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思い出は主観的

飲み会で思い出話に花が咲く。誰かの記憶を、あーだった、こーだったとみんなで補正しながら進む会話は、ある種クイズのようでありとても楽しい。そんな他愛のない会話の中で、友人が繰り広げたエピソードが全く覚えのないものだった。ミュージカルを一緒に見に行ったところまでは覚えていたのだが、その帰りにバイクの後ろに乗せて、新宿厚生年金会館から亀戸まで送っていったらしい。否定することなく、適当な相打ちをいれて聞いていると、確かに寒い日だったこと、お茶でも本で温まっていってよと言われ家に上がったことは、なんとなくそんなことがあったくらいな断片的な記憶がよみがえる。

逆にその彼は、僕と一緒にいくはずだったビリージョエルのチケットを仕事だか体調不良で譲ってくれたことを覚えていなかった。僕にとっては大きな出来事で、そのチケットで当時付き合い始めたばかりの彼女と行くことになって、その後結婚までしたのだから。

そこで思った。当たり前な話だが、思い出はとても主観的だ。個人の過去は史実のような客観性はもちえない。だから、何かをしたことよりも、思いがけずされたことを人は覚えているのだ。もっと言えば、どう感じたかを僕らだけを覚えている。そういう予定調和でないエラーを記憶は好むのだろう。本当は、もう同じミスはしないような脳の仕組みか何かなのだろうけど、思い出はエラーにあふれている。だから思い出は楽しい。

Billy Joel - Piano Man

『Piano Man』は、ビリー・ジョエルが弾き語りで生計を立てていた頃の実体験を元にした歌で、歌詞中の登場人物は全て実在の人物をもとにしていると本人も語っています。言ってみればビリー・ジョエルの思い出。この曲を聴くと僕は家内といったコンサートを思い出し、チケットを譲ってくれた友を思う。ビリー・ジョエルの主観なのに、僕らはそれぞれの記憶のダンスを踊ることができます。


画像はUnsplashSoragrit Wongsaが撮影した写真


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