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千葉大学発の起業家の告白|第六章|神崎陸

狼煙

2021年12月、ついにサービスがリリースされた。開発着手から丸8か月ぐらいかかった。当時は、思わなかったが振り返ると8ヶ月は長かったなと思う。
リリースした時、すぐに会費を払う人がいてくれた。前のサービスとの反響が違うことにうれしく思った。月額350円ばかりだが、払って商品を買ってくれる人がいるのかとうれしくなった。すでに、何社か卸会社と契約していたが、販売している商品の多くは、他の通販サイトで買って仕入れているものだった。鶏卵問題は、どのプラットフォームにも存在するが、商品の質と量は赤字を掘って検証することにした。
後にこの意思決定が麻酔薬となることで慢性的な病気が広がるとも知らずに、当時は売上が伸びたら商品を出してくれる卸会社がどんどん入り、いずれ商品の売買で赤字が出ないようになると考えていた。それは本当にそうだった。売上があがると少しずつだが1社、また1社と商品を卸してくれる会社は増えて行った。
1月2日、渋谷のオフィスにいた。週7で働いていたが、さすがに元旦は身体を休ませようと思った。周りが休んでいる中、一人オフィスで働くことはとても優越感を得られるものであるから好きだった。社内の人数は、フルタイムが3人、副業が3人だった。今年の末には30人に伸ばしていくぞ。「年商10億円だ!」と社内で告知した。正確にはもっと詳細に数値目標を書き、組織の人数はおまけ的な分かりやすい指標であったが、市場の大きさ、サービスの受けから絶対にできると考えていた。
サービスの検証は順調に進んだ。会費を払ってコスメを安く買う人がいることは分かった。一方、昨年2、3月に調達した資金は底をつきそうであった。給与と家賃で毎月100万円ぐらいが支出していた。そこに商品の仕入れ代金も含めると150万円が月に出ていき、すでに10ヶ月ほど経っていたので残りは500万円ほどであった。このままだと3ヶ月ぐらいしか伸びないが、サービスのコンセプトが成り立たせるためにどうしようかと考えていた。会員数と売上を増やすしかない。そう考え、即効性のあるインフルエンサー広告を行おうと考えた。特にSNSの中でTwitterはコスメが好きな層が多くまた、節約したい層も比較的多い媒体。Twitterのインフルエンサーにまずはサービスを紹介してもらって会員数と売上を増やす。そう決断した。ツイッターのインフルエンサーのPR投稿を数件した。反響と効果ともに良かった。
「会員費用を払ってコスメが安く買えるアプリ」というコンセプトを広告にしていた。今思えば、サービスを説明しないといけない広告はサービスとして良くないと思うが、当時似たようなサービスが市場にないこともあって受けは良かった。
「4万円くらいしか広告費用をかけてないのに会員がもうすぐ100人行きそうです」
会費300円を払う会員一人あたり400円ほどで会員が取れている計算であった。2ヶ月継続するとお釣りがくる。注文数も1日3,4件ほどある。これを全て近くのブランド店で買い出しに行っていた。男性がやたらブランドコスメを買いに来るのは当時の美容部員さんにとって怪しかったに違いない。
「ギフトか何かですか?」
「はい」
「この前もこの1Nという色買われてますね。ギフト包装します」
「いや、大丈夫です。」
「えぇっっ」
こんなやりとりを何回も繰り返すうちに恥ずかしくなっていた。と同時に注文の件数も増えてきたので、いちいちショップに行って買うのが非効率すぎてオンラインで買うことにした。
「単価が高い商品が売れている」
「単価が高いから、値引きの絶対値が大きいからかな」
と考えた。
しかし、高級ブランドは、値引きなんて正規品で店頭に売られているものでは絶対にしない。ブランドという要素の一つに高価な価格が要素として支えらている彼らにとって、値崩れを起こすプラットフォームに出品するのはとてもリスクであり、出品するのはあり得ないものであった。一方で、中国の会員制のプラットフォームでは、大手の化粧品メーカーがパートナーシップとして契約しているのを見て、可能性は0ではないと考えてもいた。
2月、会員は80%ぐらい継続していた。1ヶ月で20%辞める。初期のサービスとしては、利用してくれるユーザーもいるし、80%も残ってくれている。前提として広告費用の効率もいい。残った80%の継続率も問題ない。一方、毎月20%辞めていくとどれだけ会員を獲得しても減っていく。いくら広告費用を投下してもイタチごっこになる可能性がある。
「2月と3月の数字を見よう」
一方で、資金調達をしないといけない。3月末乗り越えられるかなっという状況であった。すでに自分には給料を出さず、広告費用も2月は止めていた。急ピッチで資料を作っていた。当時は、これからサービスを作るというような概念的なピッチ資料であった。
このサービスでどういうコンセプトを実現したいかということを書いた資料をつくった。とにかくどんどんブラッシュアップしていくには練習のピッチやピッチを何回も重ねるしかないと考えていた。売上は数十万、会員数は数十名、かけた広告費用は数万円という検証にもなっていない量の数字を引っ提げてピッチしていた。
3月すでにキャッシュが底をつきそうであったため、既存の株主から数百万円の資金を先に投資していただいた。一方、投資意向があるという方は複数いた。会員制というコンセプトの中で「現代版の生協」「オンライン版コストコ」と謳っていた。
私自身、会員制通販サイトは無限の可能性があると考えていた。会員数が5万人になるまで赤字が続くが、そこまで資金調達で補えば、永続的に黒字のサービスになる。実際にコストコがそうだ。また、コストコは倉庫を展開しないと拡大できないのに対して、オンラインゆえに場所にとらわれず全国にサービスを提供できる。
4月無事に投資がまとまった。全部で5000万円だ。一方事業計画だと半年ほどでまた資金調達を開始しないといけない額であった。とりあえず、売上と会員数を増やせばなんとかなる。頑張ろう。

拡大

無事に資金調達ができ、拡大に投資をすることに専念していた。サービスをグロースするためには、商品を調達する営業と顧客を増やすマーケティングが主に重要な要素であった。
一方、配送に関しては注文から2週間ほどかかる状態であった。一つに注文が入ってから商品を仕入れていたからだ。資金調達したキャッシュを在庫に変えることをなるべく避けマーケティングや人件費に投資したかったからだ。そのため、安く買える代わりに届く日数を遅くしていた。それでも使ってくれる人はいた。物流は付け焼き刃な状態であった。当時は、管理画面で注文の商品が表示されてそれをNotionというドキュメントツールに転記。そのあと、数社ある卸会社などから商品を探し、どこが一番安く仕入れられるかを比較し、仕入れ先を決めるというフローであった。
1日数十件なら問題なかったが、すぐに限界が訪れた。物流の理想像は、注文が来たらどこから仕入れるのがベストかを即時に振り分け発注することが理想だ。だが、当時は事業部側の人間で5名ほどしかいない状況。私が営業もマーケティングも見ないといけない中で物流の優先順位はとても低かった。
物流よりもまずは売上と会員数を伸ばすことに注力していた。そのためには、人が足りない。採用資料を作成し、採用媒体やSNSでDMして採用連絡をしていた。採用の方は順調に進んでいた。誰かが言っていたことだが、替えが効かないという人はあまりいないというのを聞いたことがあるがその通りだなっと思った。
資金調達と同時に、オフィスは手狭になっていた。6人しか入れないオフィスに8人も入り、荷物が溢れていた。そこに仕入れた在庫を置いていたので、場所を取り発送するスペースもないほどだった。
移転しよう。不動産の仲介会社に
「倉庫兼オフィスで入れる物件を探しています」
と伝えた。
渋谷、田町、水道橋とオフィスを見学し、一番安く窓からの見通しが良い物件にした。
「いいですね。ピンッと来ました。」
仕事をする上で、オフィスから見る景色は重要だと思った。また、4ヶ月無料の物件で2年入ったら総じて安くなった。
広さは29坪。今のオフィスの3倍。
「オフィスが決まった!今のオフィスの3倍の広さで、水道橋だよ」
みんなの活気がすごかったのを覚えている。プロダクトは伸びていたが、それ以上に浮ついた空気が流れていた。
事業が拡大して、オフィスも拡大するというのは良い雰囲気でしかなかった。
移転準備をしないと。
移転費用の見積もりを取ったが、自分たちでレンタカーで運ぶ方が一番安くなるから自分たちでやろう。
移転当日にレンタカーのバンを借りて運転できる人は他にいなかったので、自分が運転し運搬と3往復は、あっという間に夕暮れになり疲れ切っていた。
一方、サービスはインフルエンサーの広告を拡大し、コスメが安く買えるという訴求で効率よくサービスが伸びた。一方で物流の整備ができておらず配送作業の人手が足りていなかった。自分で夜やるしかなく、少しでも早くお客さんに届けるために段ボールのIDと送り状のIDを照らし合わせ振り分け梱包し発送していた。
この頃、インスタ広告やGoogle広告など他の媒体での集客も試行錯誤していた。インフルエンサー広告だけに頼っているとだんだんと効果が悪くなってくるのが常だからだ。ただ、あまり上手くいかなかった。会員制にしていたため、広告から顧客が遷移すると会費を払うという壁があるため、なかなか広告経由で購入が起こらなかった。また、調達した資金を考えると広告の検証のために数十万円から100万円近くをかけるのに勇気がいるものであった。それだったら、インフルエンサー広告の方が効率がいいから、そっちにお金をかけよう。目先の甘い蜜に頼っていた。
移転してから1ヶ月後の7月。売上、会員数ともに2倍近く伸びていた。すでに500人ぐらいの会員数がいた。サービスは順調だった。唯一物流の遅さに問題があった。ただ、配送日数は変数でありあとからいくらでも改善できると考えていた。
当時の自分の哲学は、自分の役目は自分しかできないところ、営業の上流そして開発のディレクション、採用と組織づくりであると考えていた。
営業においては、まだまだ商品が少なかった。大手ブランドとの提携の模索をしていた。
開発においては、プロジェクトマネージャーをしていた。当時はフルタイムのエンジニアと数名の副業の方々のチームでビジネスの視点から機能開発の優先順位をつけディレクションを行っていた。常にプロダクトにおいて顧客目線で使いたくなる機能の要件定義を書いていた。
また、自分の業務を物流や資金調達に避けるよう権限移譲するために採用も行っていた時期であった。
8月初旬。
会員数、売上ともに月次で160%だった。インフルエンサー広告は人や外部環境などによって大きく波があり、効率がいいものと悪いものも出てきていたが月間を通して良い状況であった。
その時、久しぶりに締め会を行った。5月ごろに急激に人が増えて、オンラインでしか会ったことがない人も含め、ほぼ全員がオフラインで会う初めての会だった。サービスも伸びていたので各部署ごとの発表では各部署ともポジティブな発表だった。ちょうど2年前はコロナが始まった中で組織崩壊した状況は対照的に社内の人数も増えて、オフィスも大きくなり、皆んながサービスのために笑顔で努力しているポジティブな状況で開催された締め会は、将来の希望しかなかった。その日は多くの人がお酒を夜遅くまで飲んでいた。深夜には酔い潰れていたが、記憶に残る締め会だった。
「代表、めちゃくちゃバズっています」
そう一報聞かされた時にSNS上では、PRツイートが数万いいねされていた。appstoreランキングにもかなり上位にランクインしていた。

社内は浮き足だっていた。自分たちが作ったサービスがすごい勢いで拡散されダウンロードされアプリのランキングに載っている。
「俺たちもIKEAか〜」
IKEAのアプリより上位のランクで、そんなことをいう人もいた。
サービスの数値もよく、事業計画以上の上振れをしていた。このまま伸びていくと希望しかなかいようになっていた。
ここから先の話は、サービスの規模が拡大するとともに深く濃い話になっていく。まだまだ、物語は続いていく。


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