第2章《ユウとカオリの物語 -ジェンダー編-》わたしはわたし、ユウはユウ(カオリのつぶやき)

わたしにとって恋愛対象に性別の区別はないということは、割合早くから知っていた。それがマイノリティだということにも気づいていたけれど、だからといってなんの不自由も感じていなかった。

いつも好きになるのは身近な人だった。心の距離が近くならなければ恋愛として惹かれるなんてことは、わたしには起こらない。(これをデミセクシャルというのだと、最近知った。)
要するに、仲のいい友達に恋をするのだ。仲がいいので側にはいられるわけで、わたしはそれでいつも満足していた。片想いで十分で、伝えようとは思わないし、両想いになりたいなんて発想すらなかった。
ただ、告白はしないものの隠したりもしないので、相手が男性の場合は気づいてしまう。そうして付き合った人もいた。相手がノンケ女性だと恋愛感情とは捉えないので、片想いのまま終わった恋もいくつかあった。相手がたまたまレズビアンだったとき、やっぱりバレて数年付き合った。

好きになった相手が男性だとバレる。向こうもその気があると付き合おうってことになる。相手が女性だと大抵はバレないので友達のまま。相手がたまたまレズビアンだったときに付き合った。
そういうこと。

恋人ができると、親しい友人には紹介した。相手が女性でも、わたしの友人たちは誰一人驚かなかった。
「かおりさんは何でもありだから~」と笑った。
そういう意味でも、わたしは自分の恋愛指向に悩んだことはなかった。そして、男女ともに恋愛対象になるわけだからバイセクシャルだと思っていた。
けどね、なにか違和感はあった。
FtMの人とお付き合いしていたとき、友人たちは相手を女性として捉えていたのだけれど、わたしは相手を男性としか思えなかった。身体は女性なんだけどね。
うーん、、どうやらわたしは、本人が自分をどう捉えているかで性別を感知するみたいだ。そう気づいたとき、ストンと来た。

その人が好きなのであって、性別はその人の大切なアイデンティティのひとつだから、わたしにとってはそれごと大事なのよね。
相手が右利きならスプーンはお皿の右側に置いてあげるし、左利きなら左側に置いてあげるでしょう?そのまんま大事にすればいいだけ。

ひとりひとり違う人。ひとりひとりが、様々なアイデンティティで複雑に構成されていて、全く一致する人などいるはずもないのよね。

そのアイデンティティのひとつに性別があって、恋愛フィルターに性別があるとそこに拘りがあるのはあたりまえなのだけれど、わたしにとって性別は他のアイデンティティと横並びなので、相手の感覚こそが全てになるわけ。

初めて会ったときのユウは、自分のことをFtXだと言った。「やや男性寄り」という表現をしたのだけれど、わたしにはそうは思えなかった。ユウの中にはどちらもいて、ユウはユウでいいのになって思った。
純粋で一所懸命でかわいくて、危なっかしくて放っておけなかった。

仲良くなればなるほど惹かれていったのは、ユウがユウだから。男女論に当てはめるなんて馬鹿げてる。わたしにとっては、ユウがユウであることが大事なんだから。

わたしは見た目も立ち居振る舞いも女性らしいと言われる。ファッションとか小物とか好むものもそう。その反面、考え方や発想が女性らしくないと言われる。
それでいいと思う。これがわたし、わたしはわたしでしかないんだから。
ただ、そのどちらも好きという人はなかなかいない。
友人たちは言ってくれる。
「そういうカオリさんがいいのよ」
けれど、恋人になると違ってくる。考え方や発想まで女性らしさを求められてしまうことが多い。

ユウはわたしのどちらも萌え要素だという。
女性らしい色気は素敵だし、考え方や発想はかっこいいという。

わたしはわたし
ユウはユウ
だからいいんだよね。

☆☆ 二人で小説書いてます。「ユウとカオリの物語」シリーズ ☆☆
過去のものも、よければ読んでください。
https://note.com/moonrise_mtk/m/mafeab246795b

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