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「手持ちの資源でやりくり」するということ

川手@RKawtrです。

広告運用の仕事をやらせていただき、今年でちょうど6年目になります。その間、様々な企業、個人とお付き合いさせていただく機会も多々あり、身近で企業、個人の躍進、成長、また場合によっては衰退、事業撤退を余儀なくされた現場に立ちあう、見届けなければならない経験をさせていただきました。

それらの経験の中には、現在の自分自身を形成する上でなくてはならない、優秀なマーケターと一緒に仕事を共にさせていただく機会も多々ありました。数で言えば片手で数えられるほどの数しかないかもしれませんが、そのような希少な出会い、成長の機会にめぐり会えたことは自分自身にとっての宝そのものであり、今でも貴重な経験であったと考えています。

優秀なマーケターの方々と仕事を共にする中で、彼らがある1つの共通する所作を持ち合わせていることに数年前に気がつき、以来その所作を意識しながら日々業務にあたっています。

その所作こそが、「手持ちの資源でやりくりする」ということ。シンプルながら、ここまで洗練された考えは他になく、今日はその点についてnoteで深掘りして行きたいと思います。

ベースとなっている書籍について

この「手持ちの資源でやりくりする話」を語る上で、村上春樹の作品『走ることについて語るときに僕の語ること』と、その書籍の書評が掲載された内田樹の『もういちど村上春樹にご用心』は欠かせません。

また「手持ちの資源でやりくり」という言葉自体、内田氏の上記書籍内の書評で使われた言葉そのものを、引用する形で使用しています。以下は書籍からの引用になります。

まず、『走ることについて語るときに僕の語ること』についてだが、この書籍は、村上春樹が自身の創作活動と趣味と実益を兼ねて行うマラソンについて言及した書籍であり、ランニング論の形を借りた文学論である。
「走る」という行為とどんなふうにかかわってきたかを語ることを通じて、村上春樹は「書く」という行為とどんなふうに関わってきたかを大変ストレートに語っている。作家自身が自分の創作の秘密をこれほど率直に吐露することはきわめてまれなことである。
身体は有限の資源である。手足はワンセットしかないし、骨の数も臓器の数も決まっている。だから、身体的パフォーマンスを上げるというのは何か強化装置のようなものを外から付加することではない(そうしたがる人も多いが、それは失敗を宿命づけられている)。私たちは、「手持ちの資源をやりくりする」ことしかできない。使えるものはなんでも使うこと。そういう使い道があるとは思わなかった思いがけないものの思いがけない用途を発見すること。これが「家政」の要諦である。
村上春樹は「才能」とは何かについて語った箇所に、短いけれども、核心的な言葉を記している。「人生は基本的に不公平なものである。それは間違いのないところだ。しかしたとえ不公平な場所にあっても、そこにある種の『公平さ』を希求することは可能であると思う。」私たちひとりひとりへの資源配分は(身体的なものも知性的なものも)基本的には不公平である。けれども、私たちはその手持ちの資源でやりくりするしかない。「やりくり上手」であれば、ありあまる資源を蕩尽している人よりも結果的に質の高い成果を残す可能性がある。

この一文からも分かる通り、人間は手持ちの資源でしか原則ことを成し得ることはできない。しかしながら、「やりくり上手」になることで、ある種の不公平感を解消し、「公平さ」を求めることが可能になると、村上春樹は作品内で言及していると、内田氏は解いています。

この本を初めて読んだ時、自身の仕事(マーケティング、広告運用)に置き換えて考え、過去出会ってきた仕事のできる人たちと照らし合わせた時、見事にしっくりきたのです。

例えば、広告運用業務において、広告主の提供するサービス、商品の品質、配信媒体の性質の問題によって、自身の実績や成果に、著しく影響が出ることは珍しいことではありません。しかし、それらの諸問題は、我々の手持ちの資源ではやりくり不可能な事象であり、その問題について我々は団体であれ、一個人であれ、ソリューションを持ち得ません。

しかしながら、団体、個人レベルでの改善提案により、それらの事象へのある程度の"対処"は可能あるケースは意外と多く、優秀なマーケターであればあるほど、必ずそれらを実行している。自分の手札を正確に把握し、常に最高のタイミングで手を打つ。また隙をみて、村上春樹にとっての走る事、つまりマラソンという行為と同じように、読書、自身のレベルアップのための取り組み、スキルアップのための学習、それらの為の機会創造に勤しんでいる(はず)そんなマーケターは数少ないのですが確実に存在し、とびっきりの「やりくり」上手です。

結論

もし明日以降、仕事を通じて、「この人は優秀な人」と思える人に出会ったのなら、その人が環境や人員、媒体や手持ちの資源に言い訳せず、今実現可能なことを念頭に置き「やりくり」することに時間、工数といった投下可能なリソースを投下しているかどうかといった点を見ていただければと思います。おそらく優秀な人であればあるほど、この所作は必ず実行されているはずです。

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