コントロールできないほどの怒りや悲しみが生まれるのはなぜか
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【ご相談ここから】
送信者:ぬんさん
Ryutaさん、今回も丁寧なご回答ありがとうございます!
私の行動が彼とはいい方向に向かえなかったので意気消沈していたのですが、パートナーシップの在り方として正解だったとのこと、とても元気が出ました!
ありがとうございます。
今回の記事を読んだり自分の感情をノートにぶつけている中でふと疑問に思ったことがあるのですが、
なぜコントロールできないほど感情がフツフツと出てきてしまうのでしょうか。
その原因に心の傷や期待があるのは分かったのですが、それでも出てきてしまうのは、まだ完全に癒えていない、恐れや不安に向き合えていない部分があるということでしょうか。
心のメカニズムの視点から知りたいなと思いました!
自分を振り返って気付いたことは、
自分を信頼していないからだということが出てきました。
彼の無視という態度と私に対しての好意は分けて捉えていたのですが(彼は好きでいてくれていると信じられていた)
自分は愛されないだろうと自分で思ってしまっていたなと思います。
自分を許す、受け入れる、肯定する感覚は分かるようになったのですが、
信頼するにはどのようなことが必要になってきますか?
またよろしくお願いいたします!
【ここまで】
ご相談ありがとうございます!
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ーーなぜコントロールできないほど感情がフツフツと出てきてしまうのでしょうか。
その原因に心の傷や期待があるのは分かったのですが、それでも出てきてしまうのは、まだ完全に癒えていない、恐れや不安に向き合えていない部分があるということでしょうか。ーー
怒りや悲しみなどのネガティブ感情がでてきてしまうのはある程度は仕方のないことだと思っていまして、心の問題以外にも例えば女性でしたらホルモンバランスの変化などの「フィジカルの問題」というのもあります。
ホルモンバランスの変化は自律的な生理的機能なので意思の力ではコントロールのやりようがなく、それによって自律神経が乱れてしまったり、ただでさえ繊細な部分がより過敏になったりなどはある程度許容して上手に付き合っていく他ないのかなーとは思います。
極端に言えば「激烈な腹痛がおきてる時にご機嫌でなんていられないよね」「39度の高熱でうなされている時に皆に優しくなんてできないよね」というような状況と似ていると言えば似てまして、女性である以上は周期的な感情の乱れというのは止め難いことです。こればかりは心の問題ではなく、フィジカル面の問題だからです。
その一方で、「心の問題」として向き合えることもあります。
ぬんさんが知りたいのはこっちのほうだと思います。
「コントロールできないほどの感情」というのは、もちろん上述のホルモンバランスなども関わってくるのでしょうが、最も根底的な部分にはおっしゃるとおり、心の傷という問題が潜んでいるものです。
「コントロールできないほどの感情」というくらい大きなネガティブ感情が発動するときというのは、通常は「最も向き合いたくないものと向き合おうとしたとき」、あるいは「最も向き合いたくないものに誰かに触れられたとき」です。
つまり、「心の生傷に触れられたとき」と言い換えることができまして、すなわち、大きなネガティブ感情というのは心の傷の裏返しです。
コントロールがきかないほどの暴発的な感情は、「自分のなかの何か」を守るために発動されるものです。
先日の台風で、東京では新幹線や在来線が運休になったり遅延になったりして主要駅はけっこうなカオス状態だったのですが、そんな状況になると一定の割合で出現する「駅員を怒鳴りつけているオジサン」と遭遇しました。
冷えた頭でちょっと考えれば「鉄道会社の一社員である駅員に怒鳴ったところで新幹線を動かせるわけがない」「ましてや台風が去っていくはずもない」「駅員を怒鳴るという行動には”状況を改善する”という意味でのメリットは一切ない(むしろマイナス)」ということは自明なハズですが、オジサンは自らの怒りの衝動を制御できないようでした。
コントロールがきかないほどの暴発的な感情は「自分の中の何か」を守るために発動される。
いったいその怒鳴りオジサンは、怒鳴りオジサンの中の何を守ろうとしたのでしょうか。
これは、ぬんさんが疑問に思っている「コントロールできない感情がふつふつとわいてくることについて」という質問に回答するためにも参照できる例だと思います。
「そんなアホなオジサンと同列にせんでおくれ」と、ぬんさんからクレームをいただいてしまいそうですが、少なくとも「感情のコントロールがきかなくなってる」という一点において、そんなアホなオジサンから学べる教訓はあると思いますので、ここで画面を閉じずに読んでもらえたら嬉しいです(笑)
怒りオジサンと駅員の会話を一言一句聞いたわけではないので、ここからは完全に想像の話なのですが、例えば、オジサンには自らのメンツがかかった失敗できない仕事をするために新幹線で出張しなければならなかったのかもしれません。台風により新幹線が運休することにより、あるいは新幹線が大幅遅延することにより、そのオジサンがその仕事を成功させる機会が永久に奪われてしまったのかもしれません。
オジサンの深層真理にとっては、その仕事を成功させることが「自らの存在証明」のために必須だったのかもしれません。オジサンの心にある傷ついた部分を埋め合わせるためにも、その仕事を成功させて自身のメンツを保つことが至上命題だったのかもしれません。
でも台風によりその機会は永久に奪われてしまった。そのことによりオジサンは自分の傷と向き合わざるをえなくなった。心の傷と向き合うのはどんな人にとってもとても辛いことです。その辛さが「駅員への激怒」という形をとったのかもしれません。
あるいは、朝家を出るときに年頃の娘と大ゲンカをしたのかもしれません。
ずっと溺愛し続けて愛を注ぎ続けてきた娘も難しい年ごろになり、父親の許可もなく彼氏とお泊まりして朝帰りしたのかもしれません。
父親としては娘が心配で心配で一睡もできず、早朝にガチャリと音がしたので玄関を見に行ってみると娘が帰宅していて、「お前、なんで昨日は何もお父さんに連絡しなかったんだ。どこに誰といたんだ!」と問いただすと、「彼氏ん家にいたー」とあくびをしながら不愛想に返事をしてきて、「ふざけるな!お父さんがどれだけ心配したと思ってるんだ!」と一喝すると娘がさらに反抗してきたので、それが父娘喧嘩に発展していったのかもしれません。
どうにか妻の仲裁で喧嘩はおさまったものの、父心としてはモヤモヤイライラしながらの出発となります。娘に対して感情的になってしまったことで自責の念もわいてきますし、一方で、自分の許可なく外泊した娘や、その彼氏のことを許す気にもなれません。「父親としての威厳」が破壊され、「理想の父娘像」が破壊され、父親としての心は深く傷ついています。
そんな心の傷を激怒という形で駅員にぶつけてしまったのかもしれません。
もしくは、駅員の態度が気に入らなかったのかもしれません。駅員はこのオジサンのように、「いつ電車は動くんだ」「次の新幹線はいつ出発するんだ」「切符の払い戻しはどうするんだ」と詰めてくる乗客に対して辟易としています。
だから、ついそのような質問に対して、ぶっきらぼうとか横柄にも見えるような態度で返事をしてしまったのかもしれません。
そしてオジサンは学生時代から社会人を通じて体育会系社会の中で生きてきたので、「年下の若輩駅員の生意気な態度」が気に入らなかったのかもしれません。「なめられた!」と感じたのかもしれません。「下に見られた!」と感じたのかもしれません。「ぞんざいに扱われた!」と感じたのかもしれません。
そのオジサンにとっては、「年下の人間に雑に扱われてはいけない」「年下の人間は俺を尊重すべきだ」という強い思い込みがあり、そこが傷となっているのかもしれません。
その傷に触れられた反射的な反応が「激怒」だったのかもしれません。
コントロールできないほどの怒りというのは、「触れられたくない部分に触れられたとき」「触れられたくない部分を自分が直視せざるを得ないとき」「”こうあるべき”という自分の像が揺るがされたとき(揺るがされそうなとき)」に生じることが多いです。
上であげた3例で言えば、1番目では「仕事ができないことでメンツを潰される自分」を自他に露呈することになるからこそ怒りが生じていますし、
2番目では「娘との愛が崩壊しそうな自分」を自他が直視しそうになっているからこそ怒りが生じていますし、
3番目では「年下に舐められる自分」を自他が直視しそうになっているからこそ怒りが生じています。
どの例であってもそこには「傷」があり、「こうあるべき」「こう見られるべき」という自己像があります。その自己像が揺らぎそうになり、パニック状態になるからこその激怒なのです。
ひるがえって、ぬんさんはどうでしょうか。
どんな時に「コントロールできないほどの怒り」を感じるでしょうか。
コントロールできないほどの怒りがおこる由来には、「心の傷」「心の穴」「こうあるべき論」「こう見られるべき論」「揺らがせたくない自己像」「揺らがせたくないアイデンティティ」があります。
ぬんさんはぬんさんのことを「どうあるべき」だと思っているのでしょうか。「どう見られるべき」だと思っているのでしょうか。どんなぬんさんでなければダメだと思っているのでしょうか。どういうぬんさんでなければ許せないと思っているのでしょうか。
そして、そのような、「揺らがせたくないアイデンティティ(自己像)」を発見できると、それにより「抑圧されたアイデンティティ(インナーチャイルド)」もセットで見つかるものです。
激怒オジサンの場合で言えば、
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