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サンタクロースという発明

年末が近づくと、幼稚園をザワザワさせてしまったことを思い出します。

上の娘が幼稚園の年少の時に「サンタクロース」がいるか、いないかで、大きな問題になりました。
事の発端は、娘・・・というか私にあります。
「サンタクロースはいない」という話を娘にしたからです。
最初の子どもだったので、現実と空想の区別がつかない年ごろが必要であることがわからず、ピーターパンやシンデレラがどこにいるか聞かれ、これは作り話。これは本当の話。と答えている延長でした。

そしてクリスマンスソングが聞こえ始めるある日、家内から幼稚園で問題になっているといわれ猛省したわけです。
そのためか、街中から流れるジョンとヨーコやマライやキャリーよりも、物哀しげで切ないワムや山下達郎のほうがしっくりくるこの数年です。​

サンタクロースというファンタジーほど、世界でこんなにも長く機能している仕組みが他にあるのか考えてしまいます。
大人からしたら茶番でしかありません。しかし子供からしたら親以外におねだりを正式に頼める大イベントです。
今年9歳になった次女のサンタへの手紙は3枚イラスト付きでびっしり書かれていました。
そんな娘に「茶番」だなんて今はとても言えません。
今年12歳になった長女は、私の目を見て「私はいるとおもっているよ」と都合の良い回答をします。

きっと、その正体が親だったと知った時にサンタクロースは役目を終えるのでしょう。
そして「サンタクロースはいない」とした時、子どもは、子どもであることをやめのでしょう。
ぼくもきっとそうだったんだと思います。

サンタクロースというファンタジーは、「子どもでいる」時間すらも親に与えてくれていたのだと今になって気づきました。
なんでいないだなんて言ってしまったんだろうとまた猛省。

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