自己紹介

これまで病気や障害、父が物心ついた時から統合失調症の無職、機能不全家族、貧困といったハードモードの我が人生、その攻略中に、のたうち回ったことなど記載していきたいと思います。人生をあきらめてはいませんよ(*^-^*)

鹿児島県奄美大島で生まれる。

鹿児島市で10歳まで過ごす。ここまでが健康で、友達がいて、両親がいて、という常人の生きざまルートの終着点。

両親が離婚して奄美大島に引っ越す。

なぜか6月に小学校に編入、いじめにあって、その時から今にかけて、うつに苦しむ。

10代をずっと病に苦しみ続ける。

20歳で自分がうつであることに気づき病院へ。

ワーキングホリデーでニュージーランドへ行く。

22歳、ぎりぎりで専門学校を卒業して就職。

24歳、通信制の大学に編入学。

家族経営のブラック企業に5年務めて副社長とケンカして辞める。

香港、タイへと旅にでる。

27歳、精神障害者保健福祉手帳取得。

28歳、大学卒業と同時に九州の特例子会社へ入社。

自身が発達障害(ADHD・ASD)のグレーゾーンであると診断される。

30歳、通信制の大学院へ入学。

31歳、会社の障害への理解が乏しく、体調を崩し退職。

32歳、別の特例子会社に努めるも、会社勤め、障害者雇用に嫌気がさしていて、あえなく退職。

33歳、退職を機に10年以上続けていた向精神薬を断薬。死ぬほど苦しむ。

33歳、断薬に成功。鹿児島県に戻り体調も落ち着き、ウーバー配達員をやりながら今後の生き方を模索中。というか配達員が断薬した脳で務まる、唯一にして最高の職業なのかも、と思う今日この頃。



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