「白か黒」ではなく、グレーを大切にすること

最近よくSNSや書籍で見るワードに「白黒思考」というものがあります。

「ものごとを白か黒かでしか見ることができない思考」「ものごとを0か100かでしか見ることができない思考」という意味でして、その極端な思考スタイルが生きにくさに繋がっていると言われています。

私のnote読者にもこの白黒思考が原因でメンタル不安のドツボにはまってしまっている人は多いみたいです。

ではなぜ白黒思考が生きにくさに繋がるのかということなのですが、それは世の中「白か黒」「0か100」では片づけられないことの方が多数で、結局のところ「白よりの黒」「黒多めの白」といったグレーゾーン的な考え方が大切だからだと言うことができます。

例えば恋愛に関するポストでは、「○○してくれないということは私には魅力がないんだ」「○○だということは私には価値がないんだ」という構文が散見されます。

この「○○」には色々な単語や、状況についての文章がバリエーション豊かに挿入されます。


「連絡頻度がこれしかないということは私には価値がないんだ」

「全然会ってくれないということは私には魅力がないんだ」

「記念日を忘れてたということは私には価値がないんだ」

「セックスレスということは私には魅力がないんだ」

「自分の自慢話ばかりするということは私には価値がないんだ」

「いつも交際が長続きしないということは私には魅力がないんだ」


こんなポストがXに溢れかえっているのは皆もご存じのはず。

「デッド・オア・アライブ」ではないですが、「○○・オア・私には価値が無い」という白黒思考に陥ってしまっているわけですね。


具体的に考えてみましょう。

「連絡頻度がこれくらいしかないから私には価値がない」という考え方について。

この場合、「連絡頻度がこれくらい以上ある=私には価値がある」「連絡頻度がこれくらい以下しかない=私には価値がない」という考え方をしているわけですが、冷静に冷静に考えてみると、色々な「グレー的」な考え方ができるはずです。

例えば、「連絡頻度がこれくらいしかないのは相手の仕事が忙しいからだ」と考えることもできると思いますし、「連絡頻度で愛情をはかるのって難しいよなー」と考えることもできると思いますし、「連絡頻度と私の価値は関係ないよなーと考えることもできると思いますし、「そもそも相手から愛されてるかどうかと私の価値は関係ないよなー」と考えることもできると思いますし、「そもそもそもそも私の価値って考え方自体どうなのかなー、商品じゃあるまいし」と考えることだってできます。

「連絡頻度が基準以上=私には価値がある」「連絡頻度が基準未満=私には価値がない」としてしまうのは、楽で、脳の負担が少なくはあります。

「価値があるのかなー、価値がないのかなー、そもそも価値ってなんなのかなー」みたいに哲学チックに自己価値や自己評価について考えるのって面倒くさいですし、頭に負担がかかりますし、楽じゃないです。

私の価値を「連絡頻度基準」でザックリと区切ってしまったほうが、負荷が少ないのは間違いありません。

ですがですが、この考え方のスタイル(白黒思考)では、やはり他人軸(彼軸)になっちゃいますし、相手に振り回されることになりますし、相手が大忙しだったりスマホ落としちゃってたり海外旅行で一時的に通信が切れているだけで「私には価値がない」ということになってしまいまして、頭にかかる負荷は少なくとも心へのダメージですとか、メンタル乱れは激しくなりますよね。


セックスレスなどでも同じです…

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