、英語の歌を歌っているときに、
いじめを受け、鏡で光を顔に当てられている描写がある。
これがトリガーになって、人を殺したい衝動を抑えれなくなる。

けれど、忍者劇のときの、刀の光が反射したシーンや、外での忍者戦闘のときの強い光のときも、立石の中の狂気は抑えられている。
抑えることが普段はできるが、油断したことで一線を超えてしまったのだろうと。

おじいさんが、不法投棄を敷地にされて、それを片付けているときにアユミが怒っているときに、
怒りを冷静になって忘れろ、みたいなことを言っていて。
怒りに支配されると碌なことにならないことをおじいさんは長い経験で知っているんだと思う。


「僕的には線を越えない方が難しい」という話からも、自分が一線を越える時があることをわかっていて
そこを越えないようにする方法の一つが、日本と関わっていることだったんじゃないか。
日本文化、それも武士文化に傾倒していて
忍者の役をやっていたり、日本刀や切腹、山籠りの生活など。
立石にとっては日本と関わっているときが、言語OSが正常で、理性も正常な
ときということなんじゃないかな。

一線を越えてしまう時は、人と関わったときだから、社交性がないように装っていたのかなと。
アメリカの撮影での事故の話をしているときに、
「昔むこうに住んでいた時期があるらしくて、撮影クルーと話したり可愛がられていた」的な話があって、その当時は社交性がかなりあったということになる。
公式サイトの説明では、社交性がない、とされているけれど
三浦の送り出しの飲み会に2次会まで参加していたり、
縁が少しできたアユミと一緒に江戸ワンダーランドを回ったり
とても社交性が元々ない人の行動とは思えなくて。
人と関わることで、影響され、言語OSが乱されることで
衝動を抑えられなくなるのではないかなって。
忍者劇のときに抑えらて、おじいさんのときに抑えらなかったのも
おじいさんと長い間会話をしてしまい、かつおじいさんは闘争といった
三島由紀夫の話をしていたことで、立石の言語OSが乱されたのではないかと。だから、あのヘッドライトの光を見た時に制御ができず、殺してしまったのかなって思います。


お葬式のあとのエア切腹
人を殺す衝動が抑えられないままだったから、
エア切腹という形でその衝動を抑えようとしたのではないか?
エアとはいえ、殺すということには変わりはなくて、
終わった後の、やり切ったような表情は、それによって言語OSのリセットをかけたんじゃないかと。


忍者劇の練習シーンで鳥が入ってくる
二宮がその鳥を見ながら
「出れないんだったら入ってくるんじゃねーよ」
と言ったシーンが、最初よくわからなくて・・・
序盤で、二宮が立石について、
「事故でアクションできなくなるくらいなら、やめちまえよ」と言っていて
この鳥は立石のことで、できないくらいだったらやるなっていうことの暗喩
だったんじゃないかと。
このシーンわたしの視力の問題かもだけれど、
鳥の羽ばたいている音はするのだけれど、映像から鳥が見つけられなかったんですよね。
もし音しかないのだとしたら、人が抱える見えない狂気ともリンクさせているのかなと思ったりしました。


言語OSの話と、鳥が少し自分の中で整理できたのでよかった。

見る人によって真実は変わるものだけれど
自分にとって良い事実だけを拾い上げて、信じることの怖さを感じる。
アユミが最初立石だけの言葉を信じたように。

にしても、パンフレットがないのがとてもつらい。
いろんな受け取り方ができるように、あえて無いのかもしれない。
Deanさんの考えが凄すぎて、ついていけないよーーーー




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