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【恋と愛の心理学】「好き」と「愛してる」は何が違うのか~「好き」編~

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単なる言葉遊びのように見えて意外と深いこのテーマ。

「好き」と「愛してる」の違いについて書いてみようと思います。

解釈はまちまちで人によりけりだと思いますので、あくまでもRK流の解釈ということになりますが、少なくない数の人に納得していただけるのではないかと思います。(まぁ、もともと多くの人に共感してもらえるようなnoteではないですが。。コアな読者さんに読んでもらえたらそれで充分です)



まず、「好き」という概念について。


「好き」とはどういう状態でしょうか。


・相手と会うのが待ち遠しくて待ち遠しくて仕方ないような状態

・相手からの連絡を焦がれるあまりずっとスマホを握りしめているような状態

・相手にキュンキュンしている状態

・ドキドキしている状態

・ときめいている状態

・相手に触れたい、相手から触れられたいと思っている状態


例えばこんな感じになるのかなと思います。

いわゆる、「恋に落ちている状態」と言い換えてもいいでしょう。

ドキドキして、刺激的で、脳内物質がドバドバ出て、目がハートマークになってしまっているような状態だとも言えるでしょう。



視点を変えれば、好きという感情には「なろうとしてなれるものではない」と言うこともできるでしょう。

マッチングアプリで全然タイプじゃない低身長陰キャのチー牛みたいな見た目の男性がやってきたとして、「うわこの人全然タイプじゃない」「なんか個人的に無理」「写真と全然雰囲気違うし身長も盛って書いてただろコイツ」という感じになったとして、その相手を「よし、好きになります!」と言って意思の力で好きになろうとするのは限りなく難しいことです。

もちろんそういうチー牛男子を好きな女子だって一定数いますが、そういう女子はおそらく逆に「ウェイ系陽キャ」みたいな男子を生理的に受けつけない可能性が高いですよね。

そしてウェイ系男子のことを「よし、好きになります!」と言って頑張って好きになろうとするのは、その女子にとってとてつもなく難しいことだと思います。

これはもちろん男女を逆転させても同じことが言えます。

「うわ、全然タイプじゃない」「うわ、ちょっと見た目が無理」「絶対好きになれない」という異性や恋人候補の相手を、意思の力や能動的に好きになろうとするのはけっこう無理がありますよね。



ここまできて分かることは、「好き」という感情はけっこう受動的な感情と言いますか、「むこうからくるもの」と言いますか、自分の頭や理性で支配・制御できるものではないということです。

自分勝手に自動的にやってきて、嵐みたいな感情を巻き起こして、ドーパミンやらアドレナリンやら色んな物質を脳内神経に巻き散らかして、心と身体をジャックしてしまうのが「好き」という感情です。

能動的に「好き」を「嫌い」にできないし、「嫌い」を「好き」に切り替えること不可能。

「好き」という感情の前には私たちは受け身でいるほかありません。



要は、「好き」という感情は、生理的な現象だとも言うことができます。

ちょうど、食欲や睡眠欲あるいは排泄欲と同じです。

「お腹が空いた」「空腹だ」「何か食べたい」「甘いものを食べたい」という心の状態にはあらがい難いものでして、「お腹が空いた」という気持ちを意思の力で「お腹がいっぱい」に切り替えることはできませんし、「甘いものを食べたい」という気持ちを意志の力で「ピーマンを食べたい」に切り替えるのは非常に困難です。

48時間寝ていなくて「眠くて眠くて今にも死にそうだ」という状態の人が、意思の力でその場で「もう眠りすぎたから早く起きないと!」という状態に切り替えることは不可能でしょう。

「トイレに行きたい」「ウンコしたい」とかも全く同じですね。

どうように「好き」「恋に落ちた」「キュンキュンする」という感覚も、脳や各種ホルモンが自動的に作り出した状態であるということで、「生理現象」だということです。

「大好きなあの人に触れたい」という気持ちと「ウンコしたい」という気持ちを同一のものとみなすのは何事だ!…と叩かれてしまうかもしれませんが、これは実際にそうなんだから仕方ありません。



これを進化心理学的に言えば、「魅力的な見た目や、雰囲気や、身体を持った異性相手にオート・モードで恋愛スイッチが入る個体こそ、現在まで遺伝子を残せてきた」ということになり、「好き」という気持ちは決して否定されるべきものではないことも分かります。

恋愛スイッチが入らない個体、いつまで経っても恋愛モードになれない人は当然セックスなんてする気力も起きず、子どももできず、自らの遺伝子を後世に残せなかったことでしょう。

「食べたい」「飲みたい」「ウンコしたい」「寝たい」みたいな感じで、自律的に「好き」という気持ちがわき起こるのはとても健全な状態であり、そういう本能や生理機能が大変重要なのは言うまでもありません。



ですが、ここでまたジレンマというか、婚活などでパートナーシップを築く際に、この生理的反応である「好き」を重視しすぎてしまうと、非常に困ったことになります。


まず、「好き」という恋愛モードの状態は、繰り返しになりますが一時的に「脳のバグ」を引き起こします。つまり、「冷静に客観的に相手のことを見る」ということをしにくくなります。

婚活でパートナーを探す際には冷静に客観的に、覚めた頭で相手のことを観るのが重要なのは言うまでもありません。

「この人は大切にしてくれる人か」「深刻な嘘をつかない人か」「人間として芯が通っているか」「依存的じゃないか」「不誠実じゃないか」など、何十年も添い遂げるにあたって確認しておきたいポイントはたくさんあります。

でも「好き」という脳のバグが起こってしまうと、相手のどんな言葉や行動や態度にも超ポジティブ補正がかかってしまい、まともに検討することもままなりません。

相手の深刻な言行の不一致を「イケメンだから許しちゃう♡」みたいなガバガバ判定基準で許してしまうかもしれませんし、相手の浮気を「悲しいけど、浮気できるほど魅力的な良い男なんだから仕方ない♡」みたいに感じてしまうかもしれません。これはパートナーシップにおける大問題です。



さらに、「好き」という生理機能がどうしてあるのかと言うと「魅力的な異性とセックスして、子孫を残すため」という部分が非常に大きなウエイトを占めます。

進化とは非常に合理的なものでして、不用なものはどんどん排除されていきます。
人にとっての「牙」や「しっぽ」は無用の長物となったので排除されました。

「好き」という感情も同様です。

子どもが生まれてしまえば「好き」という生理機能の目的は達成されたも同然なので、特に女性の妊娠~出産後には夫への「好き」という感情は一般的に消え失せます。もうその感情は必要ないからです。(もちろん妊娠出産後も末永く互いに「好き」でいるように見える夫婦も多いですが、それは「好き」ではなく、追い追い説明する「愛」の感情で深く繋がっているからです。)

そうなると、「好き」で繋がっていた人同士のその後のパートナーシップはどうなってしまうのでしょうか。

「好き」で覆い隠されていた相手の欠点や、相手の頼りない部分や、相手と合わない部分や、相手の気持ち悪い部分が一気に目につくようになります。

それは、X(Twitter)のママ垢や、愚痴垢なんかを見ればもう一目瞭然ですよね。見たことない方は是非見てみてください。ひとりの、妻を持つ夫として身震いする思いです。


交際時代はラブラブだったカップルが結婚し、子どもができると険悪ムードになってしまったり、家庭内別居みたいな感じになってしまったり、最悪の場合離婚までしてしまうのには、「好き」という自律的で受動的な感情に関係をまかせすぎていたというのは大いにあると思います。もちろんこれは一因であり、他にも色々と原因はあるのでしょうが、見逃せない一因であることは間違いないでしょう。



では末永く幸せなパートナーシップを築いていくためにはどうすればいいのか。

子供ができてもなお、何十年たってもなお、互いの「幸せ」を更新し続けるためにはどうすれば良いのか。


次の記事では「好き」と似て非なる概念である、「愛」について書きたいと思います。




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